Book Zazen

書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。

それでも明るく生きようー令和二年四月四日(土)

それでも明るく生きようー令和二年四月四日(土)

政府の経済補償の対象やスピード感に不安を感じている方もいらっしゃると思います。

 

いつも暗いことばかり書いていて、ごめんなさい。

自分で書いていてなんですが、不安や悩みは何より自分を苦しめます。

特にまだ起きていないことに過剰に恐れる「予期不安」は、人生を暗くします。

 

また、この時期に体調不良で人知れず悩んでいる方も多いかと思います。

 

でもいつかその悩みから抜け出せる日が来ると信じ、自分のことを信じてあげてください。

 

何か月もそんな状態が続くはずないのだから。

 

笑顔が出る人は、先に笑顔をだしてしまおう。自分もそうしている。

 

それでも笑顔が出ないときは、「ジミー大西」さんの動画を検索して、笑顔になろう。

大恐慌・企業倒産・自殺リスク・社会的バッシングー令和2年4月1日(水)

大恐慌・企業倒産・自殺リスク・社会的バッシングー令和2年4月1日(水)

昨月は、おかげ様で600アクセスを超えました。感謝。

でも、新型肺炎のことで世の中の調子がおかしくなっているよね。

 

志村けんさんご冥福をお祈りいたします。

(暗い世相を明るくするのが、お笑い芸人の「世の中的な」役割とするなら、志村さんは「元帥」クラスだったと思う。)

 

派遣切り、外国人技能実習生の契約解除など雇用関係のニュースを聞くと、「明日は我が身かな」としんどくなる。

 

新型肺炎による死者よりも、経済的な苦しみや死者が増える恐怖心。ただでさえ脆弱な生活基盤の上に、自粛による経済の縮小、衰退。一生こんな苦しみとともに生きて行かなければならないのか。

 

キャバクラとかもしんどそうだ。別の嫌なことをさせられる女性が出てくるかも知れない。自分だけが助かったとしても、こんなこと聞きたくないね。

 

中国人に対する不当な差別。おかしいよね。

 

曹洞宗の禅僧の桝野俊明氏は「心配事の9割は起こらない」、悩みを聴いてみると取り越し苦労が多かったというが、1割は起こるわけで・・。

 

こういうマイナス思考の人がダメなんだろうな。

 

暗い気持ちの道ずれにしてゴメンね。

 

 フォローしておく。「自分はダメだ」という気持ちも「妄想」に含まれるんだって。

 曹洞宗の禅僧の桝野俊明氏の『心配事の9割は起こらない』は、1000円もしないから読んで見てください。

 

 

参考にしている動画やラジオを挙げておく。

「正しく恐れる」といっても、感染したらバッシングされそうで、私のように脆弱な生活基盤の上で生きている人間にとっては、ただただ恐れるのみですわ。バッシングが恐い。生活できなくなる。

 

かぜの症状が出ただけなのに恐くなるよね。病気した人が責められるような世の中になっていて怖い。本当に怖い。

 

病気は治るかもしれないけど、人に責められそうで怖い。

 

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リスク・マネジメントに基づく「新型コロナウイルス対策」の提案【京都大学レジリエンス実践ユニット】(解説:藤井聡ユニット長)

紹介ー池内恵氏著「約束の地と堕落した女ーアラブ知識人の見たアメリカ」-令和2年3月14日(土)

紹介ー池内恵氏著「約束の地と堕落した女ーアラブ知識人の見たアメリカ」-令和2年3月14日(土)

 

明治以降の日本の思想を考えるときに、無視出来ない文化圏がイスラムである。

 

大学・大学院時代の私の念頭に常にあったのは、なぜ日本の大学(例えば法学部)で、日本の思想を根拠に政治・法(家族制度・男女の関係なども含む)などが論じられるのではなく、欧米の市民革命や社会契約論などを判断の基準にしているのかという疑問であった。

  

少し関係のある過去記事:

book-zazen.hatenablog.com

これは何も皇室を戴く我が国だけの問題ではなく、旧約聖書を共通の聖典としながらも、欧米と異なる道を歩んできたイスラム教徒にも関係していることなのだと思う(大学とどう教えているかまでは知らないが)。

