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書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。

日本にもあったという際の方法論についてー『ケインズに先駆けた日本人ー山田方谷』ー令和元年6月14日(金)くもり

ケインズに先駆けた日本人ー山田方谷』ー令和元年6月14日(金)くもり

「英国のケインズが「雇用・利子および貨幣の一般理論」を上梓した一九三六年にさかのぼることほぼ一世紀前、ケインズの不況対策の独創理論は、別人によってすでに完成していた。のみならず、その理論を自ら実証してみせた日本の超人的財政家がいたのである。その人の名は山田方谷」(矢吹邦彦『ケインズに先駆けた日本人ー山田方谷明徳出版社、平成十年、1頁)

 

こういった文章に接したときに読者の方は、どう思われるだろうか。素朴に感動するのだろうか、それとも誇張のあるお国自慢に過ぎないと思うのだろうか。私の場合、日本の事を掘り下げてもらいたいという気持ちは一緒だが、それを支える方法論や得られた結論を表現する際の用意周到さに欠けてはいけないと思う。これが私の感覚である。

 

 以前に私は、滋賀の鉄砲師・国友一貫斎について書いた記事の中で、なぜ我々は西洋近代由来の学問を、日本の大学でするのだろうかという問題を少し書いた。この問題をうまく描いたと私が考える清水幾多郎氏の文章を引用していた。


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清水幾多郎氏は、『論文の書き方』岩波書店、1959年)の中で、興味深い体験を述べている。自国の言語で大学などの高等教育が営まれ得るか否かという問題に触れた後で、経済学について以下のように述べている。

 

「かつて、私は徳川時代経済書数篇をまとめて読んだことがある。私が読んだものを年代順に挙げると、太宰春台(一六八〇年ー一七四七年)の『経済録』(一七二九年)、三浦梅園(一七二三年ー一七八九年)の『価原』(一七七三年)、海保青陵(一七七五年ー一八二七年)の『升小談』(一七八九年より稍稍後)、中井履軒(一七三二年ー一八一六年)の『均田茅議』(?)、佐藤信淵(一七六九年ー一八五〇年)の『物価余論』(一八三八年)、神田孝平(一八三〇年ー一八九八年)の『農商辯』(一八六一年)。」(162頁)

 

「最初の太宰春台の『経済録』から最後の神田孝平の『農商辯』までの間には約百三十年の時間がある。そして、この期間は、西洋で古典派経済学が成立し、発展し、完成するのに必要であった九十年という時間を含んでいる」(同頁)。

 

「ところが、古典派経済学が成立し、発展し、完成した期間を軽く包み込む百三十年ではあるが『経済録』から『農商辯』まで読んで行く私にしてみると、終始同じ濃い液体の中で呼吸しているような感じがする。」(162頁‐163頁)。

 

「それが提出している特殊な諸問題の実践的解決法であるからである。何処まで行っても、現実的、具体的、特殊的、個別的、実践的である。(中略)現実の所与を突き抜けるというか、とにかく、抽象という乾いた世界へ向かって冒険を企てていない。」(163頁)。

 

「乾いた観念のシステムは、日本の経済論の内部からでなく、やがて、西洋から輸入された経済学説によって提供された」(163頁)。

 

 兆民が「日本に哲学なし」と言ったのは有名だが、哲学に限らず、我が国の歴史は科学、宗教など「あった」と言えるのかどうなのか考えたくなることがあるだろう。まあ、宗教は仏教など根付いているにしても、哲学や科学はどう考えたらいいのだろうか。

 

冒頭の文章については、経済政策として自由放任ではなく、何らかの財政政策や金融政策を発動するという発想という点で見れば、山田方谷に限らず、日本いや世界のどの国や社会にもあったのではないかと思う。だから、「ケインズの不況対策の独創理論」や「ケインズ革命」とは何かということを厳密に定義し、さらにその定義の正当化を行った上で、論じるという方法論の部分が大事であるし、得られた結論に対して、そのテーゼをいかに防衛するかという観点から表現なされないといけないだろう。どんなものであれ、日本にそんなものはありえないと考える人々の反論を予想しつつである。

 

偉そうなことを書いたが、現時点では私はどちらもできていない(しかもまだ冒頭しか読んでいない)。ただ問題意識として明確にしておき、時機が来たら、片付けるつもりだ。

 

ケインズに先駆けた日本人

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