Book Zazen

書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

今月の月刊誌ー令和二年十二月二十二日(火)

今月の月刊誌ー令和二年十二月二十二日(火)

 

エズラ・ヴォーゲル氏のご冥福をお祈りいたします。

関連記事:このシンポジウムのトイレで、ヴォーゲル氏を真近で見ました。

 book-zazen.hatenablog.com

 

 

仕事と家の往復で何もできていない毎日。

新聞を見ていたら、文藝春秋の広告。

アメリカ大統領選でバイデンが勝利した関係で、国際政治学者の中西輝政氏が対談を行っていたのと、E・トッド氏がトランプについて何かを書いていたのが気になって購入しようと思い、近くの書店へ。

 

店頭には中西氏の巻頭論文「米国の難局と「責任ある保守」の使命」が掲載されていたVoice1月号が置いてあった。他にもオードリー・タン氏のインタビューやデジタル改革担当大臣と広島県知事との対談、それに村上陽一郎「科学理解と「寛容」の精神を取り戻せ」日本学術会議に対する見解を含む)が載っていたので、文藝春秋はやめて、こちらの方を購入。電車の中で読んで、それなりにおもしろかった。

 

別日に書店をうろついていると、『情況』の特集が目に入ってきた。「現代右翼の研究」というものだ。でもいつもの面々が同じようなことを語っているのだろうと思ったら、金子宗徳氏のインタビューが掲載されていた。気になったので、あとで別のところで購入した(最近大型書店のレジが混んでいるように思う)。『情況』といえば新左翼系の機関紙だったと思うが、かつて永井均大庭健野家啓一氏らの鼎談「「他者」と「物語」――間主観性の実践哲学」が載っていた号を持っていたが、もう処分してしまった。それ以来の購入だった。越境を歓迎したい。

 

本当は『表現者クライテリオン』を購入しに雑誌コーナーに立ち寄ったのだけれども、執筆陣が『月刊日本』のような感じになってきているので、今回は購入しなかった。

 

もっとひっかきまわし、もっと越境した知的なものがよい。

 

その点、購入はしなかったが佐伯啓思氏の雑誌(レオ・シュトラウスを石崎嘉彦氏や納富信留古代ギリシア哲学))と別冊ele-KINGのEYE(ボアダムズの山塚eyeが表紙のもの)が面白ろそうだ。

 

でも時間もお金もないから買わないけど。

今月だけ2冊買った。論壇系月刊誌とは無縁の生活。それはそれでいいが。

毎日会社と家の往復。

明日も早いからもう寝ます。

 

現代の「聖人」ー呉智英と永井均のクロスオーバー 令和二年十一月二十八日(土)

現代の「聖人」ー呉智英永井均のクロスオーバー 令和二年十一月二十九日(日)

 

お気に入りの著者がクロスオーバーしてほしいと思ったことはないだろうか?

 

私にとって思想家・呉智英氏と哲学者・永井均氏とが、同じ論文について論じたことは、お互いの名前に言及していないから、「クロスオーバー」とまでは呼べないものの、色褪せない価値も持つ。

*最近では両者とも仏教(「仏教3.0」とか)への言及があるが、私はフォローしていない。また、呉氏は本格的なマンガ評論の大成者であるが、永井氏に「マンガは哲学する」という著書があるので、どこかで言及しているかも知れない。

 

その論文とは大江健三郎氏が1997年11月30日(日)の朝日新聞に載せた論文「21世紀への提言 誇り、ユーモア、想像力」の冒頭で、「なぜ人を殺してはいけないのか」について論じたことである。(以下、敬称略。)

 

1.呉智英の立場

『危険な思想家』(メディアワークス、1998年)

人権思想、民主主義などを批判的に論じた著作のあとがきで、大江健三郎の上記論文に言及している。呉が引用している箇所も含めて紹介する、

 

「一九九七年十一月三十日の朝日新聞に、ノーベル賞作家大江健三郎の長大な論文が載った。「21世紀の提言」と題されたこの大論文は、次のような恐るべき書き出しで始まる」(240頁)。

 

「恐るべき書き出し」とはどのようなものなのだろうか。呉が引用した大江論文は以下のようなものである。

 

「テレビの討論番組で、どうして人を殺してはいけないのかと若者が問いかけ、同席した知識人たちは直接、問いには答えなかった。私はむしろ、この質問に問題があると思う。まともな子供なら、そういう問いかけを口にすることを恥じるものだ」)(大江論文より)。