 

その意味で、アメリカのブラック・ムスリムは私にとって大変興味深い人々なのである。なぜなら、日本で「憧れられている」アメリカの中で、アメリカの世俗的な自由主義でもなく、キリスト教原理主義でもなく、規律正しいイスラムの信仰へと進んでいった人々だからだ。

 

彼らは音楽、映画、それにドラマなどで描かれている。

HBO(Home Box Office)のTVドラマで刑務所を描いた「OZ」(オズ)にも、ギャング出身のアフリカ系アメリカ人の受刑者と異なるグループとして、イスラム教徒が描かれている。彼らは規律を重視する集団なのである。ぜひ見て欲しい。

 

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(5:12 ギャング・グループから抜け出し、イスラム教徒になるところなどは感動的だ。そのあとはめられるのだが)。

  

だが、私はまだ思うように探求できていない。それが残念だ。

 そんな段階でも一読を奨めたいのが、「約束の地と堕落した女ーアラブ知識人の見たアメリカ」(池内恵イスラーム世界の論じ方』)だ。

 

 

紹介・池内恵氏著「約束の地と堕落した女ーアラブ知識人の見たアメリカ」(池内恵イスラーム世界の論じ方』中央公論新社、2008年)

 この論文で池内は二人の「アラブ知識人」を取り上げる。

「アラブ世界はアメリカをどう見てきたのだろうか」

「本稿ではアラブ世界のアメリカ観を、その初期の「出会い」の時期に遡って検討したい。ここで考察の対象とするのは、二人の代表的なアラブ知識人によるアメリカ紀行文である」(106頁)

 

そして池内氏は、二人のアラブ知識人の名を挙げるのである。1人はレバノンキリスト教徒フィリップ・ヒッティであり、もう一人はエジプトのイスラム教徒サイード・クトゥブである。

 

 

フィリップ・ヒッティ

第一次世界大戦前後にアメリカで学び、モダニズムの大衆文化に魅了され、アメリカ市民権をとって同化し、近代的なアラブ史叙述の定説と制度を打ち立てたフィリップ・ヒッティ」(106頁)

アメリカの特徴を「活力」「速度」というキーワードで表している。

では、そのアメリカは物質主義や拝金主義なのだろうか。ヒッティは否という。

寸暇を惜しんで経済活動に励む労働への情熱が、アメリカ人の卓越性をもたらしているのである。自助努力で何でも行い、実用的な知識欲が盛んである。

 

「ヒッティはアメリカの特徴を「活力」や「速度」によって代表させるが、それを単なる物質的な側面での優越と見なすのではなく、根底において確固とした労働の倫理に支えられたものととらえ、精神的な側面からも高く評価する」

「また「西洋」と「東洋」を二項対立的に対比させ、みずからを「東洋人」と規定するが、そこで「西洋」からの疎外感た「西洋」への反発を抱くのではなく、「東洋」の「停滞」を批判し、アメリカをプロテスタント優位の社会としながらも、非プロテスタントにも平等の権利と機会が保障された社会として評価する」(116頁)

 

池内氏は対照的なアラビア知識人としてエジプトのイスラム教徒サイイド・クトゥブを挙げる。

サイイド・クトゥブ

「近代派知識人として出発しながら、やがてイスラーム主義思想に転じ、過激派に理論的基礎を提供したサイイド・クトゥブ」(106頁)

「クトゥブは第二次世界大戦後のアメリカ体験について、アメリカや「西洋」一般への激しい拒絶勘定と敵意を剥き出しにした紀行文を記している」(106頁)

 

サイイド・クトゥブは、ムスリム同胞団のイデオローグとなった人物であると言えば、何となくイメージが湧くだろうか。

「クトゥブは現代のイスラーム主義の諸勢力、特に過激派・急進派が拠って立つ理念を論じる際に、必ず言及される思想家である」(119頁)。

ヨーロッパにはカール・シュミットもいれば、アラブにはサイイド・クトゥブもいる。世界には本当に様々な思想家がいる。こういうものを縦横に比較研究して、世に問う仕事がしたかった。中村元氏の比較思想研究のような。比較原理主義とか。

 

