長谷川三千子氏『神やぶれたまはず』所収「折口信夫「神 やぶれたまふ」」
少し前に、ビン・ラディンを追い詰める映画を見て、アメリカの軍人の献身の精神的源泉はどこにあるのだろうかという記事を書いた。
「あめりかの青年たちがひょっとすると、あのえるされむを回復するためにあれだけの努力を費やした、十字軍における彼らの祖先の情熱をもって、この戦争に努力しているのではなかろうか、もうしそうだったら、われわれは、この戦争に勝ち目があるだろうかという、静かな反省が起こってきました」(139頁)
と書かれた一文について言及した。
その後、大学図書館でブラウジングしていたら、たまたま長谷川三千子氏『神やぶれたまはず』(中央公論新社、2016年)所収の「折口信夫 「神 やぶれたまふ」」で、上記一文とほぼ同趣旨の文章への批判を含む折口の戦後直後についての批評を見つけた。
長谷川三千子氏『神やぶれたまはず』(中央公論新社、2016年)所収
第一章「折口信夫 「神 やぶれたまふ」」
冒頭、「神ここに 敗れたまひぬ」で始まる折口の詩を論じることから始まり、折口の唱えた「神道宗教化」の「迷走」を論じる。その上で、「今度の戦争に、伊勢神宮や熱田神宮等の如く、多くの戦災神社があつた時に、誰が、十字軍の時にようろつぱ人の持つてゐたやうな、情熱を持つてゐたらうか」という「神道宗教化の意義」(昭和22年)に収められた一文を挙げて「見当はずれ」と断ずる。
その理由として長谷川氏は以下の二点を挙げる。
①十字軍は純粋な宗教活動ではない。
「現実の十字軍の遠征が、決して純粋なる宗教的情熱のみに導かれたものでなかつたことは、現在では広く知られてゐる事実である。当時のヨーロッパ人たちは、世界最先端の文明圏であつたイスラーム世界への好奇心とあこがれと欲望とにつき動かされて遠征していつたのであつた。宗教的情熱は、その一端であつたにすぎない。また、もし仮りに、十字軍をつき動かしてゐたのが、その牧師が言ふやうな「非常な情熱」であつたとしても、エルサレムの奪還といふことが、キリスト教といふ宗教にとつて真に宗教的な意義をもつものであるかどうかは、はなはだ疑はしい」(23-24頁)。
②神風特別攻撃隊を考慮に入れていない。
「ひよつとして氏は、十字軍は聖なる宗教的情熱に貫かれてゐたけれども、神風特別攻撃は、単なる狂気のわざ、あるいは単に上からの命令によつて尊い命がちらされただけのことだつたと考へてゐたのだらうか?」(26頁)。
『散華のこえに耳を澄ませて』所収の「散華のこころ」という戦没学徒の遺族に取材した文集を挙げて、特攻隊員や回天の乗組員らの決意のなかには、「まさに「宗教的情熱」といふ言葉で語る以外にないものが含まれてゐた」(27頁)と長谷川氏は主張する。
したがって、「「我々は様々祈願しけれど、我々の動機には、利己的なことが多かつた」といふ折口氏の言葉は、このような日本の若い戦人の心からかけはなれてゐる」(27頁)と批判するのである。
植村氏の同書のサブタイトルは「日本の保守主義者」である。
植村和秀氏の『折口信夫』を未だ細部まで読んでいないが(「早く読めよ」って?)、戦後、神道をめぐって、葦津珍彦氏とのちがいについては触れられていたが、長谷川氏のような観点からの指摘は書いていなかった。もちろん、葦津氏は実際に戦後すぐにも活動していた人物である一方で、長谷川氏は現在の言論家であるから、同書で対象ではなかったのであろう。だから私も含めて読者はこのような点を自分で考えていかなければならないと思う。
またもう一つ気になったのは、文芸評論家の桶谷秀昭氏の解説中にあった折口詩への批判である。
「敗戦期戦後日本の世俗の汚濁への折口信夫の激しい嘆きは、戦争末期の悲嘆と連続しつつ、あの敗北の瞬間を含まない。そしてそこから、昭和二十二年五月五日の「新憲法実施」のやうな、人を唖然たらしめる詩の愚策が生まれてくる」(344頁)。
折口に「新憲法実施」のような詩があるとのこと。知らなかった。私は「保守派」ではなく「志士」憧れの者に過ぎないから、別に誰がどのような発言をしていてもいいのだけれども、折口氏については植村氏から「日本の保守主義者」とサブタイトルを付けられて昨年流通したぐらいだから、現憲法に賛している折口氏の姿勢について考察する必要があるのではないか。
この年齢で白川静氏からやっとつながった折口信夫であるが、なかなか一筋縄ではいかないな。当たり前か。一番割り切れなさそうな人物だしな。ここはいったん安藤礼二氏の『折口信夫』あたりを読んで見ようかな。