 

「人を殺さないこと自体に意味がある。どうしてと問うのは、その直観にさからう無意味な行為で、誇りのある人間のすることじゃないと子供は思っているだろう」(大江論文より)。

 

大江論文を引用する前段で呉は、次のように述べていた。

「人権思想について、私たちは一度も徹底的に議論したことがない。民主主義について、私たちは一度も徹底的に議論したことがない。権力について、私たちは一度も徹底的に議論したことがない」(240頁)。

 

なぜか。呉は、世の中では「根本的なことについて議論しないことになっている」からだと言う。それを呉氏は一概に否定はしない。

 

「そのことは別段悪いことではない」「臭いものに蓋をしておくのは一種の知恵である」(241頁)。

 

では何が呉氏を憤慨させるのか。

 

「しかし、民主主義者や人権主義者はその智慧を拒否したのである、蓋を開けよ、議論をせよ、と言ったのである」(241頁)

 

根源的に世界の啓蒙を目指した立場の「子孫」が、自分たちのご本尊、個人という至上の価値、自分たちにとっての中心的な教義=セントラル・ドグマを論証できないでいる。それどころか、それを懐疑的に問うものに対して議論を抑えようとしている。

 

「先にも言った。議論を封殺するのは必ずしも悪いことではない。それは一つの智慧である。社会に対し歴史に対しさまざまな疑問をぶつける若者に対して、「まともな子供なら、そういう問いかけはしない」と威圧的に禁じ、「まとも」を基準にして異論を差別し排除するも、必ずしも悪いことではない。これも一つの智慧である。だが、大江健三郎はこの智慧に与する立場の人間だったのだろうか」(240-241頁。太字引用者)。

 

 

結局、戦前の天皇イデオロギーを批判しておきながら、ご本尊の価値の証明の不在、封殺という点で、「顕教密教」という構図を反復しているという点で、人権イデオロギーの側も同じことをしているのである(戦前の稀有な例外は、里見岸雄の国体学である)。

 

同書所収の「人権真理教の思考支配に抗して」も極めて重要な論文だが、そこで呉は問いかける。

 

顕教密教という二面構成を採るのは、戦前の天皇イデオロギーだけなのだろうか。広く一般民衆にはその耳に入りやすい神話を顕教として教え込み、社会の中枢たるエリート層には神話の実像を密教として密かに開示する、というイデオロギー体制は、天皇イデオロギーを最後に後を絶ったのだろうか」(163頁)。

 

天皇制のように民衆を愚昧なままにしておいて統括しようというイデオロギーならともかく、社会の主人公は民衆であるとし、民衆が目覚めることを推進する民主主義・人権思想は、その本質から言って、顕教密教という二面制を採ることはありえない」(163頁)。

 

だが「天皇イデオロギー」と「人権・民主主義思想」は、「論証不可能な中核概念を持つイデオロギー体系」という点では同一なのである(166頁)

 

ゆえに呉は、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いかけに対する大江の対応をみて、「恐るべき」だというのである。

 

そう感じたのは、思想家の呉智英だけなのだろうか。呉が偏屈なだけなのだろうか。

次に論ずるのは、哲学者・永井均の反応である。

 

2.永井均氏の反応

永井均は「なぜ私は存在するのか」「なぜ悪いことをしてはいけないのか」を根源的に問う哲学者である。永井の諸著作を知る者なら、彼の感性には一目を置いているはずである。その永井は現代の「聖人」についてどう感じているのだろうか。

永井は「なぜ悪いことをしてはいけないのか」系の著作『これがニーチェだ』(講談社現代新書1401、1198年)で、大江健三郎の問題から始める

 

「一九九七年十一月三十日の朝日新聞の朝刊に、大江健三郎の「誇り、ユーモア、想像力」という文章が載っていた。私はそれを読んでとても嫌な感じがした」(20頁)

 

なぜか。

 

「大江はここで、なぜ悪いことをしてはいけないのかという問いを立てることは悪いことだと主張している」。

 

(つづく)

オマーンと日本との関係ー日経2020年11月18日(水)の全面広告 令和二年十一月二十一日(土)

 