クトゥブは、1906年に上エジプト(ナイル川上流域)に生まれた。

ざっくり言うと、カイロ周辺でで教育を受け、ダール・アル=ウルームを卒業する。

そして文部省に採用され、初等教育アラビア語(国語?)教員を経て、文部行政の道を歩む。

 またその間に、評論や小説なども発表する。

 

池内氏は指摘する。

「注目すべきは、クトゥブは文筆家としての出発点におていは近代派に属しており、西洋的な生活様式や文芸・評論ジャンルの導入に意を砕いていたことである」(119頁)

 

クトゥブは1951年頃、つまり我が国で言うと大東亜戦争敗戦から6年頃、ムスリム同胞団に接近し始め、1966年にはナセル政権下で刑死している。

*ナセル・・エジプトの軍人・政治家。一九五二年ナギブとともにクー・デターを指導。五四年ナギブを追放して首相、五六~七〇年大統領。アラブ民族主義を首相(一九一八-一九七〇) 広辞苑〔第五版〕1998年 

 

クトゥブは、1948年からアメリカにわたり、NY、ワシントンDCへ移った後、1949年にコロラド州グリーリーという町に6か月住むこととなった。

 

こうやって見ると偶然なのか何なのか、スパイクリーの『ブラッククランズマン』の舞台となったコロラドスプリングスに程近いことに気が付いた。映画からこの界隈が現在でも「保守的」な町であり、人種差別的な対立が存在するとの印象を受けるのである。

 

book-zazen.hatenablog.com

 「クトゥブはこの町のコロラド州師範学校に通いながら、学校や町のさまざまな行事に参加した」(121頁)

 

クトゥブはその体験を「私の見たアメリカー人間的価値の基準から」(1951年)として発表したのである。

 

その中でアメリカは「物質的発展の頂点に達しているにもかかわらず、人間性において最低辺に沈んでいる」存在だとされるのである(121頁)

 

 池内氏によると、クトゥブが特に嫌悪したのは「性的規範の弛緩」である。クトゥブの「私の見たアメリカ」は雑誌に三回に分けて発表されたものなのだが、その内半分がアメリカの性の乱れに対する批判だという。アメリカにおいて性は露骨に肉体と関わっており、クトゥブによれば、ダンスパーティーという形で教会までそれに関与しているという(122-123頁)。

 

池内氏はクトゥブのこの描写が当時のアメリカの真実を写し取っているかということよりも、クトゥブというアラブ知識人にこう見えていたという点に着目する。

 

池内氏は「私の見たアメリカ」の視点を、「いかなる物質的発展があろうともアメリカを「原始的」と断定し、なかでも、「性的な放縦」にまみれた「背徳」の社会としてとらえる」ものだと説く(127頁)。

 

クトゥブのアメリカ観は、クトゥブの研究者やイスラーム主義者、またジョン・グレイなどイギリスの思想家などにも注目されてきたという。孫引きになるが、アメリカ政府から委嘱された独立調査委員会の報告書『9・11報告書』に、おもしろい記述がある。

 

「クトゥブはいかなる場所にも罪を見出した。中西部の田舎の教会にさえも」(128頁)

 

「中西部の田舎の教会にさえも」いうのがおもしろい。実際、アメリカの公共ラジオ放送(NPR)によるとグリーリーという町は、「農業・畜産に精を出し、労働を通じた共同体建設をめざし、西部開拓時代のユートピア精神を体現した禁欲的な町」なのであって、堕落したイメージはなかったのだという。

池内氏は、「クトゥブがこのような禁欲的な町においてさえ、性的放縦を感じ取ってしまったのはなぜだろうか」と問うた上で、「ナイーブで内向的な」クトゥブの個人的な性格と、当時のエジプトの平均的な感覚の両方を挙げながら、イスラム教徒とクトゥブの見たキリスト教徒の性的規範の「分節化」の差を指摘する。少し長くなるが、重要だと思うの引用する。

  

イスラーム教の観点からは、人間の(基本的に男性の視点からの)性的欲求の存在を肯定し、それを「妻は四人まで」という規定に見られるように、明示された私的領域の内側に囲い込み、その中では開放する」(129頁)

「定められた指摘領域からはみ出す性交渉は逸脱として重罪と見なし、石打ちによる死刑といった極刑をもって処断する」(129頁-130頁)

