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書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。

「人生とは若さを失うことで何かを得る」。プロトレイルランナー鏑木毅氏のコラムを振り返るー日経整理ー平成31年4月21日(日)晴れ

「人生とは若さを失うことで何かを得る」。プロトレイルランナー鏑木毅氏のコラムを振り返るー日経整理ー平成31年4月21日(日)晴れ

 

しばらく、これといった更新を出来ていなかった。チェックしていただいていた方には申し訳ない。

 

買い物、クリーニング、洗濯それにバイクのメンテナンスが終わり、久しぶりに日経整理します。

 

プロトレイルランナー・鏑木毅氏のコラム「今日も走ろう」

 

新聞記者が書く看板コラムは、どの新聞でも大しておもしろくない(これまで朝日と日経しか取ったことがないが・・)。だから、「天声人語」だの何だのと言って、新聞のコラムを愛読することはないのだが、プロトレイルランナー・鏑木毅氏のコラムは興味をもって読んでいる。

 

日付をメモしていないが、本年2月ごろと思われる「ムダではなかった2浪体験」(夕刊6面の「くらしナビ」欄)と題したコラムが、最近では一番共感できた。

 

鏑木氏は早稲田に入るのに2浪人し、親しかった友人は1浪人でほぼ志望校に合格したという。その時に取り残されたと感じた気持ちを綴っている。ライバルの頑張りを見て苦しくなる自分。

なんとか合格した後も、空回りするスポーツ人生。腰の故障で箱根駅伝には出場できなかったという。

大学を卒業しても、県庁に就職したようだが、理想とは程遠く「人生を渡る上で特別なパスポートなどどこにもないと悟った」という。

 

私もそうだ。今日もバイクのメンテナンスの待ち時間、フードコートに行ったら、同世代の人たちには既に子供がおり、一緒に外食できるぐらい成長している。当然住む場所も確保できているのだろう。

生涯かけて追求したかったことを仕事にできなかった自分、転身せざるを得なかった進路は、単なる賃労働。家族を養えるほどでもない。この先の仕事もどうなるのかすら分からない。生きて行く上で仕方がないと我慢する日々。髪も後退し、白髪もまじるようになった。低空飛行の日々。

 

鏑木氏は自身の「八方ふさがり」の日々を振り返って、ようやく浪人していた時期を理解できるようになったという。

「少々物事がうまくいき、人からもてはやされるようになっても決しておごる気持ちにならず、逆にどん底の状況でもいつかはきっとうまくいくと思える」ようになったという。氏は人生の折り返し地点にたってそう思えるようになったという。

 

私はどうだろうか。多少人間的に幅が出てきたと思うが、ついぞ歴史に名を残すことはなかった。もう人生の時間も半分以上過ぎ去っていると思っている。明日死んだら後悔するような人生。こんなことなら生まれて来るんじゃなかった程度のもの。

 

鏑木毅氏のコラムがここからいくつか読めます。

日経へリンク:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41458600Z10C19A2KNTP00/

 

3月27日に「桜が思い出させる日々」

3月27日のタイトル「桜が思い出させる日々」の小見出し「綱渡りの生活も何とか人並みに」に惹かれて読んだ。

 

鏑木氏は、大学卒業後、県庁に就職したが、15年務めた後、トレイルランナーのプロとなるために退職したという。県庁時代の人間関係などは、別の日の記事にあったとおもうが、それは取っていない。

スポンサー探しに企業を回ったが、監督と間違われる年齢だったという(笑)。

私も30代を過ぎてこれといった職歴もなく、応募せざるを得なかった日々を思い出した。大学院は終了して3年以内だから、エントリーしたら、年齢を伝えただけで断られた。まあ、現在の社会からすれば当たり前だろうし、自業自得の人生だから別に恨みはしないが、苦しい経験は私にもある。

 

話しをコラムに戻すと、鏑木氏は安定した人生を捨て、プロトレイルランナーの道へと進みだしたのだが、家賃の支払いはもとより、遠征の渡航費の支払いなどに耐えられるのか夫人ともども金銭的には苦しい生活を送ることになったという。

 

10年が経ち、振り返ると、「綱渡りだった生活も何とか人並みに暮らしていけるように」なったという。また当時1万人ほどだった競技人口も30万人へと裾野が広がっているので、当然そのトップにである氏の関連本などの売り上げもあるのだろう。

「あの頃の努力で着々と培った実績がいまの地位と生活を築いてくれている」。「妻を路頭に迷わせないように、いつも胃がキリキリする思いで結果にこだわってきた」。

 

これが得たものであるとすれば、失ったものとは何か。それは「若さ」であるという。

「当時はどんなに貧しくとて軽んじられても実力で周囲を納得させられるという自身に満ちあふれていた」。「現在の自分にこのような自信はない。(中略)もし若い頃の力を今持てたらどんなに幸せだろうと思うこともしばしば」だという。

 

だが結局、人生とは「若さを失うことで何かを得る」ということだという。

 

髪の毛も後退し、白髪も混じり始めてきた私。目立った業績も残せなかった私。好きな道にも進めず、転身せざるを得なかった道も、狭く低い道だ。

自分の抱く信条も、いまをときめくような思想でもない。

 

