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書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

「人生はサーカスの連続」ーウィリアム・H・マクレイヴン『1日1つ、なしとげる!-米海軍特殊部隊SEALsの教え』(講談社、2017年)令和元年9月10日(火)

「人生はサーカスの連続」ーウィリアム・H・マクレイヴン『1日1つ、なしとげる!-米海軍特殊部隊SEALsの教え』(講談社、2017年)令和元年9月10日(火)

「人生は不公平であり、何度も失敗するけれど、リスクを恐れず、本当に辛く苦しいときこそ前に進み、いじめに果敢に立ち向かい、虐げられた人々を奮い立たせ、決してあきらめない」(2014年テキサス大学卒業式スピーチより、148頁)

 

久しぶりに寝付けなかった。憧れていた女性が結婚したと聞いたからだ。

 

さて、アメリカン・スナイパービンラディン殺害作戦の成功など、ネイヴィー・シールズの活躍は名高い。同じ現代の男として、彼らは一体なぜこのような行動ができるのか、その源泉が知りたかった。

 

その解答の1つとして本書を選んだ。

 

印象に残った点は多々あるが、いまの自分の人生の段階で共感できるのは、「サーカス」と呼ばれる話である。

 

「サーカス」というのは、1日の訓練の成績が基準に満たさなかったときに課される、2時間の居残り訓練で、限界の極致まで体力を奪われるという。しかもそのせいで、翌日の訓練はきつくなり、さらにサーカスを課される可能性が高くなる。

 

屈強で知られたシールズの候補生たちも、この「サーカス」だけは恐れていたという。

 

だが、「サーカス」を課されている内に、著者は気づいた。自分はだんだん強くなっていることに。落ちこぼれて課せられた「サーカス」を耐えて行く内に、身心ともに強靭となっていったのだ。

 

私もいま人生の「サーカス」の真っ最中だ。強靭になれるのかは分からない。自分に才能があるのかも分からない。でも著者は言う。

 

「人生はサーカスの連続です。誰もが必ず失敗します。何度も失敗を経験することでしょう。それは苦しく辛いものです。心が折れることでしょう。ときには徹底的に自分を試されるほど辛い試練もあります」(138頁)

 

 

シールズのメンバーであっても、「サーカス」からは逃げられないという。だがその中で強靭化してきた著者のマクレイヴンは言う。

 

「世界を変えたいのなら、サーカスを恐れてはいけません」(138頁)

 

私も今、人生に小突きまわされている。自分の醜態を見世物にされる「サーカス」のど真ん中にいる。凶と出るか、吉と出るか。このあとどうなっていくのだろうか。

 

 

最後に苦言を一つ呈しておけば、著者のマクレイヴンが挙げる世界の偉人が幼稚な感じで、思想的な深みを感じさせない点が残念であった。ワシントン、リンカーンキング牧師マンデラ、マララさん。これではネイヴィー・シールズには、思想的に深いものがあるのか疑いの目で見ざるを得ない。

 

ラッセル・カークやリチャード・ウィーバー、ウィリアム・バックレー・ジュニアなど、アメリカの「保守」と言われる人々のような考えや立場を、ネイヴィー・シールズの立場からどのように評価するのかこそ聴きたかった。小学生向けの世界の偉人伝みたいな名前では、せっかくの凄さも、思想的には白けるのである。

 

訳者はアシュリ・バンスの『イーロン・マスク』を翻訳した斎藤栄一郎氏。

 

 

1日1つ、なしとげる! 米海軍特殊部隊SEALsの教え

1日1つ、なしとげる! 米海軍特殊部隊SEALsの教え

 

 

 

 

久しぶりにメガロック・ネタ-The Presidents of the United States of America

久しぶりにメガロック・ネタ-The Presidents of the United States of America

 

久しぶりにメガロック・ネタ。The Presidents of the United States of Americaというのはバンドの名前。メガロックで知った。15歳頃だったと思う。

 

日本の思想からラウド・ミュージックなどの音楽。萩から須磨まで。

 

本当に同じ人物が書いているのかと思われそうだが、遊びは人物の幅を広くする。このレベルでは、四行教授など眼中にない。

 

実存的な音楽ではないと思うが、音楽として楽しい楽曲。

 

The Presidents of the United States of Americaという長いバンド名。

FM802でもヘヴィーローテーションだったと記憶する。

 

 

1.Lump


The Presidents of the USA - Lump

 

 

2.Peaches


Presidents Of The United States - Peaches

 

3.Kitty

The Presidents of the United States of America - self-titled (Full Album)

 

 

