エエカゲン派の数学史ー森毅氏『森毅の学問のススメ』ー令和三年十一月二十二日(月)雨
エエカゲン派の数学史ー森毅氏『森毅の学問のススメ』ー令和三年十一月二十二日(月)雨
前々回に浜崎洋介氏が養老孟司氏にインタビューした『AI支配でヒトは死ぬ。』(ビジネス社、2021年)を購入した記事を書いたが、最初から、しっかり読もうと思って読んでいると、「そういえば、高校の頃、数学者の森毅と浅田彰が数学や科学について話していた本を読んだなー」と思い出し、急遽、『森毅の学問のススメ』を読み返したくなった。
もう昔の本は捨てたり、処分したりしているものも多い。浅田彰氏の『構造と力』なんて二回購入して、二回とも処分した。でも『森毅の学問のススメ』はおもしろかったから、ちゃんと置いてたんだ。
森毅(もり つよし。1928-2010)というと今の若い人たちは知らないかも知れない。私たちの世代では、90年代前半に、細川ふみえさん(グラビアアイドル)と「ポストウォーター」のCMに出ていた学者として知っている人がいると思う。(Dr.中松ではないよ!)
『森毅の学問のススメ』(筑摩文庫、1994年。原著は1985年刊行)
さて、本の内容はというと、まず「数学という文化現象」の中で浅田彰を聞き手に、ルネサンス、ニュートン・ライプニッツを経て、現代の数理科学などの印象を語り、次に生物学の岡田節人、社会学の井上俊、心理学の岸田秀、歴史学の清水純一、文学の小松左京、語学の山田稔ら諸領域の学者と対談した「京都サロン文化のなかで」があり、最後に「数学入り人生談義」として森敦との対談が収められている。
今回は、「数学という文化現象」の印象に残った箇所を語ろう。
ルネサンスあたりの数学
冒頭で森は言う。
「学生なんかとしゃべってて一番消耗するのはね、いまだに近代主義的ルネサンス史観みたいなものがあって、科学者は正義の味方、教会権力は頑迷固陋、というイメージを抱かされてるわけね」(14頁)
そうではなく、宗教家と魔術師と学者とが入り乱れていたのがルネサンスあたりの数学であるという。(森)「数学の試合で方程式を解いてみせるなんてのは魔術の一種あったんと違うかと思うてね」(16)
浅田彰氏にかかれば、実用的なものの代表的な的なものと思われがちな「複式簿記」も、現代思想的な装いとなる。
(浅田)「パチョーリとか。複式簿記の成立というのは形而上学的問題だという説もあり、たとえばスケープゴート理論なんかでも、早い話が振替勘定で説明できるわけであってね。」(20)
こういう手際良いまとめ方に関して浅田彰氏って、やっぱりスゴイね。うらやましい。
科学革命の時代
森によれば、このあたりの数学は宗教戦争の時代、セクトの時代、秘密結社の時代の流れで把握できるという。
「十七世紀を早わかり図式にすると、最初がガリレオとケプラーの時代で、宗教の違いによってチャンバラしていると。ところが、その次のデカルトとパスカルの時代になると、今度は宗教の中で、オラトワールはとかポール・ロワイヤル派とか、そういうセクト闘争をやってると。そういつセクト闘争をやってると、それから、最後の辺のニュートンとライプニッツの時代になると、もはやそれは秘密結社になって、ユニテリアンとかローゼンツヴァイクとかいう形で地下において動いていると」(25)。
こういう対談本で、豆知識(人名や本のタイトル)を増やしたらよい。欄外の解説が付いているから適している。
(森)「物事をきっちりせんといかんというキマジメ派と、適当に構図だけ描いといてホラを吹くエエカゲン派とに分けると、キマジメ派の系列がケプラー-パスカル-ニュートン、エエカゲン派の系列がガリレオ-デカルト-ライプニッツとなっておってね」(26)と歴史の流れを提示するのだが、すかさず浅田が「この分類はそれ自体エエカゲン派の典型だけど(笑)」と突っ込む。
ガリレオ裁判
ガリレオを悲劇の人として描くことを批判し、金銭・名誉・酒・女が好きで、世事に長けたガリレオの読みが外れたのがあの裁判だという。
浅田も「ガリレオにしてもケプラーにしても、宗教戦争がものすごく前面に出ている中で政治的に右へ左へ動いていた人たちという印象が強いですね」といい、フランセス・イエイツの名前を挙げる(32頁)。
ニュートン・ライプニッツの時代
この時代は表立った宗教対立がなくなり、一応「科学」が中立的に営まれて来だしたとされる(42)。とはいえ、ニュートンにせよライプニッツにせよ、制度化された時代の「科学者」ではないのである。
(森)「あのブラウンシュヴァイク大系図っていうの、アホなことにあたらライプニッツの才能を浪費したという言い方をする人もいるけれど、あれがやっぱり彼の本領ではないかという感じがする」(54)