あと10年後に自分は何をしているのだろう。もう人生の後半になるだろう。合掌。

 

この記事もおすすめ。

鏑木毅さんコラム「今日も走ろう」」「「時間ない」から頑張れる 補完関係の仕事と競技」

日経へのリンク:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43265660T00C19A4KNTP00/

 

 

 

C言語学習 4,5回目 & 本日買った本などー平成31年4月14日(土)晴れ

C言語学習 4,5回目 & 本日買った本などー平成31年4月14日(土)晴れ

 C言語の学習4,5回目。忙しい仕事の中で、予習・復習が結構きつい。

C言語を学習すると、他の言語の本も読めるようになってきた。ラテン語みたいなものだから、フランス語、イタリア語、スペイン語などとアクセスしやすくなるのである。

音楽で言えば、チャック・ベリーやジミー・ヘンドリックスみたいなものだろうか(ちがう?)。だから、布袋の音楽を聴いても出典が分かるみたいな・・・。

 問題解決力を身につけることが課題

でも、今直面している問題は、プログラミング言語の(初級)文法を学んだからといって、正確な文が書ける訳ではないし、ましてや問題解決のために手順を考えることができるようになるわけではないことである。

日本語が母語であっても、哲学論文を書けと言われれば、どこから書き始めていいか分からないだろう。英語の文法を知っていても、いきなりうまく文章を書ける訳ではないだろう。しかも個別の課題は、ある特定の問題解決なのである。問題解決の引き出しがないと解けないのである。中・高の学習参考書に『チャート式』というものがあったが、あそこに書かれているような問題のアプローチというか解法を知っていなければ解けないし、それを具体的な手順に落とし込まないといけないから、難しい。

数学的な思考力が必要とされる。

 

<今回学習した内容>

 今週は、繰り返し処理について学んだ。

・条件と比較演算子

・if文:天気によって、場合分けする。

・if~else文

・switch文:breakでループから脱出することが大事

・while文

・break 文とcontinue文

 

 

課題を何も見ずに解くことはできないが、岩波の情報処理入門コースの土井範久氏『基礎C言語』のサンプルコードを読解できるようになっている。この調子で他の積読になっていた本も読んでみたい。

人間いくつになっても出来るものだ。まだまだ学べるぞ!

 

<本日購入した本>

佐伯啓思西田幾多郎』(新潮新書、2014年)

*やっと買いました。精読し、記事を書く予定です。

・山口周『仕事選びのアートとサイエンス』(光文社新書、2019年)

*「天職」にたどり着くためのブリッジ(橋渡し)として購入。

・デイヴィッド・ボダニス『電気革命』(原題David Bodanis,"Electric Universe"。新潮文庫、2017年)

新潮文庫には文学作品だけではなく、「サイエンス&ヒストリーコレクション」というラインナップがあり、科学や数学の高度な知識がなくても読める作品が入っている。今C言語を学習していることで電気や電子、そして組み込み、IoTなどに興味をもっている。そもそも電気なるものがどうやって発見されたのか、知りたくなって購入。モールス、ファラデーは分かるが、チューリングもその「電気技師」的な側面が取り上げられているようなので興味を持った。哲学的にはヴィトゲンシュタインとの対決のあたりが興味深いが、イギリスのこういう「手わざ」的な側面はおもしろい。よく初級の英会話で「趣味は何ですか?」という時の「Hobby」は単に好きなこと(TV見るとか)ではないよ、と誰かに言われたことがあるが、イギリス社会のこういう「手わざ」的な側面を理解して初めて、「Hobby」という言葉の意味が分かるのだろうか。

 帰りの電車で少し読んだが、結構おもしろい。参考文献によると、かの有名なモールスが、近年「反知性主義」云々で有名になたリチャード・ホフスタッターの『アメリカ政治の誇大妄想的スタイル』に登場しているらしい。このタイトルのフレーズは副島氏の本で知っていたが、今回電気系の本を読んで、やっとアメリカ政治の用語についてイメージが湧いてきた。

 小林眞知子編著『明徳出版社の六十年と小林日出夫の想い出』(明徳出版社、平成二十五年)定価300円!

*「日本の思想家」、「王陽明全集」、「中国古典新書」などのシリーズなどで知っている人もいると思う。中国思想の棚を見ていたら、この回想本を見つけた。山田方谷、三島中洲、山田準、安岡正篤、岡田武彦・・・、この方々の名前が並んでいる明徳出版社がどういう書物を出版社なのか分かっていただけると思う。

 

本書は安岡正篤氏の教えで明徳出版社を始めた社長・小林日出夫氏の夫人・ 小林眞知子さんの回想と、出版物の歴史とその推薦文をまとめたもの。

五井昌久氏と安岡正篤氏との交流も描かれている。こういうつながりを描いた書物が好きだ。

 推薦文としては文芸評論家の福田恆存氏や松下電器経営者の松下幸之助さん、中国の科学の研究者の藪内清氏らの名前があるのが嬉しい。日本人としてこういう人たちが結集することがすごくうれしい。

 