お金があるところに、文化的なものも集まってくるのかして、日経には企業の経済事情だけでなく、文化的に興味深い時がある。

そんな記事というか全面広告(26・27面)が「オマーンスルタン国特集」である。

広告は経済を石油などの地下資源だけに頼るのではなく、多様化していこうとするオマーンに投資を呼び込もうとするものである。

特に興味を惹かれたのは、リード文にあった以下の2点だ。

 

「日本とオマーンの友好関係は、約400年前、日本から2人の商人がオマーンを訪問したことから始まる。」

 

「1935年には、国王を退位したタイムールが、神戸で日本人女性と結婚、2人の間に生まれた娘は、現在もオマーン王室の一員だ。」

 

後者については、ネットでもいくつか触れられている。またTV番組やルポタージュのようなものがあるようだ。

 

それにしても戦前の日本の神戸。康有為も神戸に住んでいたことがあるのを思い出した。戦前のアジアっておもしろいよね。

 

日々の仕事(作業?)に追われていても、たまに面白い記事(広告)があるもんだ。

 

外部リンク:康有為、梁啓超と神戸須磨関係地図 | 神戶華僑歷史博物館

 

 

開かれた社会とその敵とは?ー令和二年十月十七日(土)雨

開かれた社会とその敵とは?ー令和二年十月十七日(土)雨

ポパーについては言い古されたジョークがあった。『開かれた社会とその敵』は『その敵の一人によって書かれた開かれた社会』という題にすべきだった、と。」

There was an old joke about Popper: The Open Society and Its Enemies should have been titled The Open Society by One of Its Enemies.

(ジョン・ホーガン(竹内薫訳)『科学の終焉』徳間書店、1997年。

John Horgan "The End of Science" BROADWAY BOOKS, 1996)

  

 

カール・ポパーは、オーストリア出身の哲学者。科学哲学に優れ、社会哲学においてはファシズム共産主義などの全体主義に対する「自由な社会」の擁護に力を尽くした。

 

『科学の終焉』の著者ジョン・ホーガンはアメリカの科学誌「サイエンティフィック・アメリカン」の専属ライターで、本書は著名な科学者を中心にインタビューしたもの。

 

独断主義や全体主義を嫌ったポパーの評判は、

 

「独断主義を痛烈に非難したポパー自身が、病的なほど独断的で、学生たちに忠誠心を強要している」(58頁)

 

というものだった。

 

本に書かれてある内容や自己主張と、実際の著者の人格は、まずもって別なのである。

 

学校の礼儀が嫌いでライブハウスに出入りしたら、先輩バンドの方が偉そうだったなんてことはありそうな話だ。

 

「酒は飲んでも呑まれるな」。学者やその著作への距離の取り方は、学ぶことと同じぐらい大切なのである。

 

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小泉信三「進歩主義への気がね」ー令和二年十月十一日(日)

「いわゆる「進歩的」な考えを抱いているものが進歩的なことをいうのは当たり前で、誰にも遠慮はいらないが、進歩主義への気がねから進歩的なことをいい、それを読んだものが、気がねに更に気がねをして、いわば進歩主義言論の拡大再生産を行うようなことになってはつまらないと思う。」(小泉信三小泉信三全集 第十七巻』昭和43年文藝春秋、543頁)

 

福澤諭吉の流れから出て、温厚中正を保った経済学者小泉信三が、60年安保騒動の時に書いた文章「進歩主義への気がね」から。

 

一見、誰にも反対できぬ「正義」の言葉を掲げる運動や団体はいつの世にもある。

 

「暴力は言論の正面の敵であるから、言論機関や評論家は当該暴力行為者の排撃者でなければならない筈と思われるのに、事実は必ずしもそうではなく、その暴力がいわゆる革新派の側によって行使される場合には、新聞雑誌はしばしばそれを不問に附するが、或いは何とか言葉を設けてこれをかばうことに力めたように見える。」(544頁)。

 

部分社会の多数派が、権力には寛容や不介入を求めながら、自己の勢力を増やして、その部分社会を支配していく。そしてその内部では不寛容で、干渉的な態度をとることがある。こんなものは戦後の日本に生まれ育ったら、慣れっこなのである。

 

「気がね」は権力者に対してだけ起きる現象ではないのである。

 

諦念をもちつつ、それがどんな「正義」であっても、自分の心に問うて、おかしいと思うことはおかしいと言える自分でいたい。

 

 過去記事:本文の内容と直接関係ないが、過去に小泉信三に触れた記事を紹介しておきます。

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