 

保田と折口ー幡掛正浩氏「わが呻吟語」ー令和元年8月31日(土)

保田と折口ー幡掛正浩氏「わが呻吟語」ー令和元年8月31日(土)晴れ

 

 

神道と京都学派の接点という題で、幡掛正浩氏について書いてから、氏のことが気になってきた。いま手の届く範囲で氏の著作を徐々に読み進めたい。

まずは『私の保田與重郎』所収の幡掛正浩氏「わが呻吟語」という小文を取り上げて見たい。 

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 保田與重郎というのは奈良県桜井に明治四十三年に生まれた昭和の文士であり、『日本の橋』、『後鳥羽院』、『和泉式部抄』、『芭蕉』、『萬葉集の精神』、『南山踏雲録』、『日本に祈る』、『祖国正論』、『述史新論』、『近畿御巡幸記』、『絶対平和論/明治維新とアジアの革命』などの著作をものした。

 

私が保田のことを知ったのは、坪内祐三氏や福田和也氏らの文章や本のタイトルなど断片的な情報からだったと思う。さすがに私の子供時代に、福田恆存シェイクスピアの翻訳(新潮文庫)と異なり、新刊書店に保田の本が出回っているということはなかった。

 

戦後のコラム『祖国正論』や、新撰組と同じ時代に大和で義兵を挙げた天忠組を扱った『南山踏雲録』などを主として大学時代に自分で読んだ。佐伯啓思氏も講演で保田の『絶対平和論/明治維新とアジアの革命』の年表を利用していた。

 

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さて、そういう思い出のある保田與重郎を、「操持を神社界に置く」幡掛氏は、保田の著作集の月報を集めた『私の保田與重郎』(新学社、平成二十二年)の中で保田についてどのように論じているのだろうか。

 

幡掛正浩氏「わが呻吟語

 話の発端は氏が所属する神社界の機関紙たる神社新報社創立四十周年記念出版物『神道人名辞典』収録人名数四〇〇〇人の内に保田の名が入っていないことへの疑問から始まる。

 

幡掛氏がここで問うのは、神社界や神道人にとっての保田與重郎の重要性である。

氏によると、保田は紛れもなく神道人なのだが、戦前・戦後を通じて神社界は保田を「忌避」してきたという。古典論を書き、私家版の『祝詞』を出陣する学徒に贈った戦前、「戦争責任」なるものを問う声のあった戦後においてもそうなのだったという。

「人も知るごとく、戦前の神社界で保田が受け入れられたといふ形迹は全く見当たらない」(131頁)。

「では戦後の状況はどうか。これまた不思議、いはゆる神社界(学界をふくむ)での保田処遇は、或いは戦前にも増して冷然たるものがあった」(132頁)。

 

敗戦で狼狽し「民族教から世界教へ」「天皇非現人神論」などを発表した折口信夫などと比べたら保田の態度には、胸を打たれるものがある。

「変わり身といふものを全く見せぬ保田が、何故神社界のオーソドクシーから忌避されてきたかといふことは、殆ど解し難い」(132頁)。

「彼が戦前に書いた数々の古典論、戦中の作「鳥見のひかり」「としごひとにひなめ」にはじまる戦後の諸論策を読めば、彼が神道人でないなど、どの秤で量れば出てくる目盛りかと言ひたくなる。彼ほどの神道的著作をものした者が、近か昔、同世代を通じてあるかと反問してもみよ」(133頁)。

 

このような保田が『神道人名辞典』にも名が載せられぬというのは、彼の見ていた世界の深さやその叙述に秘密があると幡掛氏は考える。

 

「かつて淡交社から出版された彼の『長谷寺』を読んだ某批評家が、「ここには、長谷寺の説明が何もない」と言ったと聞いた彼が破顔して洩らした言葉がある。『あれ程詳しく長谷寺のことを書いた本はほかに無い筈だがな』と。この『長谷寺』を、彼の諸々の「著作」と読み替へ、その批評家を戦前戦後の神社人に擬すれば、彼が何故に『神道人名辞典』にその名を現はさぬかの謎はほぼ解けようといふものか」(133頁。念のため、ここにいう「長谷寺」とは奈良のもので、鎌倉ではない。)

 

幡掛氏は同じ神社人をも批判して、保田のスケールを讃えている。神社界が保田の真価を見抜けないのであれば、「ヘーゲルからマルクスへ」行ったような京都学派研究者の主流派などにはもっと期待できないのである。「テキスト」を読むだけなら知らんが。