福田恆存「祖父の良き遺産を受け継ごう」:「日本は西欧的な意味における思想家というものを生んではいない。なぜなら行動によって認識し、行動によって考えるというのが日本人の生き方だがらである。その根柢には、修身斉家治国平天下という儒学の倫理観・政治観があったからである」(155頁)。

私の問題にとっても重要な見解が、披露されている。

 

松下幸之助「日本人の心を失わないために」:「今日の日本で、最も心配なことは、不況でも資源の不足でもないと思う。そのようなことは考え方によれば人間の英知と努力でいくらでも解決できるといえようが、現在、この時機を逃しては取り返しのつかぬ大事な問題があると思う。それは、人間、それ自体の自覚と形成である。国家も企業も、百年の計はまさに人を樹うるにある」(156-157頁)。

「この人材を作る上で、一番大切なことは、日本人は日本の心を失ってはならぬということではなかろうか。経済も大切だが、人間が国民が、真の自己を喪失することがあってはならない。それでは日本人の心とは何か、それは現在の日本、今日の自分をあらしめた歴史と伝統であろう」(157頁)

 

経営的に苦しく、経済に苦しめられた人生を明徳出版社に捧げた小林夫妻。

西田哲学の主流派研究者が、マルクス主義系の出版社から本を出すのを見るにつけ、明徳出版社の歴史にあらためて胸を打たれるものがあった。

福田、松下両氏も重視していた明徳出版社の本。私も出来る限り購入しようと思う。

 

<購入を見送った本>

延江浩『愛国とノーサイド松任谷家と頭山家』(講談社、2017年)

*ずっと気になっていた本だ。戦前に有名だった、愛国系の人々が戦後をどのように生きてきたのか。その家族を含めて。未だ読んでないが、臣籍降下した皇族については竹田恒泰氏が詳しいのだろうが、この本ではかの有名な頭山満と戦後J-POPの代表的なアーティスト松任谷由美さん(の夫の方なのか?)の家と関係していたという大変興味深い本。こういう結びつきを描いた本が私は好きなのだ。

本屋で内容を確認し、頭山家と日本赤軍の重信家の人が関係しているということまで書いてあったから、「これは買いだ!」とレジまで持っていった。最後まで迷ったが、やはり購入を見送った。その理由は、様々な人々と頭山家の結びつきを描いていて貴重だが、一回読めば済む話であるし、一般人の私にはセレブの世界のようで、遠い世界の出来事であるし、何よりも思想的な考察が不足しているように感じたから(例えば、頭山家と重信家の人がつながりがあることは思想的にどのような意味があり、どのような波及効果があるのかなどの考察)、手元に置いておくべき本ではないと考えた。購入すると今のお金が減るだけではなく、場所も取るし、手放すタイミングに悩むことになるから、いまの私にとっては心理的負担。しかも私は、頭山家とは何の関係もないからもっていても仕方がない。

でもおもしろそうな本だから、図書館で予約はした。いつか記事にします。

 

そのほか、外山恒一氏の復刊本も出ていた。今回は購入しなかったが、外山氏の本が新刊として出回る期間は限られているかも知れないから、気が付いたら購入すべきか。

 

松浦光修氏による西田幾多郎の援用についてー平成31年4月7日(日)晴れ

 松浦光修氏による西田幾多郎の援用についてー平成31年4月7日(日)晴れ

1.問題提起 

寄り道をしながら、松浦光修氏の『明治維新という大業』を読み進めている。

通勤中は、ドストエフスキーの『悪霊』(やっと下巻の中盤らへんまで進んだ)やその時々に読みたいものを読んでいるから、なかなかまとめきれていない。

 

松浦氏は『明治維新という大業』の中で、「革命」と「維新」の区別を論じた際に、西田幾多郎による昭和天皇への御進講を「卓見」と評して、好意的に引用している。(私の本棚にはもはや西田哲学関係のものが残っていないので、松浦氏の本から引用する)。

「歴史は、いつも過去・未来を含んだ現在の意識を持つものと、思います。ゆえに私は、わが国においては肇国の精神に還ることは、ただ古に還ることだけではなく、いつもさらに新たな時代に踏み出すことと存じます。復古ということは、いつも維新ということと存じます」(御進講草案)(松浦・上掲書、291-292頁)

 そもそも松浦氏は15年前ぐらい神武天皇実在論を説いた「二千年目の小夜嵐」(『やまと心のシンフォニー』国書刊行会、平成十四年所収)でも、西田幾多郎の同じ言葉を引用していた(西田幾多郎の昭和十六年の御進講とのこと。25頁)。それだけ松浦氏が西田幾多郎のこの言葉を重く見ているということだろう。それはそれでいいのだが、『やまと心のシンフォニー』を読んだ15年ぐらい前の私は、素朴に感動したはずだ。あの日本が生んだ哲学者たる西田幾多郎が御進講をし、「維新」について論じている。そう思って感動したはずだ。だが、それから15年ほどたったいまではむしろ白けている。西田幾多郎は、松浦氏が属する「維新派」の権威として持ち出すべき人物なのだろうか。西田幾多郎が言いたかったのは、当時言いたかったのは我が国の「維新」の精神などであろうか。10年ぶりぐらいに松浦氏の新著に接して、疑問を感じた。