「ハーレムへの女性隔離やヒジャーブによる男性の視線の遮断も、公的な領域で男女間の接触を極力減らすための仕組みである」(130頁)

 「「自由恋愛に基づいて形成される一夫一婦制の婚姻関係」のみを正当な性的関係と見なす近代キリスト教の性規範からは、婚前の男女に一定の接触の機会を与えることは当然に必要とされる」(130頁)

「その場を協会が提供し、聖職者とコミュニティの監視のもとに男女の出会いが行われることは、むしろ健全なことと見なされよう。ところがこれがクトゥブの目には若い男女が誘惑を繰り返す逸脱の饗宴を、こともあろうに協会が手引きしていると映ってしまったのだろう」(130頁)

  

 

池内氏は、「カソリック系白人」のヒッティとエジプト南部出身の褐色の肌を持つクトゥブのちがいを指摘しつつも、両者は「西洋」と「東洋」を「物質主義」「精神主義」という二項対立で捉える図式を共有しているとする。

とはいえ、ヒッティにとっては西洋と東洋は互いに通じ合うことができ、アメリカ人の労働には倫理的卓越性まで見ることができる存在なのだが、クトゥブにとっては「東洋」の「精神主義」が堕落した「西洋」に優位するのである。

クトゥブのこういう考え方のことを近代西洋諸国が「東洋」に向けたまなざし「オリエンタリズム」をちょうど逆にした「オクシデンタリズム」と池内氏は呼ぶ。

 

クトゥブのアメリカ観はアラブ諸国イスラム教徒全般にかなりの程度共有されているという。

 

 

感想

・私はサイイド・クトゥブの方により興味を持った。もっと詳しく言うと、10代前半ならヒッティ、20代後半ならクトゥブ、いまはヒッティ的な暮らしを夢見ながら、クトゥブに惹かれるものがあるといった所だろうか。

 

ナセルとクトゥブ・ムスリム同胞団の対立

クトゥブはナセル政権と対立し、弾圧を受けた(119頁)との記述があるが(クトゥブはイギリスに弾圧されたのではない点に注意!)、ナセルと聞いて私は葦津珍彦氏の西郷隆盛論『永遠の維新者』を思い出した。

葦津珍彦氏はその西郷隆盛論『永遠の維新者』の冒頭で、キューバ革命政権のチェ・ゲバラが、エジプト革命政府のナセルを訪問した時のエピソードを描いている。その際にナセル政権下で刑死したクトゥブやムスリム同胞団をもっと掘り下げていれば、葦津氏の属していた右派・愛国陣営・ナショナリスト・維新陣営が、アカデミック左派あるいは価値中立的な地域研究の研究者、あるいは地域経済研究者とは別に、もっと世界史レベルで広く深い、9・11テロにまで広がった視点を持てたのではないだろうか。

 

この辺り松本健一氏『大川周明』、『原理主義』あるいは竹内洋氏・佐藤卓己氏編『日本主義的教養の時代』までを視野に入れて、まとめてみたい。

 

一方、ヒッティによるアメリカ人の労働観は現在の私にとっても興味深い。確かに、自己啓発系ビジネス書として有名なコヴィー『七つの習慣』に限らず、アメリカ人のビジネス観、仕事観、労働観は単なる世俗化した利益追求主義とは言い難く、何かを探求している人々のようにも思える。アメリカ人の労働に倫理的卓性を見たという視点は興味深い。

  

オリエンタリズムオクシデンタリズム

・サイードの『オリエンタリズム』を読んでいない自分に気づいていたが、やっと機が熟して来た。

イードを持ち上げたいとかではなく、アジア主義や京都学派を論じるためにも、「オクシデンタリズム」について深めおきたいから。高山岩男氏の「モラリッシュ・エネルギー」とか。

 

イスラム

これから先は、中田考氏、小杉泰氏、臼杵陽氏らの本を読んで行くことになるのだろうけど、費用と置き場所に悩み、躊躇。

 

 

 

 

相川七瀬さん大学進学おめでとうございます!國學院大学神道文化学部っていいな(笑)令和2年3月15日(日)

