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書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。

紹介ー池内恵氏著「約束の地と堕落した女ーアラブ知識人の見たアメリカ」-令和2年3月14日(土)

紹介ー池内恵氏著「約束の地と堕落した女ーアラブ知識人の見たアメリカ」-令和2年3月14日(土)

 

明治以降の日本の思想を考えるときに、無視出来ない文化圏がイスラムである。

 

大学・大学院時代の私の念頭に常にあったのは、なぜ日本の大学(例えば法学部)で、日本の思想を根拠に政治・法(家族制度・男女の関係なども含む)などが論じられるのではなく、欧米の市民革命や社会契約論などを判断の基準にしているのかという疑問であった。

  

少し関係のある過去記事:

book-zazen.hatenablog.com

これは何も皇室を戴く我が国だけの問題ではなく、旧約聖書を共通の聖典としながらも、欧米と異なる道を歩んできたイスラム教徒にも関係していることなのだと思う(大学とどう教えているかまでは知らないが)。

 

その意味で、アメリカのブラック・ムスリムは私にとって大変興味深い人々なのである。なぜなら、日本で「憧れられている」アメリカの中で、アメリカの世俗的な自由主義でもなく、キリスト教原理主義でもなく、規律正しいイスラムの信仰へと進んでいった人々だからだ。

 

彼らは音楽、映画、それにドラマなどで描かれている。

HBO(Home Box Office)のTVドラマで刑務所を描いた「OZ」(オズ)にも、ギャング出身のアフリカ系アメリカ人の受刑者と異なるグループとして、イスラム教徒が描かれている。彼らは規律を重視する集団なのである。ぜひ見て欲しい。

 

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(5:12 ギャング・グループから抜け出し、イスラム教徒になるところなどは感動的だ。そのあとはめられるのだが)。

  

だが、私はまだ思うように探求できていない。それが残念だ。

 そんな段階でも一読を奨めたいのが、「約束の地と堕落した女ーアラブ知識人の見たアメリカ」(池内恵イスラーム世界の論じ方』)だ。

 

 

紹介・池内恵氏著「約束の地と堕落した女ーアラブ知識人の見たアメリカ」(池内恵イスラーム世界の論じ方』中央公論新社、2008年)

 この論文で池内は二人の「アラブ知識人」を取り上げる。

「アラブ世界はアメリカをどう見てきたのだろうか」

「本稿ではアラブ世界のアメリカ観を、その初期の「出会い」の時期に遡って検討したい。ここで考察の対象とするのは、二人の代表的なアラブ知識人によるアメリカ紀行文である」(106頁)

 

そして池内氏は、二人のアラブ知識人の名を挙げるのである。1人はレバノンキリスト教徒フィリップ・ヒッティであり、もう一人はエジプトのイスラム教徒サイード・クトゥブである。

 

 

フィリップ・ヒッティ

第一次世界大戦前後にアメリカで学び、モダニズムの大衆文化に魅了され、アメリカ市民権をとって同化し、近代的なアラブ史叙述の定説と制度を打ち立てたフィリップ・ヒッティ」(106頁)

アメリカの特徴を「活力」「速度」というキーワードで表している。

では、そのアメリカは物質主義や拝金主義なのだろうか。ヒッティは否という。

寸暇を惜しんで経済活動に励む労働への情熱が、アメリカ人の卓越性をもたらしているのである。自助努力で何でも行い、実用的な知識欲が盛んである。

 

「ヒッティはアメリカの特徴を「活力」や「速度」によって代表させるが、それを単なる物質的な側面での優越と見なすのではなく、根底において確固とした労働の倫理に支えられたものととらえ、精神的な側面からも高く評価する」

「また「西洋」と「東洋」を二項対立的に対比させ、みずからを「東洋人」と規定するが、そこで「西洋」からの疎外感た「西洋」への反発を抱くのではなく、「東洋」の「停滞」を批判し、アメリカをプロテスタント優位の社会としながらも、非プロテスタントにも平等の権利と機会が保障された社会として評価する」(116頁)

 

池内氏は対照的なアラビア知識人としてエジプトのイスラム教徒サイイド・クトゥブを挙げる。

サイイド・クトゥブ

「近代派知識人として出発しながら、やがてイスラーム主義思想に転じ、過激派に理論的基礎を提供したサイイド・クトゥブ」(106頁)

「クトゥブは第二次世界大戦後のアメリカ体験について、アメリカや「西洋」一般への激しい拒絶勘定と敵意を剥き出しにした紀行文を記している」(106頁)

 