 

2.西田幾多郎の政治的立場

この節では、植村和秀氏『「日本」への問いをめぐる闘争ー京都学派と原理日本社』(ミネルヴァ書房、2007年)を参考にして述べる。この本が好きだし、上述の通り、自宅には、もはや西田哲学に関する文献がないからだ。

 

第五章「京都学派対原理日本社」に「西田幾多郎の実践」と題した小見出しがある。ここで植村氏は、西田が御進講を通じて日本が「世界史的立場」を体現すべきであると主張したという。国家主義も他国を侵すような国家主義ではなく、それぞれの国家がそれぞれの位置を占めるべきだとする。個人主義は時代遅れだが、個人を否定する全体主義も過去のものである。そして、皇室を中心に創造的な新しい時代を築くことを主張する。

 

「西田は、日本が皇室を中心に創造的であり続けてきたことを強調し、今また再び、創造的に「新ナ時代ニ踏ミ出ス」ことを希望する」(植村・上掲書。265頁)

 

「皇室中心」ならば、松浦氏と一緒じゃないかと思われるかも知れないが、西田幾多郎は常識的な明治人として言っただけではないのか。また維新の意義にしても、今の私にとっては、西田幾多郎が「復古主義」的な思想や勢力を嫌って、「意味の争奪戦」をしているようにしか思えない。復古主義者、日本主義者、国家主義者、全体主義者らを嫌いつつも、彼らが好んで用いるような言葉を、より「開かれた」、自由で、創造的な意味を付与しようとしての事に見える。出典のないまま恐縮だが、西田幾多郎学習院での乃木希典にも好意的ではなかったし、大東亜戦争にも批判的で、とても松浦氏の諸著作となじむ政治的考えや思想を持っていたと思えない。もはや関連書を捨ててしまって引用できないから、無責任と言われれば甘受するが、西田哲学の研究書や解説書などを読めば分かるはずである。一部、西郷隆盛雲井龍雄などを褒めた発言があったはずだが、それにしても何をどれぐらい言いたかったのか分からない。

もちろん西田幾多郎自身の真意は、本人に尋ねる他ないのだが、私が知っている限り、西田哲学の原典を読解できる人たち(あくまでも「読解ができる人たち」だが)の主流は、

(1)西田幾多郎は、日本主義的な言葉を用いても、そこに「開かれた」意味を付与するという「意味の争奪戦」をやっていた。だから、西田幾多郎の言葉をそのまま用いて、日本賛美の方向に持っていくことも、体制的な言辞を吐いたなどと言って批判することも、的外れなのである。

(2)とはいえ、それでも大日本帝国や戦争に協力したのなら、その点は「飲めない」として、批判するのである。

これが大体いまの西田哲学の研究者の主流の見解である。

 

だから、西田幾多郎を援用して、皇室や日本を語ることには慎重にならざるを得ないし、私などはもはや西田幾多郎が生き返り、その真意が確かめられない以上、彼の言葉を用いて日本への信仰や愛を語ることを警戒している。ただし、私のこのイメージは、現在の研究に相当影響受けているからかも知れない。だから、私の方が間違っている可能性はある。いや、西田幾多郎はそんな人物ではないというのならば、逆に教えてもらいたい。 それによってイメージが変えることができるのならば、私にとっては逆に幸せなのだから(だから鹿児島の友人を批判しているのではないよ。念のため・・・。)。

だが、おそらくそのようなことにはなるまい。佐伯啓思氏の西田論はまだ読んでいない。読めば重要なことが書いてあるのだろうが、西田哲学の解釈については原典を読むことに長けた(だけの)人や、概念学問に長けた(だけの)人には、「学術的」にはかなわないだろう。佐伯氏の思想が素晴らしくても、西田哲学を援用して語ることは難しいのではないだろうか。

 

結局、「皇国史観」の平泉澄や「大日本言論報国会」の徳富蘇峰らを仰ぐ文章「二つの史魂」を発表する松浦氏、徳富蘇峰のことを平泉氏の視点を借りて、「日本の学界・言論界の良心」(『やまと心のシンフォニー』国書刊行会、平成十四年所収、198頁)と言う松浦氏が、大東亜戦争時の徳富蘇峰のことを死ぬほど嫌いだった西田幾多郎の文章を引用するのを見る時、まだ乗り越えねばならぬものがあるなと感じるのである。それはどのような方向にであろうか。

 

閑話休題:友人よりの意見

このあたりまで書いたところで、文中に登場する友人よりメールをいただき、すぐさま電話で会話した。

 

友人によると「自分は西田幾多郎の言葉を使って、日本への信仰や愛を語ったつもりはない」「西田幾多郎倫理学説を日本思想史上に位置付けて、それを批判的に検討したいというのが自分の課題」との旨の内容であった。

 

内心、友人の反応が気になっていたから、メールをくれてうれしかった。

 