「ブラウンシュヴァイク大系図」とは、「ライプニッツがハノーヴァー王室のために作成した系図」と欄外の用語解説にある。ライプニッツは、ものすごい総合的な業績を残した人物であり、私の知る限り、図書館司書として図書館学にもその足跡を残している(もっとあるのだが)。
ニュートンとライプニッツが微積分の先取権を争っていたことはご存じの方もいるだろうが、ライプニッツの微積分ついて浅田は、
「ライプニッツのほうは、無限小をdxと記号化しちゃうことで、捜査の対象にしちゃう、悪く言うと極微の粒であるかのように物象化しているわけだけど・・・」「ああやってアルゴリズム化することではじめて微積分を体系的に扱えるようになったわけですからね。無限小をタナ上げするんじゃなくて、いわば工学的に扱っちゃうというか、そういう発想でしょ」(57)と説明する。
さらに浅田はフラクタルについても、ライプニッツとの関係を語る。
「もっとラディカルな形でライプニッツのビジョンを復権しようというのがフラクタル解析」「微分というのは曲線を微小線分の集積に還元するものだから本来ニュートン的」「それに対して、どんなに微小な部分をとっても限りなくギザギザと入り組んだ至るところ微分不可能な曲線を一種の自己相似的な入れ子構造としてとらえるのがライプニッツ的な方法の真骨頂」(58)。
「フラクタル」って一時期はやったけど、こういう意味があったのか。
19世紀の数学
19世紀は数学の体制が確立され、大学の数学という形で職業化され、「通常科学」となり「数学株式会社史」と化す(72-74)。それでつまらなくなるかと思いきや、戦争やIBMなどの企業の勃興でシャッフルが起こるのである。
(1920年代ごろ~)抽象数学と数理科学
ヒルベルトに代表される抽象数学の時代が、戦争や迫害を経て、数理科学や軍事研究と結びつくことになる。その動きを代表したのが。『量子力学の数学的基礎』で有名なフォン・ノイマンであるという。
(森)「だいたいああいうのは世俗から離れた抽象論の奏でる冷たいハーモニーというイメージがあったわけね。それが同時にコンピュータをやったり、衝撃波をやったりしているというのは、ちょっと意外でね」(76)と戦時中に聞いた、フォン・ノイマンの動向の印象を語る。
ヒルベルトを「ビッグ・ボス」(笑)とするゲッチンゲン学派が、アメリカに移るときがやってきた。
「アメリカに移ったときにゲッチンゲンの流れが二つに分岐して、一つがプリンストンの高級研究所になり、一つがニューヨークのクーラント研究所になったという話がある」「高級研究所はまさに高級だし、クーラント研究所は、いわゆる応用数学のメッカ」(77-78)であるという。
クーラントというのは、あのクーラント=ヒルベルトの『数理物理学の方法』で有名だが、私はその名前しか知らず、内容は理解できないことを告白しておく。
文化人と技術者
アカデミックな世界からアメリカの研究所に移っていく科学者らについて、浅田は「文化人じゃなくって、テクニシャンに徹しているようなところがありますよね」と語り、「仕事口があれば軍事的なものでもけっこう」という印象を受けると言う(82)。
「勤め口の問題で専門を変えなければならない」ことがあった例として浅田は、アブラハム・ワルトを挙げる。
例)アブラハム・ワルト。当初は純粋数学を志すも、ウィーン時代から仕事がなく、数学者カール・メンガーの世話を受け、銀行家の家庭教師を引き受ける。その関係でワルラス流の一般均衡分析に興味を持ち、ワルトによる均衡の存在証明が生まれたという(83)。ゲーデルやフォン・ノイマンとの接点を持っていたという。統計学のポストしかなかったからアメリカ行きを渋っていてたが、渡米し統計学に革命をもたらしたという(84)。
アメリカという新天地でゲーデル、ノイマンらが、イギリスでテクニシャンともいえるチューリングらが、ライプニッツの考えていた「符号化」「計算機」などを実現していった。ここでライプニッツとつながるわけだ。
ユダヤ系の学者がアメリカに渡った話は有名だが、数理科学と結びついていくあたりは、知的にも興味深い。
感想
高校時代に読んだときは、ルネサンスからニュートン・ライプニッツあたりが印象に残ったが、今回読んで1920年代の応用化学や数理科学へとつながっていく、文化人たちがシャッフルされていく箇所が特におもしろかった。浅田氏の興味関心も数理科学あたりにあったのかなと再読して思った。
また、自分のやりたい研究ができず、勤め口があれば、移っていかざるを得ないという人物らが、抽象数学から数理科学、軍事研究、統計学などを発展させていったという話は、今の私にはとても興味深かった。境遇のなせる業か。