京都学派の宗教学系の人間に学んで、京都学派に連ならなかった人物としての幡掛正浩氏。私は氏を讃える。

こうい課題を発見し、研究し、深めて、その考察を知らせることが私の研究の目標、初志だった。だが今はもうその立場にない。

毎日、時間だけが過ぎていく。このまま人生を終えるのだろうか。

 

長谷寺・山ノ辺の道・京あない・奈良てびき (保田与重郎文庫)

長谷寺・山ノ辺の道・京あない・奈良てびき (保田与重郎文庫)

 

 

 

 

さらに自分の課題として、やはり折口信夫の問題が三度浮上してきている。大して掘り下げていないが、関連記事として以下のものがある。

 

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ちなみに「呻吟」とは、うめくことで、「呻吟語」というのは明の儒者・呂坤の著作であり、筆者は未読だが、昭和の陽明学者・安岡正篤氏が、これについての著作をあらわしている。

  

呻吟語を読む (致知選書)

呻吟語を読む (致知選書)

 

 

 

日経まとめ&世界柔道 令和元年8月27日(火)

日経まとめ&世界柔道 令和元年8月27日(火)

 

最近日経を読み流していたことが多かったが、久しぶりに面白い記事が多かった日だったので、仕事終わりだが、今日の内に記しておきたい。

 

世界柔道選手権東京大会

その前に、世界柔道選手権の感想から。

大野将平選手の男らしさはいい。有言実行で素晴らしい。

一方で、女子57Kg級の芳田司選手も凄い。格闘センスのある柔道だ(と書いてしまったが、基本でつなぐオーソドックスな柔道であった。でも、芳田選手の柔道スタイルが好きである。団体戦を見てもその感想は変わらない)。次から次へと着実に技をつなぎ、関節技につなげていく。ヤワラちゃんでもそうなのだが、女子柔道の選手は、見た感じ強そうには見えない。むしろ地味な女性にしか見えないのだが、どこにあんな闘志を秘めているのだろう。

幕末の志士でも吉田松陰橋本左内は、西郷隆盛篠原国幹らのような「豪の者」ではなかった。でも内に秘めたる意志はすごかった。女子柔道を見ていると、そんな人物がいるということに現実味を与えてくれる。

 

日経新聞 令和元年8月27日(火)朝刊

スポーツ欄「リアル・スラムダンク①」

NBAプレイヤーとなった八村塁選手。自分の夢を信じて進んで行った人。頑張って欲しい。父親はベナン出身だという。

読み進めて行くと、「日経アジア・アフリカ感染症会議2019」の全面広告が掲載されていた。

 

全面広告「日経アジア・アフリカ感染症会議2019」

現代社会における感染症の問題、特にコンゴエボラ出血熱や第3回野口英世アフリカ賞受賞者の講演(タムフム氏(コンゴ民主共和国)、オマスワ氏(ウガンダ共和国))などが載っていた。ベナンは、国こそ異なるが野口英世が黄熱病のため訪れたガーナのアクラから比較的近い場所。

・WHOシニアアドバイザー 進藤奈邦子氏のインタビュー

・エボラ熱流行のコンゴでのワクチン戦略の記事

・2015年韓国でのMERS流行時の経済的損失の記事

⇒私:現下の日韓対立下で、同様の事態が発生したら、どのように対処するのが適切だろうか。

 

などなど盛りだくさんで、細かく記事を追う時間はないが、進藤奈邦子氏の「日本は国民の健康意識が高く、感染症も極めて少ない」との言葉を「本当かいな?」と考えながら、帰り道で歩きタバコの男に煙を吸わされながら帰る。歩きタバコの男。本当に多い。

 

その他、信用金庫の記事、RPAの有効性と失敗例など、勉強になる記事が多かった。

 

感染症対策は、軍事災害対策と並んで私の興味の対象であるが、全く何のキャリアを積んでこなかったという分野だ。

 

 

 

神道と京都学派の接点ー西谷啓治全集の月報について

神道と京都学派の接点ー西谷啓治全集の月報についてー令和元年8月19日(月)くもりのち雨

 

須磨で始まった夏休み。コパトーン塗りまくりの夏休み。CYBER JAPANの「スキスキスー」を聴きまくりの夏休み。最後に真面目なことを記しておきたい。

 

西田幾多郎及び京都学派と神道の接点は、今日でも謎である。

というのも、西田及びその門弟たちは親鸞あるいは禅仏教についての言及、あるいはキリスト教ないしは中世神秘主義などへの言及が主で、神道への言及についての印象は薄い。というより、戦前の「国家神道」、古神道などを意識させる「神道」は、折口など一部のものを除いて、彼らの軽蔑の対象として存在していたのではないかという疑いの念を私は持っている。