私としては、一緒に学んだ割には、その点突っ込んだ話をしたことがなかったかも知れない。ブログの記事はあくまでも、その著作を好感をもって読んできた「維新派」の松浦氏が「岩波文化人」の一人のような西田幾多郎の言葉を用いて語ることに問題はないかということを書いたものであった、と説明させてもらった。

 

さらに、友人が日本倫理思想史の相良亨氏などの著作に親しんでいたこと、西田幾多郎の「日本文化の問題」などのテクストは問題のあるものだとみなされている現状などを話し合った。

 

もっと長く話していたかったが、翌日仕事があるからと、ひとまず電話を切った。

でも嬉しかった。研究室にいたころには頻繁に話す機会があったが、お互いそれぞれちがう道を歩んでいるから、哲学や日本思想の話をすることなどなかった。久しぶりにこういう会話が出来て良かった。ありがとう。

 

3.西田幾多郎よりも西晋一郎を重視するー野口恒樹氏「過去一世紀のわが国倫理哲学の歩み」(下村寅太郎編『我汝哲学の立場』南窓社、1989年)

 奥付によると、野口恒樹氏は1901年に福岡に生まれ、1926年に京都帝国大学文学部哲学科を卒業している。そして後半生は、皇学館大学の教授となった人物である。私が野口氏を知ったのは、個人主義を根拠としない人間観を探求していた時の文献探索においてである。それ以来古本屋で探し、主要な著作はいまでも保持している。

 

本来著者が序言を書くべきかも知れないが、このとき野口氏は既に「重病の床」にあったという。編者の下村寅太郎氏の序言によれば、野口氏と下村氏とは旧制第三高等学校で同期で親友だったらしい。そして同じ時期に京都大学に進学し、西田幾多郎から学んだというのである。二人は、「学問的志向」も「関心」 も異なっていたが、「和して同せず」で長年の親交を保ってきたという(私も友人とはこうありたいものだ)。

著者の野口氏のことを下村氏はこう評する。

「いかなる境遇においても、いかなる時運に遭っても、いささかも動ずることなく、「吾が道を往く」操守を堅持した人物であつて、当代稀な人格である。長き交友を享受した所以である。」(1頁)。

 

これは大東亜戦争の敗戦の時のことを言ったものだろうか? 

 

「西田先生の許にありながら西田哲学派に連ならなかつたこともその面目を示すものである」(1頁、強調引用者)。

 

思想内容はもちろんのこと、所属、発表媒体などから考えて、私は野口氏のことを「民族派」の哲学者だと考えている。「普遍的」な学問の哲学(えっ?ほんと?急進的な人たちの方がそれだけでも「哲学的」と見られがちじゃないのか。)と民族派的な情熱は両立するのかという疑問を持つ人もあるだろう。だったら、「民族派 meets Philosophy」(哲学に出会った民族派)でもいい。

 

下村寅太郎とともに西田幾多郎のもとで学び、戦後皇学館大学の教授となった野口氏。松浦氏と同じ皇学館大学の教授たる野口氏は、我が国の倫理思想をどう見ていたか。

野口氏は、井上哲次郎西田幾多郎西晋一郎を比較して、西晋一郎の重要性を説くのである。

 

論文「過去一世紀のわが国倫理哲学の歩み」

昭和五十二年、『藝林』誌発表されたもの。

序において野口氏は、伝統思想維持の観点、西洋哲学移植の観点、西洋哲学を媒介として伝統思想を発展させる観点の三つの観点を設定する。それぞれの代表者として、井上哲次郎西田幾多郎西晋一郎を挙げる。

しかし、井上はドイツ哲学の輸入者でもあるし、西田幾多郎は禅や親鸞などの仏教をも掘り下げて、哲学を展開した哲学者なのだから、この分類は単純にすぎるとも思われるだろう。この点については、野口氏もつぎのように断る。

 

「この様な三者の位置づけに対しては恐らく、異論が出ることであろう。即ち井上哲次郎を単に伝統保守の人となすことに対しては、井上は若くして独逸に留学し、ドイツ哲学を学ぶ必要を説き(以下、略す)」(140頁)

 

西田幾多郎は単に西洋哲学を輸入移植するにとどまらず、その思想の根柢は東洋特に仏教の禅並びに浄土教にあり、この根柢の上に西洋哲学を消化して独自の哲学体系を立て、初めて日本哲学を独立せしめたその人ではいか(以下、略す)」(同頁)

 

野口氏は当然このような反論を予期しているし、その意見も認めてはいる。しかし、こと倫理学や実践哲学の領域においては、当てはまるのであると主張する。

一.伝統的道徳思想維持者としての井上哲次郎(p.140~)

明治以降の伝統道徳思想の問題、とりわけ維持の方向で考えた場合に、欠かせない人名として、野口氏は三人挙げる。

西村茂樹井上哲次郎、吉田熊次である。吉田は井上の弟子にあたる。吉田の問題意識があらわれている文章を紹介する。明治七年(1874)に生まれた吉田は、明治四十年に欧米留学より帰国する。そして、教育に情熱を燃やす吉田は地方の教育者に接し、ある問題に直面することになる。それは教育勅語によって教育をしている教員たちが、自分の信奉しているのは自我実現や人格実現という考え方であったという問題である。そういう考え方と徳育上の教育勅語との関係をどう考えたらよいのかという問題に直面するのである。