サイイド・クトゥブは、ムスリム同胞団のイデオローグとなった人物であると言えば、何となくイメージが湧くだろうか。

「クトゥブは現代のイスラーム主義の諸勢力、特に過激派・急進派が拠って立つ理念を論じる際に、必ず言及される思想家である」(119頁)。

ヨーロッパにはカール・シュミットもいれば、アラブにはサイイド・クトゥブもいる。世界には本当に様々な思想家がいる。こういうものを縦横に比較研究して、世に問う仕事がしたかった。中村元氏の比較思想研究のような。比較原理主義とか。

 

クトゥブは、1906年に上エジプト(ナイル川上流域)に生まれた。

ざっくり言うと、カイロ周辺でで教育を受け、ダール・アル=ウルームを卒業する。

そして文部省に採用され、初等教育アラビア語(国語?)教員を経て、文部行政の道を歩む。

*横田貴之氏の原理主義の潮流 ムスリム同胞団によると、「ダール・アル=ウルーム」は、一八七一年に出来た教員養成の師範学校であるとのこと(横田貴之『原理主義の潮流 ムスリム同胞団山川出版社、2009年、13頁)。

 またその間に、評論や小説なども発表する。

 

池内氏は指摘する。

「注目すべきは、クトゥブは文筆家としての出発点におていは近代派に属しており、西洋的な生活様式や文芸・評論ジャンルの導入に意を砕いていたことである」(119頁)

 

クトゥブは1951年頃、つまり我が国で言うと大東亜戦争敗戦から6年頃、ムスリム同胞団に接近し始め、1966年にはナセル政権下で刑死している。

*ナセル・・エジプトの軍人・政治家。一九五二年ナギブとともにクー・デターを指導。五四年ナギブを追放して首相、五六~七〇年大統領。アラブ民族主義を首相(一九一八-一九七〇) 広辞苑〔第五版〕1998年 

 

クトゥブは、1948年からアメリカにわたり、NY、ワシントンDCへ移った後、1949年にコロラド州グリーリーという町に6か月住むこととなった。

 

こうやって見ると偶然なのか何なのか、スパイクリーの『ブラッククランズマン』の舞台となったコロラドスプリングスに程近いことに気が付いた。映画からこの界隈が現在でも「保守的」な町であり、人種差別的な対立が存在するとの印象を受けるのである。

 

book-zazen.hatenablog.com

 「クトゥブはこの町のコロラド州師範学校に通いながら、学校や町のさまざまな行事に参加した」(121頁)

 

クトゥブはその体験を「私の見たアメリカー人間的価値の基準から」(1951年)として発表したのである。

 

その中でアメリカは「物質的発展の頂点に達しているにもかかわらず、人間性において最低辺に沈んでいる」存在だとされるのである(121頁)

 

 池内氏によると、クトゥブが特に嫌悪したのは「性的規範の弛緩」である。クトゥブの「私の見たアメリカ」は雑誌に三回に分けて発表されたものなのだが、その内半分がアメリカの性の乱れに対する批判だという。アメリカにおいて性は露骨に肉体と関わっており、クトゥブによれば、ダンスパーティーという形で教会までそれに関与しているという(122-123頁)。

 

池内氏はクトゥブのこの描写が当時のアメリカの真実を写し取っているかということよりも、クトゥブというアラブ知識人にこう見えていたという点に着目する。

 

池内氏は「私の見たアメリカ」の視点を、「いかなる物質的発展があろうともアメリカを「原始的」と断定し、なかでも、「性的な放縦」にまみれた「背徳」の社会としてとらえる」ものだと説く(127頁)。

 

クトゥブのアメリカ観は、クトゥブの研究者やイスラーム主義者、またジョン・グレイなどイギリスの思想家などにも注目されてきたという。孫引きになるが、アメリカ政府から委嘱された独立調査委員会の報告書『9・11報告書』に、おもしろい記述がある。

 

「クトゥブはいかなる場所にも罪を見出した。中西部の田舎の教会にさえも」(128頁)

 

「中西部の田舎の教会にさえも」いうのがおもしろい。実際、アメリカの公共ラジオ放送(NPR)によるとグリーリーという町は、「農業・畜産に精を出し、労働を通じた共同体建設をめざし、西部開拓時代のユートピア精神を体現した禁欲的な町」なのであって、堕落したイメージはなかったのだという。

池内氏は、「クトゥブがこのような禁欲的な町においてさえ、性的放縦を感じ取ってしまったのはなぜだろうか」と問うた上で、「ナイーブで内向的な」クトゥブの個人的な性格と、当時のエジプトの平均的な感覚の両方を挙げながら、イスラム教徒とクトゥブの見たキリスト教徒の性的規範の「分節化」の差を指摘する。少し長くなるが、重要だと思うの引用する。

