横田貴之氏『イスラームを知る10 原理主義の潮流 ムスリム同胞団』(山川出版社、2009年)
- 作者:横田 貴之
- 発売日: 2009/10/01
- メディア:
かねてより読みたいと思っていた。この期間に今まで読めなかった本を読もう。そういう風に前向きに積み重ねて行こうと思い、1日で読み、メモを取った。
著者
著者の横田貴之氏は、1971年生まれで、早稲田大学政治経済学部を卒業後、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究科博士課程修了とのこと。現在、明治大学准教授。出版当時は、日本国際問題研究所研究員。
専攻は、中東地域研究、中東の現代政治。
全114頁の冊子。
内容としては、ムスリム同胞団誕生前の社会状況から2009年頃までの歴史を追っていくものである。
レジュメ的なものだけど、まとめておく。
<レジュメ>
誕生前の社会
ムハンマド・アリー朝:明治維新の半世紀以上前に「近代化」政策を取った。
それに対して「エジプト人のためのエジプト」を掲げて「アラービー運動」が起こった。
イスラーム復興運動の代表者の3人
アフガーニー(パリ滞在歴あり)、アブドゥ、リダー
彼らの登場により、エジプトのカイロがイスラーム復興運動の中心地へ
同胞団の創設者
創設者ハサン・バンナー・・・洋服も着ていた。大衆運動路線。
第二代最高指導者ハサン・フダイビー
第三代最高指導者ウマル・ティルミサーニ
第四代最高指導者ハーミド・アブーナスル(在任1986-96)
第五代最高指導者ムスタガー・マシュフール(在任1996-2002)
第六代最高指導者マアムーン・フダイビー(在任2002-04)
20世紀前半の同胞団に詳しいムハンマド・シャウキー・ザキー
『ムスリム同胞団とエジプト社会』
・1945年 第一次ヌクラーシー政権下でバンナー暗殺
「冬の時代」・・指導者不在
・1951年裁判官のハサン・フダイビーが最高指導者に
ただし、投獄。1971年に釈放。
・1952年にエジプト革命起きる。
初代大統領にナギブが就任。
ナセル(1918-70)
サダト(1818-81)
と続く。
彼らは「アラブ民族主義」と呼ばれたが、「イスラーム復興主義」とは異なる勢力である。
フダイビーに変わり登場したのが、サイイド・クトゥブである。
サイイド・クトゥブは、今日のイスラーム世界に多大な影響を与えている。
クトゥブは、「神の主権」と「無明時代」に分けて、社会を批判している。
・1970年代 ナセル他界
ムスリム同胞団の第三代最高指導者にウマル・ティルミサーニーが就任。
(1904-86。カイロ生まれ)
ムスリム同胞団は、社会ネットワークの構築に長けている。相互扶助サービスなども運営している。エジプト以外の国に亡命した者には、ビジネスで成功した者もいる(61頁)。
・1979年 イスラエル和平交渉
同胞団とサダト政権との関係が悪化
・1981年 ジハード団によるサダト暗殺
同胞団では、クトゥブとクトゥブ主義を区別
穏健派:バンナー
急進派:クトゥブ
同胞団以外の急進派
①イスラーム集団・・・学生運動から出発。日本人を含む観光客襲撃事件「ルクソール事件」を起こした。
理論的指導者は、ウマル・アブドゥッラフマーン(1938-)であり、1993年のアメリカ世界貿易センタービル爆破事件への関与で、アメリカで終身刑で服役しているという(66頁)。
②ジハード団・・・サダト暗殺。アル・カイーダのナンバー2・ザワーヒリー(1951-)が所属していた。
代表的理論家として、アブドゥサラーム・ファラグと、アブドゥル・カーディルがいる(67頁)。
為政者に対するジハードを説く。彼らにとって、既存の為政者はイスラーム国家樹立とのための阻害要因なのである。
1970年代以降、急進派(クトゥブ)が伸びる。
そこで世俗と過激を避ける中道派も現れる。
中道派ユースフ・カラダーウィー『イスラーム覚醒』(p.68 )