 吉田は東大において教育学や教育史を担当していたが、担当科目のほかに国民道徳や教育勅語の倫理的基礎づけに関する著作を著わしていたという。

「国民道徳護持派の強みは、国民教育と云ふ現実の実事を常に眼中において、これを背負ふがゆえに西洋の倫理説に対決せんとする所にあり、単に真理の普遍性や論理の斉合性だけでは、片附けられないものに直面している」(144頁)。

二.倫理学を含む西洋哲学移植者の代表としての西田幾多郎(p.145~)

この節では、西田幾多郎の哲学的な思索力やインパクトを評価しながらも、その倫理学説の貧弱さ、とりわけ国民道徳に対する態度を『善の研究』第三編「善」を題材に批判される。

 「西田幾多郎は「善の研究」の後、倫理道徳については「芸術と道徳」の著があるのみでである。この書における道徳論は極めて一般的であり、固より国民道徳に関するものではない。従って西田の道徳論或いは倫理学は、結局「善の研究」の第三編善は西洋伝来の「人格実現」説であるから、倫理道徳或いは実践哲学の観点から見る限り、西田哲学は西洋哲学の受容移植はであると見ても、あながち不当ではないであろう」(149頁)。

(吉田熊次の明治四十三年の著『教育的倫理学』に触れた後で)「翌明治四十四年に」刊行された西田幾多郎の「善の研究」がその第三編に於て西洋の倫理学説のみを論評して、我が国の道徳に全く触れる所がなく、且つ自らは人格実現説を自己の立場として主張してゐるのみで、吉田熊次の所謂本邦固有の道徳と西洋倫理思想との融和問題」

和辻哲郎について

また、昭和十二年の論文「普遍的道徳と国民道徳」で国民道徳の重要性を説いた和辻哲郎も、敗戦を機に自己保身を図り、国民道徳を捨ててしまったと批判される。

「占領軍司令官マッカーサーの峻厳なる占領政策を見ては、君子も豹変して筆を曲げざるを得なかったのである」(150頁)。

「和辻は日本のフィヒテではなかった。やはり昨日はこちらの岸に咲き、今日はあちらの岸に咲く浮き草の類でしかなかった」(150頁)。

 

「国民道徳」に対する態度のみならず、「間柄」や「人倫」などを概念化して論じた和辻の倫理学を視野に入れる必要があると思うが、敗戦の際に、どのような態度で「国民道徳」を扱ったかという点が野口氏においては重視されている。

三.西洋哲学を媒介として伝統思想を発展させる代表としての西晋一郎(p.153~)

前節までにおいて、著者は井上哲次郎らの国民道徳派と西田幾多郎のような西洋の倫理思想依拠派とに分け、この二派が明治・大正・昭和を貫いていた対立であると指摘し、いまやその綜合が必要となってくるのである。その綜合者として野口氏が考えるのが西晋一郎である。今日、一部の人を除いて、その教えがほとんど知られていない。

この節では、『普遍への復帰と報謝の生活』、『東洋倫理』、『国民道徳講話』、『忠孝論』などを題材に西晋一郎がわが国の国民にとって、重要であると説くのである。

 

西晋一郎の初志は、我が国古来の教訓と西洋の学問の論理性や厳密性を統合したいという気持ちである。道徳に関する「和魂洋才」とでも言うべきだろうか。

 

 

4.縄田二郎氏『西晋一郎の生涯と思想』(五曜書房、2003年)

私はこの本を2010年2月26日(金)14時35分に大学生協で購入した。レシートが挟まっていたから分かるのである。懐かしきわが大学時代。自分の好きな思想を、気の赴くままに読んでいた良き時代。それに比べて今は低空飛行。

 

私が西晋一郎のことを知ったのは、成人してからである。この間は、琵琶湖の東・長浜町の国友一貫斎や国友鉄砲の里を調べに行ったが、20代後半の私は、琵琶湖の西にある陽明学者・中江藤樹のことを調べに、安曇川にある中江藤樹記念館などに行ったのである。そこで「西に西あり」として、西田幾多郎と並び称された哲学者として、西晋一郎という人がいたということを知った。西は、中江藤樹を顕彰する活動をしていたから、ここにつながりがあったのである。とはいえ、「西に西あり」というコピーはお世辞にもかっこいいとはいえなかったが、その後何かのきっかけで西晋一郎の存在(思想はまだ詳しく知っているとは言えない)が私にとって重要なものになってきたのである。

 

著者について

著者の縄田氏は、明治43年山口県宇部市に生まれた。昭和9年に広島高等師範学校を、昭和17年に広島文理科大学哲学科を卒業し、翌20年には研究科を修了している。職業としては、小学校や高校の教員から、短大や広島女子大学の教授を歴任している。西晋一郎は著者にとって、大学時代の先生にあたる。

 

伝記的事実

 西田幾多郎西晋一郎も北條時敬(ときゆき。数学が専門であるが、教育者として名を残す。今日では西田幾多郎を支援したことで記憶されている。)の薫陶を受けていたことが分かる。西田幾多郎だけが北條の期待を背負っていた訳ではないのである。