その代理戦争として平泉澄氏と鈴木大拙氏氏については、以前に少し書いた。

 

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 だが、神道は我々の精神史を考究する上で欠かせないし、日本を代表する哲学者ないしはその学派が、日本の深部にある神道と良好な関係ではなかったとしたら、日本人にとって不幸なことと言わざるを得ない。

 

部屋の整理をしていたら、そのわずかなヒントとなるものが出てきた。

 

出てきたのは西谷啓治全集の月報のコピーなのだが、何巻のものかメモしていなかった。全集の月報というのは、縁のある人々によって、書かれた回想や考察などが書かれた冊子のことである。

 

私が取り上げたいのは神宮少宮司幡掛正浩氏による回想である。

タイトルは「学問の本筋ー西谷先生に教はつたこと」で、昭和42年12月に開催された神道研究国際会議で西谷啓治が講演した内容から始まる。

 

内容に入る前に神宮少宮司・幡掛正浩氏について私が知っていることを記しておきたい。

 

まず、昔伊勢神宮の内宮を参拝したときに、休憩所の売店においてあったパンフレットで幡掛正浩氏をしっかり認識したと記憶している。このシリーズのほかの巻も含めて、パンフレットに登場する人物としては所功氏、百地章氏、大原康男氏など、何らかの形で神道に関係している大学人であることがわかる。

 

そして既にこのラインナップと、現代の西田哲学研究の主流派あるいは、京都学派研究の主流派とが、思想上かかわりの薄い、ないしは敵対するものがあるということがお気づきになるだろう。西田幾多郎を高く評価する佐伯啓思先生の講演会において、私が質問したのはこの点であった。

 

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私がその史論を敬する葦津珍彦氏の選集第三巻にも幡掛正浩氏の名前が見える。(もし同一人物でなかったら訂正します)

 

「日米外交関係の急迫して来た昭和十六年晩秋のころ、冷たい雨の降る夕であった。私は、渋谷駅の改札口で、幡掛正浩君(義弟)とともに井上孚麿先生をお迎えした」(「剛直な法学者 井上 孚麿先生」『葦津珍彦選集(第三巻)ー時局・人物論』神社新報社、平成八年所収、605頁)

 

宮崎神宮のHP(https://miyazakijingu.or.jp/publics/index/32/detail=1/b_id=128/r_id=336/)に「宮崎神宮宮司 黒岩龍彦大人命」という一文があり、葦津氏と幡掛氏とが福岡県の神職の子弟として交流があったことが書かれている。

 

またネット検索してみると、井上 孚麿氏の親戚筋にあたると思われる医師の方が、HPを立ち上げている。

外部リンク:http://drhasegawa.com/hajime/hajime.htm

 

月報に戻る。

神宮少宮司幡掛正浩氏による回想である。

「学問の本筋ー西谷先生に教はつたこと」

<要約>

西谷啓治神道系の学会に初めて(?)の出席。その時の印象などが書かれている。

・西谷曰く、仏教学界も神道学界も史的・考証学ばかりで、哲学的思索に乏しい。

・自分(幡掛)は、九州の小さい神社の十六代目にあたり、神職になることは運命であった。

・ところが、旧制高校に入り、京都帝大に進み、文学部の哲学科で宗教を学んだ。

・戦後の神社界の人々とは、派閥も学問の筋もだいぶ違った。

京都大学の哲学科で学んだことが自信となった。

・在学時代、宗教学の主任は波多野精一西谷啓治久松真一と変わっていったが、一番影響を受けたのは西谷だった。

・幡掛氏が思うに、神道は「物にゆく道」だから「ことあげ」しないのは当然だが、事実考証にとどまっていてはいけない。

国学院は、戦前に訓詁考証が万能だったから、その反動として民俗学が盛んになった。

・若き日、西谷に言われた「意味」や「志向」を考えることの大切さを忘れていない。

・謹呈した著作『食国天下のまつりごと』に対する西谷による返信について、「小生が普段漠然と考へてゐること、筋の同じことが多く・・・」という点など励ましの便りだと受け取っている。

 

「接点」などと書いてしまったが、ここから先、どのように考察を進めていけばいいのか。どの道、研究環境が整っている研究者にもっていかれそうだが、この問題意識はあくまでも私自身の内面から出てきたものである。それは以前の記事にも書いてあることから明確だろう。

 

結論が出ないのだが、少しずつ蓄積されていくこともあるかと思い、記しておく。