神道と京都学派の接点ー西谷啓治全集の月報についてー令和元年8月19日(月)くもりのち雨
須磨で始まった夏休み。コパトーン塗りまくりの夏休み。CYBER JAPANの「スキスキスー」を聴きまくりの夏休み。最後に真面目なことを記しておきたい。
というのも、西田及びその門弟たちは親鸞あるいは禅仏教についての言及、あるいはキリスト教ないしは中世神秘主義などへの言及が主で、神道への言及についての印象は薄い。というより、戦前の「国家神道」、古神道などを意識させる「神道」は、折口など一部のものを除いて、彼らの軽蔑の対象として存在していたのではないかという疑いの念を私は持っている。
その代理戦争として平泉澄氏と鈴木大拙氏氏については、以前に少し書いた。
だが、神道は我々の精神史を考究する上で欠かせないし、日本を代表する哲学者ないしはその学派が、日本の深部にある神道と良好な関係ではなかったとしたら、日本人にとって不幸なことと言わざるを得ない。
部屋の整理をしていたら、そのわずかなヒントとなるものが出てきた。
出てきたのは西谷啓治全集の月報のコピーなのだが、何巻のものかメモしていなかった。全集の月報というのは、縁のある人々によって、書かれた回想や考察などが書かれた冊子のことである。
私が取り上げたいのは神宮少宮司・幡掛正浩氏による回想である。
タイトルは「学問の本筋ー西谷先生に教はつたこと」で、昭和42年12月に開催された神道研究国際会議で西谷啓治が講演した内容から始まる。
内容に入る前に神宮少宮司・幡掛正浩氏について私が知っていることを記しておきたい。
まず、昔伊勢神宮の内宮を参拝したときに、休憩所の売店においてあったパンフレットで幡掛正浩氏をしっかり認識したと記憶している。このシリーズのほかの巻も含めて、パンフレットに登場する人物としては所功氏、百地章氏、大原康男氏など、何らかの形で神道に関係している大学人であることがわかる。
そして既にこのラインナップと、現代の西田哲学研究の主流派あるいは、京都学派研究の主流派とが、思想上かかわりの薄い、ないしは敵対するものがあるということがお気づきになるだろう。西田幾多郎を高く評価する佐伯啓思先生の講演会において、私が質問したのはこの点であった。
私がその史論を敬する葦津珍彦氏の選集第三巻にも幡掛正浩氏の名前が見える。(もし同一人物でなかったら訂正します)
「日米外交関係の急迫して来た昭和十六年晩秋のころ、冷たい雨の降る夕であった。私は、渋谷駅の改札口で、幡掛正浩君(義弟)とともに井上孚麿先生をお迎えした」(「剛直な法学者 井上 孚麿先生」『葦津珍彦選集(第三巻)ー時局・人物論』神社新報社、平成八年所収、605頁)
*宮崎神宮のHP(https://miyazakijingu.or.jp/publics/index/32/detail=1/b_id=128/r_id=336/)に「宮崎神宮前宮司 黒岩龍彦大人命」という一文があり、葦津氏と幡掛氏とが福岡県の神職の子弟として交流があったことが書かれている。
またネット検索してみると、井上 孚麿氏の親戚筋にあたると思われる医師の方が、HPを立ち上げている。
外部リンク:http://drhasegawa.com/hajime/hajime.htm
月報に戻る。
神宮少宮司・幡掛正浩氏による回想である。
「学問の本筋ー西谷先生に教はつたこと」
<要約>
・西谷啓治が神道系の学会に初めて(?)の出席。その時の印象などが書かれている。
・西谷曰く、仏教学界も神道学界も史的・考証学ばかりで、哲学的思索に乏しい。
・自分(幡掛)は、九州の小さい神社の十六代目にあたり、神職になることは運命であった。
・ところが、旧制高校に入り、京都帝大に進み、文学部の哲学科で宗教を学んだ。
・戦後の神社界の人々とは、派閥も学問の筋もだいぶ違った。
・京都大学の哲学科で学んだことが自信となった。
・在学時代、宗教学の主任は波多野精一、西谷啓治、久松真一と変わっていったが、一番影響を受けたのは西谷だった。
・幡掛氏が思うに、神道は「物にゆく道」だから「ことあげ」しないのは当然だが、事実考証にとどまっていてはいけない。
・国学院は、戦前に訓詁考証が万能だったから、その反動として民俗学が盛んになった。
・若き日、西谷に言われた「意味」や「志向」を考えることの大切さを忘れていない。
・謹呈した著作『食国天下のまつりごと』に対する西谷による返信について、「小生が普段漠然と考へてゐること、筋の同じことが多く・・・」という点など励ましの便りだと受け取っている。
「接点」などと書いてしまったが、ここから先、どのように考察を進めていけばいいのか。どの道、研究環境が整っている研究者にもっていかれそうだが、この問題意識はあくまでも私自身の内面から出てきたものである。それは以前の記事にも書いてあることから明確だろう。
結論が出ないのだが、少しずつ蓄積されていくこともあるかと思い、記しておく。