 

西哲学

「西哲学は、現実具体の実践倫理を究明しようとしたものであり、抽象的観念を体系化する理論哲学を樹立することは、西の念頭になかった」(4頁)。

*そうなると、いまの哲学研究者が研究しにくいかも知れない。とはいえ、フィヒテ研究でも有名な隈本忠敬氏西晋一郎の哲学』(溪水社、平成7年)という論文集があり、哲学的な内容を扱っている。溪水社は、広島県にある出版社。

「実践とは、現実具体の家族・国家その他の人倫関係と相即不離のものである。こういう考え方で成立した西哲学が明治国家と運命をともにするのは、歴史の必然であるともいうべきであろうか」

*同じ「人倫」という言葉を重視していても和辻以上に和辻なのが、西晋一郎なんだろうか。

第三章 高等学校・再学時代の西(16頁~)

・大学で哲学を修める者は、予科のとき数学が必修科目とされていたという(17頁)

*私個人は語学はともかく、習った以上の数学はできなかった。

・学生時代からカントおよびその学派を研究し、哲学に必要な論理的思索方法を学んだ(22頁)

 

第四章 北條時敬の感化(26頁~)

・北條は、乃木将軍を尊敬していたという(40頁)。

*このあたり西田幾多郎と比較する必要がある。

・北條の本領は禅にあったともいう(42頁)

西晋一郎は、北條から広島高等師範学校に推挙されて、11年間、影響を受け続けた(48頁)。

・「このころ北条校長は、西教授に、倫理学の授業は、西洋倫理学だけではなく、たとえば水戸学によって国民道徳の講義をするように指示し、そのとき西はあまり気が進まなかったと述懐している」(50頁)。

 

第五章 西と西田の関係(56頁~)

本章は、同じ北條時敬に薫陶を受けた二人、西田幾多郎西晋一郎を対比している点で非常に興味深い。 

西田幾多郎鈴木大拙宛書簡:soul experience

・「西田哲学は、精密な論理的思索による真理の追究であるのに対し、西哲学派、はじめから先哲の教訓に真理があると信じ、その真理を現実具体的に体験することを究極のねらいとするものである」(60頁)

*そうなってくると懐疑を特徴とする意味での「哲学」と呼ぶべきかが問題となる。だが、哲学とはそもそも何なのか。

 

西晋一郎には16歳年少の恒次郎は、大正十三年に西田幾多郎の家族が病気になったとき来診を乞われたという(63頁)。

・(西の思索について)「最初から聖賢・先哲の教えに真理があると信じていたので、結論は、思索以前にあったといえよう」(64頁)

*こうなってくると現在の哲学研究者や哲学好きからは、「哲学じゃない」と言われそうだ。

・「西は、理論を無上のものとしないで、理論よりも実践の真実を求めた」

・「西哲学に理論がないのではなく、その論理が儒学、特に宋学の発想法に従っていることが多いため、漢文の古典になれない人は、西の文章を読んでその意味が十分に把握できないことが起こるのである」(65頁)。

 ・西田は政府の教学刷新評議会の委員に就任したが、当時の文教政策に呆れていた(67頁)。

・当時、簑田胸喜らが西田を攻撃し始めたので、西は西田が誤解されていると考え、西田に教学刷新運動に積極的に参加を求めるため、高橋里美に橋渡しを依頼していたという(69頁)。

・西田は立場が違ってからも、西には一目置いていたが、現実の認識が不足し、文教政策に関与しすぎている西に対して憤慨し、厳しい言葉を発したという(71頁)。

・西に対する興味を失った西田だが、昭和十八年ごろに『世界開闢即肇国』という西が国民精神文化研究所から昭和九年に刊行したパンフレットを持っていないかと知人に訪ねている(73頁)。とはいえ、(この本が対象かどうかは分からないが)西の説くところには納得できないとしている(74頁)。

 

・「西田が大東亜戦争(当時の用語)に対して、はじめから疑惑をもち、軍部や文部省の動きに対して絶えず、批判していたのに対して、西は、国家の方針に全面的に協力し、君に忠とは、善悪の彼岸にある絶対的なものとしたが、この思想と実践についても別に考察を要する。戦後の日本の思想界では、西哲学が正面から相手にされないのは、ある意味で自然であるが・・・」(78頁)

*松浦氏が西田幾多郎の言葉を引用するならば、大東亜戦争やこれに至るまでの文教政策に対する批判などを考慮に入れた上で、何らかのコメントをしてから、読者に語るべきだと思う。

