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柴四朗とウラービー:山内昌之氏『近代イスラームの挑戦』より 令和二年四月三十日(木)

柴四朗とウラービー:山内昌之氏『近代イスラームの挑戦』より 令和二年四月三十日(木)

 

歴史家の山内昌之氏の著作『近代イスラームの挑戦』(中公文庫、2016年。原著は1996年)にも柴四朗とウラービー(アラービーともいう)の会見のことが載っている。

 

ウラービー革命は、1881年エジプトで起こった事件である。ウラービーらはタウフィークの退位を迫って決起した(248頁)。その際にイギリスから軍事干渉を受け敗北し、ウラービーはセイロン島に流刑となったのである。ここから1956年までイギリス軍がエジプトに駐留することになるという。

 

明治の日本人はヨーロッパ留学や出張の途中にウラービーを訪れたものがいたという。

この辺の事情について山内氏は、

「ウラービーの運動がどこか自由民権運動を思わせ、不平等条約の改正に苦しむ新生日本の外交もエジプトの苦境を切実に我がものと感じたからだろう」(248頁)

としている。

 

そして、旧会津藩士の東海散士(柴四朗)の名を挙げる。

「かれは、農商務大臣谷干城の秘書官として、欧米視察(明治一九~二十年)の途次にセイロンのウラービーを訪れて、その人となりに感銘を受けている。東海散士も、会津の出身で<賊軍>の一党として差別されてきたせいか、エジプトで見た住民の悲運、貧富の差、西欧人による地元民蔑視などを、幕末会津の士民が陥った悲惨な環境と素直に比較できたのかもしれない」(250頁)。

 

埃及近世史』からは、白人によるカイロの現地民の愚民視に怒っている箇所を紹介し、『佳人之奇遇』からは、西洋列強の美辞麗句の裏の醜悪な抑圧、外債の募集の危険、不平等な関税などを紹介し、日本が亡国にならないための教訓を胸に刻んだ対話を紹介する。

 

柴四朗は、政治小説以外では、戊辰戦争以後の会津藩の悲劇の文脈や、あるいは逆に閔妃殺害に何らかの形で?関与したのではないかという文脈で知られているのかも知れない。

しかし、明治のあの時代に元会津藩士がイギリスのエジプト支配を見ていた世界性にも着目したいのである。

 

 

朝日新聞デジタルには同志社大学創立者新島襄が、セイロン島までウラービーを訪ねていたという記事がある。ちなみに大河ドラマ『八重の桜』でも有名になった新島八重こと、山本八重は会津藩山本覚馬の妹である(新島は安中藩出身)。

うーん、この辺、柴四朗と山本八重に接点はなかったのだろうか。知的好奇心を刺激されるのである。