源流紀行☆浜松篇 四 遠州森 令和五年八月某日 晴れ
「森の石松」で有名な遠州森まで来ました。(といっても、去年の話しになりましたが。)
駅前には特に何もないが、観光案内所があったので、地図をもらいました。
地元の人は「森はええとこよ」と言っていました。
地図を頼りに徒歩で行ける範囲内で行こうと思いましたが、暑いのです・・・・。本当に暑いのです。
「森の石松」の墓や清水次郎長翁之碑がある大洞院まで徒歩で行くことは難しく、バスもまばらでした。そこで蓮華寺とその横にあった歴史民俗資料館に立ち寄ってきました。
歴史民俗資料館の職員の方が、遠州森についていろいろ教えてくれました。(去年のことなので、断片的なメモではあるが)
今は何の刺激もない町であるが・・・・
・お茶の産業で栄えていたこと。
・人・モノ・金が流通し、情報が集まってきていた。
・ヤマハ・河合は浜松の企業というイメージだが河合創業者の奥さんは森出身であるとかの人的交流。
・鋳物師:徳川家康から朱印状をもらっていた。鈴木藤三郎の製糖業の自作の機械へとつながる?
→大日本精糖・ウーロン茶?台湾?
・報徳
・浪曲
・渋沢栄一
・和紙
聞いた直後には話がつながっていたのだが、もう断片的にしか覚えていない。
だが、経済的な繁栄は戦後のみに根拠があるのではなく、明治以前、「前近代」と呼ばれる時代にもその萌芽が見られるという実感を強く持った。
「プロト工業化」という語についても理解を深めていきたい。