発端としてのイスラムー呉智英『封建主義者かく語りき』の序ついてー令和2年4月16日(木)
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昨年の御代替わりの陽気が、嘘のような世界になってしまいましたが、自分にできる考察を続けていくのみです。
なぜ私がイスラムのことを論じるのだろうか。
1つにはアメリカのドラマや映画で観たブラック・ムスリムが忘れられないこと。
また「イスラム原理主義」なるものが世界史で重要な存在となり、思想問題になっている時代に20代・30代を過ごしたこと。
さらには大川周明のような人物がイスラムに興味を持っていたことなどが挙げられる。
最近、ちょっとだけ持っていた山内昌之氏や池内恵氏のイスラム関係の本を再読したり、ムスリム同胞団の歴史について書かれてた本を読んで思い出した。
そういえば呉智英氏『封建主義者かく語りき』(史輝出版、1991年。原著は1981年に情報センター出版局から刊行)の序「封建主義について、一体何を知っているというのか」でも、イラン革命についての言及がある。
イラン革命の際に、「欧人女性記者」がホメイニにインタビューしたエピソードを引き合いに出し、世の「革命」が常に「進歩的」であると思い込む人々をわらったものである。
呉氏はこのあと儒教を軸に封建主義について熱を込めて語り始めるのであるが、もう一つ可能な議論の進め方としては、この時点でさらにイスラムの思想を掘り下げていれば、別の思想から世界情勢を論じられる可能性があったのではないかと思う。
研究室などで発表すれば、論文としては、発端として引き合いに出したイラン革命を主題として掘り下げるべきだという指摘が出るかも知れない。
もちろん呉氏の狙いは、あくまでも「封建主義」にあったのだから、別にイスラムを扱う必要はないのだが、別のものに発展していく可能性がある記述が冒頭にあったのだなと改めて思う。
私の持っている『封建主義者かく語りき』史輝出版の改題増補版で、1991年に出たものだ。古本で高校生の頃に手に入れた。嬉しかった。
もちろん今も昔もホメイニに興味は持っているのだが、一冊も読んでいない。そこまで手が回らないのである。金銭的にも。それよりも日本のものを優先してきたということもあるし。
でも今回は何か読んでみようと思う。以上