1981年 サダト暗殺後、副大統領フスニー・ムバラクが大統領に就任。
(p.80 後に権威主義体制となる)
1980年代の同胞団・・・政治活動は容認されている(ただし、1954年以降非合法)
同胞団は、社会活動や職能組合にも活動の範囲を広げている。(p.68)
第四代最高指導者ハーミド・アブーナスル(在任1986-96)
第五代最高指導者ムスタガー・マシュフール(在任1996-2002)
第六代最高指導者マアムーン・フダイビー(在任2002-04)
(p.73)
1990年代ムバラクは、同胞団を警戒するようになった。
(1980年代末のエジプトでは、世界銀行やIMFの支援の下経済改革が行われた)
1996年 ワサト(中道)党が、ムスリム同胞団の70年世代を中心にしてカイロで設立。
今後の同胞団を占う上で重要。
エジプト内にはキリスト教徒(コプト教徒)も存在し、それをどう考えるかは同胞団にとっても重要。
p.81 第七代最高指導者ムハンマド・マフディー・アーキフ
(ドイツ・アメリカ滞在経験あり)
1990年代以降のエジプト政治。政治的自由の後退
アメリカの圧力もあったが、民主化するとイスラム勢力が台頭するという矛盾
2007年宗教政党の禁止
同胞団が直面する課題=政治のイスラーム化はいかに成し遂げられるべきだろうか
同胞団の支部はアラブ諸国を中心に広がっているが、エジプトの同胞団はイラクのクウエート進行に反対しつつも、アメリカ主導の多国籍軍の介入には反対した。そのことでクゥエートの同胞団と仲違いした。(92頁)
パレスチナの「ハマース」
1987年「インティファーダー」の際に、同胞団の闘争部門として誕生。パレスチナ最大のイスラム復興運動で、イスラエル占領下のパレスチナ解放運動をしている。
ただし1950年代以降のパレスチナ同胞団の活動は、武力にではなく、病院や看護学校、スポーツクラブなどの社会活動に重心を移していく。
それに対して、パレスチナ解放機構(PLO)傘下のファタハやパレスチナ解放人民戦線(PFLP)などは武装闘争を行った。
PLOファタハ・・・民族主義に基づくパレスチナ解放運動。1957年にアラファトを中心に結成された。
以上、簡単なレジュメ。
<感想>
「アラブ民族主義」と「イスラーム復興主義」とのちがい。傍から見てれば同じ中東の人々に思うのだが、そうではないのである。
日本でも戦前の京都学派と原理日本社との対立や、「皇道派」「統制派」など対立が存在する。
欧米列強との対立や西洋的価値観との対立の前に、同国人同士の対立で斃れていくのである。「右翼」や「左翼」では括れない歴史なのである。
1980年代末のエジプトでは、世界銀行やIMFの支援の下経済改革が行われたということだが、1990年の前後はソビエト連邦の崩壊から、西部邁・佐伯啓思氏らが盛んに問題にしていた「アメリカ一極支配」「グローバリズム」「新自由主義」の完成課程であった。中東での出来事としては、湾岸戦争であった。1995年ごろから、我が国では歴史問題が論壇の中心になっていった過程でもある。
武勲を建てた人物がその後エジプト社会で活躍するなど評価の対象となっている。
我々の年代では、「ムバラク大統領」という名前をニュースで何度も聞いて知っていたわけだが、1981年サダト暗殺後に大統領になって、最近の中東の民主化の時に問題になっていたのだから、どれだけ長いこと大統領をやっていたのか、サダトという草創期の人物を間近で見た来たことかと、あらためて感心する。
我々の青少年の頃、中東の問題と言えば、「アラファト議長」を思い浮かべたものだが(確かTV番組「進め電波少年」でも「アポなし」とかで会いに行ったはずだが)、アラファトが率いるファタハの成り立ちや同胞団との距離が分かった。
政治のイスラーム化
我が国で言うと錦旗革命などとの比較をしてみたい。
比較原理主義や西洋列強に対する抵抗を比較してみたい。
それが思想面での自分の課題