相川七瀬さん大学進学おめでとうございます!國學院大学神道文化学部っていいな(笑)令和2年3月15日(日) 

 

相川七瀬さんが高卒認定試験を経て、國學院大学神道文化学部に進学するとのこと。

まずは大学進学おめでとうございます。

 

私も高校中退し、大検(現在の高卒認定試験)に合格した後、20代後半で大学入学した者である。自分の興味関心を重視し、誰に何と言われようと(大して誰にも言われなかったが・・)、好きな道を選んだ(しかし、その後失敗したが・・・)。

 

「夢見る少女じゃいられない」と歌った現役のロッカーで三児の母親である相川さんが大学進学を希望していたことも驚いたが、私的に何よりも驚いたのは、進学先が國學院大學神道文化学部であることである。

 

國學院大學神道文化学部と言えば、現在のHPでも戦前からの国士であり、神社本庁設立の立役者たる葦津珍彦氏とも関係の深かった坂本是丸氏や『国士 内田良平』の執筆者の一人でもある菅浩二氏など、神道ナショナリズム・カラーのある研究者が集結しているイメージが強く、皇學館大学と並んで日本で2つしかない神道系の大学なのである。

 

なぜそこにロッカーの相川七瀬さんが?と思った。國學院を1つの大学として見て、そこの経済学部とかに進学するのだったら分かるのだけど、何故、神道文化学部なんだろうか?と思っていて関連記事を読んでいると、分かった。

 

要するに「赤米大使」というのをやっていて、神事に触れたことがきっかけで、学問的に深めたいから國學院大學を選んだんだって。OK!

 

相川七瀬さんは現在、岡山県総社市長崎県対馬市鹿児島県南種子町の『赤米保存大使』として意欲的に活動しています。

その中で『赤米神事』という日本の伝統的な神事に触れる機会が多く「もっと学術的に神事に関わる勉強をしてみたい」と思い、『國學院大學神道文化学部』に入学したのだそうです。

(ニコニコニュース:https://news.nicovideo.jp/watch/nw6820385より

 

 

 家族がいて、音楽でもたくさんの人に聴いてもらえて、私にない経験をしてきた相川七瀬さん。学問の方でも思いが実現するように祈っております!

 

 

 

news.nicovideo.jp

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デルモア・シュワルツって誰? 令和2年3月7日(土)晴れ

 デルモア・シュワルツって誰? 令和元年3月7日(土)晴れ

 

スパイクリーの『ブラック・クランズマン』を観て、もう少し様々なラインナップでアフリカ系アメリカ人のことを見たいと思い副島隆彦氏の『現代メリカ政治思想の大研究』の第8章の「黒人イスラム勢力の動向」、第9章「左翼知識人と急進左翼運動の現在」を再読した。

Louis  Farrakhan、Jesse Jacksonなどの他に、リベラルな立場に距離を置くようになったアフリカ系アメリカ人の思想家や学者、言論人などの名前が挙がっていた。

 

元々リベラル派だったけど、リバータリアン保守に近くなった人々として以下の人名が挙がっている。

William Rasberry

「ウィリアム・ラズベリーは、黒人でありながらリベラル派からリバータリアン派に行移行した珍しい評論家と言ってよい」(副島隆彦氏『現代メリカ政治思想の大研究』筑摩書房、1995年、220頁)

Kenneth Clarke

Thomas Sowell

Robert Woodson

Walter Williams

 

「80年代に入ると、黒人若者層の間でラップ音楽(ヒップ・ホップ)が隆盛する。ほとんどが「パブリック・エネミーPublic Enemyに代表される、「白人の警官どもをブッ殺せ」というようなぶっそうな内容の音楽だから、白人文化と衝突し、白人ロックンローラーたちとさえ政治的対立状況に入ってゆく」(副島、226頁)

 

私はPublic Enemyについては,2枚のアルバムを持っていただけだし、聴かなくなって長いこと経つから、細かく覚えていない。だからそんな歌詞があったのかも知れない。

あるいは副島氏はPEのことを言ったのではなく、そういうラップという音楽があるとだけ言いたかったのかも知れない。

 

