impetus 英検1級の英単語豆知識 2
すっかり寒くなりましたね。
久しぶりに英検1級の話です。
本日取り上げる単語は"impetus"です。
"impetus"の意味を考えることを通じて、一つの言葉の背景にも、何百年にもわたる文化的な背景があるということを提示したいと思います。
まず私が持っている『英検 Pass単熟語 1級 [改訂版]』(旺文社、2005年)によると、その意味は「はずみ(=momentum)、刺激、動機(=incentive)」だということです。
『リーダーズ英和辞典 第2版』(研究社、1999年)によると「起動力、勢い、はずみ;( (抵抗に逆らって動く物体の) )運動力、奨励」とあるので、何となく同じ意味であることが分かるでしょう。
でも、これだけでは覚えられない人がほとんどだと思います。
ところが私は、単語帳を見る前に知っていた。何故か?
それは伊東俊太郎さんの本を何冊か読んでいたからです。
伊東俊太郎(昭和5年、東京生まれ)さんは科学哲学者、科学史家、比較文明論者として堅実な業績を築いた方です。私は例によって呉智英氏の『読書家の新技術』でその名前を知りました。学者としてこのぐらいの業績があれば素晴らしいと思える方です。この点についてはまたあらためて記事を作成したいと思っています。(上掲書の中で呉氏の科学史・科学哲学・科学社会学関係の読書案内は、今から振り返ってみても重要な人物(村上陽一郎氏、廣重徹氏、吉岡斉氏ら)をピンポイントで紹介しており、人文社会系が得意と思われる呉氏なのに、その「目利き」ぶりは確かであった言えると思います。)
私が伊東さんの本で感銘を受けたのは、『近代科学の源流』(中央公論社、1978年、自然選書の中の一冊。現在は中央文庫に収録されています)です。この本は、我々が知っているニュートンやガリレオなどの「科学革命」以前の科学の世界、古代末期から中世の科学の歴史を統一的に描写したものです。購入したのは高校生の時だったと記憶しているのですが、とても読みとおせなかったので、10年ぐらいかけて読んだと思います。
同書では、近代の「科学革命」以前のヨーロッパの科学や独自の発展を遂げてヨーロッパにも強いインパクトを与えたアラビア語でなされた科学を描写しています。
「従来、科学史では、デカルト(Rene Descartes)、ガリレオ(Galilleo Galilei)などの十七世紀の「天才たち」にもっぱら光があてられ、それ以前の中世は暗黒時代であるかのような叙述がなされてきたのは、「ルネサンス」以来の偏見によって、中世科学の資料が、長い間写本のまま僧院や図書館の奥に、研究されないで埋もれてしまっていたからである」(18頁)。
私たち(私?)のイメージの中にある、ルネサンスを経て、17世紀ごろからガリレオ、ケプラー、ニュートンらによってそれ以前とは「断絶」されたようにに生じたと思われている「科学革命」の歴史は、それ以前の歴史からの「連続性」知らなかったことで過度に強調されているとも言います。
「十七世紀のいわゆる「天才」たちに先立つ時代の独創的理論がすべてマニュスクリプトのうちに埋もれており、後世の人々に知られなかったために、レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo Da Vinciをはじめとする近代の「天才」たちの思想がことさらに斬新に見え、実際そうである以上に独創的に映ったのは蔽えない事実であろう」(19頁)
「クワイン=デュエムのテーゼ」に名を残す、ボルドー大学の教授ピエール・デュエことも、中世の科学を本格的に研究した人物として、革新的な説が紹介されています。
●インペトゥス理論
それでは「インペトゥス理論」とは、どのようなものなのでしょうか。
「今日近代科学氏の標準的入門書となっているケンブリッジ大学の歴史家バターフィールド H. Butterfieldの『近代科学の起源』The Origines of Modern Scienceもその叙述を中世の「インペトゥス理論」から始めている」(伊東・上掲書、19-20頁)。
『科学史・技術史事典』によれば「広義には、投射体に関するアリストテレス運動理論を批判する形で展開された古代中世の運動論を指す」。「狭義には、パリ大学の教授ジャン・ピュリダンの運動理論を指す」。理論の要約としては、「投射体を囲む媒体中に駆動力を認めるのではなく投射体そのものに駆動力が内在すると主張する」(74頁。高橋憲一氏による記述)。