・「西に晩年の論述は、もはや哲学論ではなく、西田が理論的に不完全という教学説そのものになっている」(88頁)。

*だから縄田氏は、西を単なる哲学者ではなく教学の師と見るべきだと説くのだが、今日「哲学者」として私などが想像するのはどうしても「駒場ソクラテス大森荘蔵氏やいろんな意味で「天然の哲学者」ともいうべき永井均氏らである。ああいうむき出しの思考を「哲学」と呼んでしまう。だが、彼らの本を読んでいても人格的感化を受けない。人格的感化と思索力を併せ持った人物。日本への愛と普遍的な思索力を持った人物。そういう人物が出現することを、私は待望している。佐伯啓思氏の講演会でも質問した事だが。そういう人物が次世代から現れることを熱望する。日本人の中からそういう人物が出て欲しい。私はそのような人物ではなかった。歴史に名を残さずに、くたびれ果てて死んでいくだろう。5年先にどうなっているかも分からない。低空飛行が取り柄の男である。だが、単にむき出しの思索力があるだけではなく、日本への信を持った人物であり、日本人に人格的感化を及ぼす人物が出てきてほしい。これは単なる政治的な愛国心というレベルでなく、宗教的なメシア待望のような心の叫びなのである。思索だけすごくてもダメだ。人格がともなっていなければ尊敬できない。いかに抽象的な思索力や概念操作力、読解力だけ凄くてもそれは、凄くないのであると言いたい。メシアを待望している。

 

第六章 西の研究生活(92頁)

 

(以下、作成中)

【関連人物】

・堀維孝:明治元年(1868)、山形庄内藩生まれ。西田幾多郎と金沢・四高で同僚。西と西田の間を取り持つ(59頁)。

・井上順理(まさみち)、木南卓一

西の中学校五年生の時の成績を調べた二人(13頁)

・森信三

 

 

春の大学図書館へー平成31年4月6日(土)晴れ

今週は仕事が忙しく、やっと週末になった感じ。

 

今週はC言語のレッスン予約を入れてないから、週末はゆっくりとい過ごしたい。

 

自分のための時間。大学図書館に調べものに行きました。

 

入学シーズンなので学生でいっぱいかなと思っていたら、それほどではなかった。

 

春のあの雰囲気が好きなのに。食堂のおばちゃんと話していて、こちらのキャンパスは、対象となる学部の変更以降、地味な感じになったとのこと。私(筆者)の学生時代は、応援団も来て、昼休みはにぎやかでしたよ、などとおしゃべりしていました。

そうか地味になったのか。まあ、今日学生は花見に行っているのかも知れない。今週末は天気もいいし、見ごろだろう。

 

日本の名著の「三浦梅園」の巻を返却。持っていても、いまは読みとおす時間がない。またいつか友人と勉強会ができればな。

関孝和の解説本も返却。いまは読みとおせない。ざっと見ることもできなかった。反省。

エリボンの『ミシェル・フーコー伝』「禅とカリフォルニア」を複写。明日に記事にしよう。大した内容ではなかったが、大したものではないと分かることも調査の結果のひとつ。

 

あらたに借りた本としては、

オライリーから出ている『ランド・オブ・リスプ』。プログラミング言語Lispのおもしろい解説書。最初の部分でLispの特徴が分かるすぐれもの。Cと一緒に他も見てやろう。

・『西谷啓治著作集 第20巻』

「宗教と人生」など、大森曹玄翁を読んでいて、久しぶりに読みたくなった。春のこの季節、学生時代を思い出す。もうほとんど興味を失っていたから。

 

現実の中で、身動きとれず、歳だけが増えていき、どうしようもなくなる。帰り道、大学の方へ、スポーツカーが入って行った。そのあと、オープンカーに追い抜かされた。

私はちょっとしたバイクで移動。いまの自分を象徴しているような風景。

貧乏くじを引いた人生だな。ネガティブな事ばかり言うけど、元気がでないよ。

 

家に帰り布団を干し、シーツを替える。シーツを替えるのがすごい大変。主婦の苦労が身にしみて分かります。みんなどうしてるのかな。ふとん乾燥機を買ったとしても、シーツ替えが大変。

 

スーツをクリーニングへ。メンテナンスが大事と分かっていても、クリーニング代が高い。新しいものを買うのとちがって、クリーニングに費やすお金は前向きになれず、苦しい。クリーニング代の哲学を出したいぐらいだ。クリーニング代が人生にとって意味するものとは、どのようなものか。

 

そんなこんなで夜になった。「オールスター感謝祭」を見ながら、十字軍のゲームをしてしまった。

 

残りの人生、どうなるのだろう。このまま死んだら絶対後悔するけど、どうしたらいいか分からない。

 

また明日記事書きます。身辺雑記ではなく、内容のある記事。

 

 

 

 

いつまで by Yohei

いつまで by Yohei

 

あといつまで

俺はこんな立場でいるんだ

大事なことが少ししか進まない毎日

 

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Sakura

桜が咲いても 俺の人生は咲かない

 空が晴れても 俺の心は晴れない

もう一生晴れないんだ 俺の心は

  

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Blue Sky

 

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Crow

あのカラスが俺

一人で暗い人生歩んでる

大事なものを失い

死んだように生きている

 

あといつまで、あといつまで

こんな状態で生きるのか

 

あといつまで、 あといつまで

俺はここに いるのか

 

もういいよ しんどいよ

何時間も興味のないことをする毎日

 

全人生 自分のことに捧げたい

チャック・ベリーを聴きながら

本物に囲まれながら

生きている 生まれた意味をかみしめながら

 

また仮面の中へ