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書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

夢の残骸4 特殊講義・アジア主義ー令和元年6月14日(金)くもり

夢の残骸4 特殊講義・アジア主義ー令和元年6月14日(金)くもり

 

大学時代、授業の枠内で面白かったものと言えば、アジア主義の特殊講義だった。変わった先生が担当していて、そのキャラも面白かった。

 

大学・大学院時代の講義ノートや資料はほとんど捨ててしまったが、これは残っている。人間関係もいろいろあったが、痛快な授業でもあった。

 

授業では、竹内好の「日本のアジア主義」を輪読した。分担を決めて、レジュメを作った。また福澤諭吉の「脱亜論」も読んだ。こちらはどういう風に授業が進んだのかは、記憶にない。レジュメに読んだ後だけが残っている。

 

当時私は、日本の近現代の史論について、葦津珍彦氏の影響下にあったと思う。だから日露戦争に関しては、内田良平の立場に強い関心を抱いていた

 

中学時代、日本の近現代の歴史の犯罪的側面ばかりを強調していた歴史の教員がいた(中学に限らず、そんな教育だったと感じていた)。ちょうど日露戦争の回では、幸徳秋水の非戦論を強調して、その素晴らしさを讃えていたと記憶している(他には文化祭の展示で日本の戦争犯罪のパネル展をやっていたとも記憶する)。内田良平など出てこようはずもなく、また内田の「露西亜亡国論」が直ちに発禁となったことなど、葦津氏の著作(葦津珍彦選集 第二巻』神社新報社、平成八年、「明治思想史における右翼と左翼の源流」156頁以下参照。)に触れるまで、知らなかったし、知ることができる知的環境になかった。

 

さらに伊藤博文や国粋派の将軍で谷秦山の子孫たる谷干城が日露開戦に反対していたことも葦津氏の著作で知った(葦津・上掲書、155頁参照)。

 

*葦津氏の「明治思想史における右翼と左翼の源流」という論文は、何度読み返しても見事な腕前の史論であり、日本語でしか読めないとしたら、もったいない。私の英語学習の目標は、こういう論文を英語に翻訳することにあると言いたい。また内田良平伊藤博文谷干城の見解の違いは、さらに探求せねばならないと感じる。

 

あの授業から、もう10年以上経った。船橋洋一シンクタンク本を読んだから、外交や国際戦略のことを知りたい気持ちが再燃して、岡崎久彦『戦略的思考とは何か』を買い直して、再読した

 

意外や意外。今の私には、こちらの方が興味深く感じられるようになってしまった。

 

もともと自分はアジア主義的な立ち位置であると考えていた。そんな私が新英米派の外交官として有名で、イラク戦争の時にはアメリカ追従で、保守派の中でも、評判を落とした(?)岡崎氏の著作に、あらためて啓発されるとは。

 

岡崎氏は、『戦略的思考とは何か』(中公新書700、1983年)の中で、日清戦争以降の日本の国家戦略としてのアジア主義の可能性という問題に触れて

 

「最後に日本の戦略論という観点から、永遠の疑問として残るのは、アジア主義の問題です」(44頁)

 

と問題提起するが、結論として、

 

「民間の論説にはアジア主義はいろいろあるのですが、両国政府の公式文書を見るかぎり、結論からいってその可能性は皆無だったといえます」(45頁。「両国」というのは、日中両国の事を指し、その提携の可能性の事を岡崎氏は論じている。)

 

日本が列強の一員として振る舞った結果を知っている現在の我々は、日本が近代化の進んでいない清・韓を支援し、日・清・韓が連合して欧米列強に対抗するという選択肢の方が良かったと、義侠心から、罪悪感から考えるかも知れない。でも、そのような方向は、理論的的に考えることができても、現実性はなかったと岡崎氏によって結論づけられる。

 

「一般的に弱者同盟というものは力の上であまりプラスにならないうえに、強者を「しゃらくさい真似をする」と言って怒らせて、危険が増大するおそれがあります」(46頁)。

 

アジア主義というものが実現しなかったのは、現実の諸力を有していなかったからだと結論づけられる。日英同盟も日本が力をつけることによって初めて可能となったのだから、そのような点を見よという訳である。

 

この歳になってみて岡崎氏の『戦略的思考とは何か』を読み返していて、興味を惹かれるのは、日露戦争当時の伊藤博文や元老らは「親英」ではなく、「親露」だとされているような点である(78頁)。

 

大東亜戦争後の北方領土侵攻やシベリア抑留などを知る我々としては意外に感じられるが、伊藤らが再三再度日露戦争に踏み切るのを止めようとしたのは、勝てない戦争をして、日本国を危機に陥れてはいけないという思いからだったのだろう。その点、やはり幕末の難局をくぐり抜けて、日本の歴史伝統に上に、先進的な明治国家を作り上げて、産みの苦しみを経験した伊藤らは、すごいというべきなのだろうか。

 

幸徳秋水を取り上げるだけの授業では分からないのである。(内田良平を取り上げても分からないではないかと反論されそうだが、内田良平を良い意味で取り上げる学校の歴史教育は、私には想像がつかない環境である。そんな思想の流れは、私の通った学校にはないも同然だったのである)。

 

それにしても伊藤博文は、幕末の長州に生まれて、どうやってこれだけの見識を身に付けたのだろうか。いまの大学でも国際政治学はあるが、これだけの人物は偶然にしか生まれないのだろうか。

 

伊藤博文については瀧井一博氏『伊藤博文ー知の政治家』(中公新書2051、2010年)や、現在読書中の伊藤之雄氏の『伊藤博文ー近代日本を創った男』(講談社学術文庫2286、2015年。原本は2009年)などで学んでいる。

 

瀧井氏のものは「伊藤はナショナリズムに重きを置かない政治家だった」(瀧井・上掲書、321頁)など、私の先入観とは異なる伊藤像を提示している。

 

伊藤氏の方は「軽佻浮薄」、「保守反動」、「節度を欠く」女好きなどといった従来像よりも、日本の近代を作り上げ、厳しい国際環境の中で、日本を大事に育て上げた伊藤公の人物を伝えている。

 

あれから10年以上、経済、地位、勢力、国力など現実を動かしている諸力を見て生きているせいかも知れないが、伊藤博文らの国際戦略の方に興味が移ってきたのである。

 

さらに勉強を続けないといけない。