源流紀行☆浜松篇 二 賀茂真淵記念館 令和五年八月某日 晴れ
遠鉄バスの「鴨江坂上」という停留所で下車したものの、スマホのGoogle Map頼りに移動し始めた。このあたりは住宅街のようだ。浜松も日差しがとても暑い。冷却タオルを持ってこなかったのは失敗だった。しかも道を間違えて遠回り。どこなんだい?
25分ぐらい歩いてようやく到着。地元の中学生が夏休みの宿題の話をしながら通り過ぎていく。彼らにとっては当たり前の施設なんだろうな。
HPで見ていた時は、本居宣長記念館より、熱意や学術度が劣るのかとも思っていたが、そうでもなかった。本居宣長記念館と比べると、展示スペースが小さいとは言えるだろう。
まず入館すると、学習ビデオを上映してもらい、その後、平常展の解説を学芸員がしてくれたのである。
自分のためのメモ
・賀茂真淵だけに和歌の話が多い。だが、私はイデオロギーや世界観に興味を以て生きてきた。だから平田篤胤のような人物の方に興味があると思った。
・松尾多勢子。何度も出てくる名前。坂本是丸氏の本で読んだぐらいだが、自分の信念の基づき、生き、行動した人物。何度も出てくる。
・江戸時代。専門の研究者は少なく、みな家業を持ち学問をした。自分も言い訳はできない。昔の日本人はほとんどそうだったのだから。
・解説員の方がうまく解説してくれた。帰ってきてから調べて見ると、学校の先生だったとのこと。定年退職後、記念館に来たとのこと。武道も長年されているとのこと。
→1つのことに定年まで取り組んだ職業人生と、長年武道を続けて、今は国学者の記念館で解説員をやっているという人生。自分には手に入らなかった人生。
⇒私のこの人生、この情熱、今まで積み上げたもの、これからの人生、そしてあの世に行く前に何を成し遂げればいいのか。
隣の敷地にある縣居神社にも参拝した。縣居神社には熊谷真美さんが浜松に移り住んだというような話が書かれてあった。いいね!来た道とは反対の道、つまり勾配のきつい坂を下った。
坂を下ると賀茂真淵の生誕地があり、またそこからバス停の方向へ2~3分歩くと真淵の父が神官をやっていたという加茂神社があった。昨年の飛騨の護国神社もそうだったのだが、名のある神社に行っても、教化されるような文字資料がなく、さびれた様子であるのは残念だ。文字資料だけが教化なのではないのだろうが、
倒れそうに暑かったので、すぐバス停に戻って、次の目的地に向かおうとしたのだが、記念館でもらったクリアファイルとその資料があって手ぶらになれない。そこで一度ホテルまで戻って、預かってもらっているリュックに資料を入れに戻ることにした。
遠回りかも知れないが、置いていく訳にはいかないので、戻ります。