これは本文とは関係なく、単なる曲の紹介。

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1995年ぐらいに問題となっていたのは、俳優としても活躍するアイス・キューブIce Cubeエミネムとのコラボでよく知られたドクター・ドレDr. Dre、すでに亡くなったEazy-Eらを輩出したN.W.Aというラップグループの


N.W.A Something 2 Dance 2 (HQ)

 

アルバム中の"Fuck Da Police"という曲だった。

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あるいは、やはり俳優としても活躍するラッパーICE-Tが結成したヘヴィーメタル・バンドBody Count(CD持っていたが処分した)の"Cop Killer"などであったと思う。

www.youtube.com全部見てないし、字幕がないと聴き取れないが、やはり社会問題化していたことが今からでも分かる動画です。


ICE-T (Bodycount) A Current Affair Interview 1992

 

==本題==

めっちゃ話がそれたが、今回話したいことは第9章「左翼知識人と急進左翼運動の現在」にニューヨーク左翼知識人を集めた言論雑誌『パルチザンレビュー』Partisan Reviewの仲間として名が挙がっていたデルモア・シュワルツ(235頁)。

 

マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』(2001年12月号)の「坪内祐三 いつも読書中」という特集に触れた際、デルモア・シュワルツって誰?みたいなことを書いてしまったが、坪内氏が翻訳したシュワルツの「スクリーノ」の直後に坪内氏による解説があったことを忘れていた。

book-zazen.hatenablog.com『鳩よ!』(2001年12月号)58頁の「必敗者 デルモア・シュワルツ」よ

 

・デルモア・シュワルツは、ロッカーのルー・リードのシラキース大学時代の先生だった。

その関係をルーリードはアルバム『ブルーマスク』に収録されている「マイ・ハウス」に歌っているという。

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 英語の歌詞だけども、Genius Lyricsを見ればある程度分かるだろう。

genius.com

ベルベット・アンダーグラウンドならば「ヨーロッパの息子」がデルモア・シュワルツに捧げられたものだという。

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ソール・ベローの『フンボルトの贈り物』に「シュワルツの神話性」なるものを知る手がかりがあるそうだ。

坪内氏によると、1937年12月のパルチザン・レビューの復刊第一号に短編「夢のなかで責任が始まる」が寄稿され、同タイトルの短編集『夢のなかで責任が始まる』の中に、今回坪内氏が翻訳した「スクリーノ」が収録されていたとのこと。

*『アメリカ文学必須用語辞典』(松柏社、2010年)

「パーティザン・レヴュー」の項目:

「ウィリアム・フィリップスとフィリップ・ラーヴによって1934年に創刊され、二人が1969年まで編集した『パーティザン・レヴュー』誌は、当初共産党との関係が明白であったが、1938年に正式に袂を分かった後も左翼の立場を維持した」。

「詩や散文、文芸批評だけでなく政治的な記事や社会的な記事も掲載している」。

「デルモア・シュウォーツ(1913-66)ガ1943年から1955年まで共同編集者を務めた」。

寄稿者には、ナボコフスーザン・ソンタグらも入っているようだ。

 

 

 ・シュワルツは、1966年にNYの安ホテルのゴミ箱に頭を突っ込んで死んでいたんだって(何それ!?)。

 

・そのほか、鮎川信夫氏がこの「スクリーノ」にインスパイアされて「必敗者」を書いたんだって。

 

とりあえず、坪内氏の解説をまとめると、こんな感じ。

 

一時期すごいインテリ系左翼ミュージシャンが苦手だったけど、一山超えていいなと思うものもある。この曲なんかもいいよね。なんかアメリカっぽい。子供の頃、週末に家族で見ていて洋画劇場みたいな。全然違うのに。涙が出るね。


Lou Reed - Walk on the Wild Side (audio)

 

底に流れているウッドベースのような音は、Q-TIP率いるラップグループ"Tribe Called Quest"の"Can I kick it"と同じだが、元ネタは知らない。

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これも16歳の夏頃に聴いていた曲。

 

以上、アメリカの音楽と文学についての雑学。大したことないけど、吐き出しておいたので、興味がある方はチェックしてね。

 

私の課題

副島氏には毀誉褒貶があることは知っているが、『現代アメリカ政治思想の大研究』の続編を書いてみたい。