なぜ『リーダーズ英和辞典 第2版』が「*1運動力」という記述をしているのか、何となく分かるでしょう。
●アリストテレス
西洋の自然科学の出発点となったアリストテレスの『自然学』では、「常に運動させるものが運動するものに接触して力の作用を及ぼしていなくてはならない」のであり、これが「アリストテレス運動論の根本原理」だという(128頁)。
とはいえ、アリストテレスのこのような考え方で、様々な「運動」を考察すると、次のような問題が発生する。それが手で投げられてた石の運動のような問題、すなわち「投射体」の問題である。
「石か何かを投げた場合、投げる手の力の作用によって運動が起こるのはよいが、手を離れた後も石はとぶびつづける。このときにはすでに手の力の作用はないわけで、それにもかかわらずその投射体の運動が持続するのはなぜであるのか」(128頁)
これに対してアリストテレスは「空気後押し説」とも呼ぶべき説を唱えた。それが上述の事典での「投射体を囲む媒体中に駆動力を認める」考え方である。ここでは、媒体が空気なのである。
アリストテレスの「空気後押し説」とは、「手を離れた石の周りにあってこれに接触しているものは空気しかないゆえ、この力の作用で運動がつづくと考えるほかない」(128頁)。
●フィロポロス
それに対して6世紀のアレクサンドリアの人フィロポロスは、「石によって押された空気が自分で器用に逆戻りして後ろから石を押すというようなことはありえない」と批判した。なぜなら「もし石の運動が空気の後押しによってなされるならば、石に直接手を触れずにその後ろにある空気だけをーたとえばいろいろな機会でー動かしても運動が起こってもよさそうだが、そんな仕方では石は一ペーキュス(約四五センチ)も動きはしない」からである(128頁)。そうではなく、「投げる手から、投げられる石へと、「ある種の非物体的運動力」が移しこめられ、以後、物体に内在したこの「運動力」によって投射体の運動持続されるのである」(129頁)。つまりフィロポロスは、「運動力が起動者から媒体にではなく、直接、投射体そのものに移される」という説を唱えたのである。これが「インペトゥス」理論の原型である(271頁)。
「ここに「ある種の非物体的運動力」と呼ばれたものがアラビアにはいってアヴィセンナやアブル=バラカートの「マイルmayl」の思想となり、後期のラテン世界では「インペトゥス impetus」の概念となって、十四世紀の「ガリレオの先駆者たち」により詳細にねり上げられてゆくのである」(130頁)。
「若きガリレオも力学研究をこの「インペトゥス」理論を土台として開始したことは周知のとおりである」(130頁)
と言います。
伊東さんの著作を通じて、英検1級の出題されうる単語"impetus"が、これだけの文化的背景を持った言葉だと知ることができ、単なる検定試験の勉強ではなく、知識史に対する興味が湧いてくるでしょう。
英検1級はこのように勉強してこそ意味があると思いますし、このようなエピソードとともに記憶した言葉は忘れることはないでしょう。
追加(平成30年11月24日)
Impetusをどのように訳すのかについて。
伊東氏は人類の知的遺産シリーズの『ガリレオ』において、「インペトゥス」の訳について以下のように述べている。
「「インペトゥス」にはしばしば「いきおい」という訳語が当てられているが、これはあまり適切ではない。impetusはimpetoという動詞から来ており、これは「突進する」の意であろう。また、「インペトゥスあるいは運動力といわれているように、物体に内在する運動力vis motivaを意味しているが、「いきおい」というのは運動の状態であって、こうした内在的運動力の意味は希薄である。「衝撃」という訳もあるが、これは力の作用を受けた結果を表すもので、運動自信のもつ運動力の意味を欠くゆえ、やはりよくない。しかし「突進力」という訳語もまだ熟していないので、本書ではこうした意味であることを了解した上で、「インペトゥス」とカナ書きしておく」(『人類の知的遺産31 ガリレオ』講談社、昭和60年、104頁)。
事柄の内容を検討し、そこから適切な訳語を探るプロセスを知ることができ、「インペトゥス」以外の事柄であっても翻訳の際に参考になるだろう。
*1:抵抗に逆らって動く物体の