  

イスラーム教の観点からは、人間の(基本的に男性の視点からの)性的欲求の存在を肯定し、それを「妻は四人まで」という規定に見られるように、明示された私的領域の内側に囲い込み、その中では開放する」(129頁)

「定められた指摘領域からはみ出す性交渉は逸脱として重罪と見なし、石打ちによる死刑といった極刑をもって処断する」(129頁-130頁)

「ハーレムへの女性隔離やヒジャーブによる男性の視線の遮断も、公的な領域で男女間の接触を極力減らすための仕組みである」(130頁)

 「「自由恋愛に基づいて形成される一夫一婦制の婚姻関係」のみを正当な性的関係と見なす近代キリスト教の性規範からは、婚前の男女に一定の接触の機会を与えることは当然に必要とされる」(130頁)

「その場を協会が提供し、聖職者とコミュニティの監視のもとに男女の出会いが行われることは、むしろ健全なことと見なされよう。ところがこれがクトゥブの目には若い男女が誘惑を繰り返す逸脱の饗宴を、こともあろうに協会が手引きしていると映ってしまったのだろう」(130頁)

  

 

池内氏は、「カソリック系白人」のヒッティとエジプト南部出身の褐色の肌を持つクトゥブのちがいを指摘しつつも、両者は「西洋」と「東洋」を「物質主義」「精神主義」という二項対立で捉える図式を共有しているとする。

とはいえ、ヒッティにとっては西洋と東洋は互いに通じ合うことができ、アメリカ人の労働には倫理的卓越性まで見ることができる存在なのだが、クトゥブにとっては「東洋」の「精神主義」が堕落した「西洋」に優位するのである。

クトゥブのこういう考え方のことを近代西洋諸国が「東洋」に向けたまなざし「オリエンタリズム」をちょうど逆にした「オクシデンタリズム」と池内氏は呼ぶ。

 

クトゥブのアメリカ観はアラブ諸国イスラム教徒全般にかなりの程度共有されているという。

 

 

感想

・私はサイイド・クトゥブの方により興味を持った。もっと詳しく言うと、10代前半ならヒッティ、20代後半ならクトゥブ、いまはヒッティ的な暮らしを夢見ながら、クトゥブに惹かれるものがあるといった所だろうか。

 

ナセルとクトゥブ・ムスリム同胞団の対立

クトゥブはナセル政権と対立し、弾圧を受けた(119頁)との記述があるが(クトゥブはイギリスに弾圧されたのではない点に注意!)、ナセルと聞いて私は葦津珍彦氏の西郷隆盛論『永遠の維新者』を思い出した。

葦津珍彦氏はその西郷隆盛論『永遠の維新者』の冒頭で、キューバ革命政権のチェ・ゲバラが、エジプト革命政府のナセルを訪問した時のエピソードを描いている。その際にナセル政権下で刑死したクトゥブやムスリム同胞団をもっと掘り下げていれば、葦津氏の属していた右派・愛国陣営・ナショナリスト・維新陣営が、アカデミック左派あるいは価値中立的な地域研究の研究者、あるいは地域経済研究者とは別に、もっと世界史レベルで広く深い、9・11テロにまで広がった視点を持てたのではないだろうか。

 

この辺り松本健一氏『大川周明』、『原理主義』あるいは竹内洋氏・佐藤卓己氏編『日本主義的教養の時代』までを視野に入れて、まとめてみたい。

 

一方、ヒッティによるアメリカ人の労働観は現在の私にとっても興味深い。確かに、自己啓発系ビジネス書として有名なコヴィー『七つの習慣』に限らず、アメリカ人のビジネス観、仕事観、労働観は単なる世俗化した利益追求主義とは言い難く、何かを探求している人々のようにも思える。アメリカ人の労働に倫理的卓性を見たという視点は興味深い。

  

オリエンタリズムオクシデンタリズム

・サイードの『オリエンタリズム』を読んでいない自分に気づいていたが、やっと機が熟して来た。

イードを持ち上げたいとかではなく、アジア主義や京都学派を論じるためにも、「オクシデンタリズム」について深めおきたいから。高山岩男氏の「モラリッシュ・エネルギー」とか。

 

イスラム

これから先は、中田考氏、小杉泰氏、臼杵陽氏らの本を読んで行くことになるのだろうけど、費用と置き場所に悩み、躊躇。