今週手に入れた本・『昭和史を陰で動かした男ー忘れられたアジテーター五百木瓢亭』ー令和二年五月三十日(土)
今週手に入れた本・『昭和史を陰で動かした男ー忘れられたアジテーター五百木瓢亭』ほかー令和二年五月三十日(土)
COVID-19の第一波を何とか乗り切ったが、少しの体調の変化にも恐れおののく今日この頃、みなさんお元気でしょうか?
松本健一氏『昭和史を陰で動かした男ー忘れられたアジテーター五百木瓢亭』(新潮社、2012年)
福本和夫のことを書いたので、久しぶりに戦前の共産党関係のものを読みたくなって、本棚に残っていた鶴見俊輔『転向研究』(筑摩書房、1991年)を手にした。そこで近衛文麿のことにも触れられており、平泉澄との捉え方のちがいに主体的興味を惹かれた。そのことについては平泉澄と鶴見俊輔の近衛文麿論の比較として、今準備している。
鶴見俊輔『転向研究』の中に五百木良三(政教社同人)が「右翼的東洋主義者」(141頁)として登場していたので、ネット検索してみると、松本健一氏が本を出していた。
そういえば、日経の書評欄での連載で佐藤卓己氏が松本健一氏のこの本について触れていたなとも思った。
裏表紙には
「正岡子規と同郷の俳人で、子規第一の弟子と言われ、医師として日清戦争に従軍した男は、やがて俳句の世界から言論界、そして政治の舞台裏へと歩を進める。原敬暗殺、二・二六、張作霖爆殺事件など、日本が戦争へと突き進む中で果たした男の役割とは?近衛篤麿、大隈重信、田中義一に近く、右翼の頭目・頭山満の衣鉢を継いだ国粋的“浪人”の謎多き一生。」
とある。おもしろそうでしょ。
正岡子規の周辺ってやっぱりすごいね。陸羯南とか。ああいうのが一番好きだ。
松本によると、司馬遼太郎の『坂の上の雲』は、正岡子規と同じ愛媛・松山出身で騎兵・海軍で活躍した秋山兄弟の日露戦争での活躍を描いた作品だが、そこには五百木瓢亭(いおき ひょうてい)こと五百木良三の名は出てこないという。松本は指摘する。
「もし五百木良三の名まえを出せば、読者にとってこの未知の人物がその後どのような人生を送ったのか、どこかで言及しなければならなくなるからだ。司馬は五百木の人生には、そうして五百木がふかく関わる暗い時代、「魔の季節」には、『坂の上の雲』では触れたくなかったのである」(75頁)
NHKのドラマで『坂の上の雲』が製作・上映された2010年ごろにも、司馬がこの作品を軍国主義賛美の作品と誤解されたくないとかなんとかで、なかなか映像化されなかったとかと言っていた記憶がある。
また司馬遼太郎の「暗い昭和」観をいつかしっかり考えねばならないところまで来ている。「頭山満の衣鉢を継いだ国粋的<浪人>」などに触れたくなかったということか。
大森曹玄翁も頭山満門下の禅僧なのである。
まだ読んだばかりだけれども、松本氏の立ち位置も気になる。でも興味深い本。本棚に残る本だと思う。本棚を維持できるかどうかは未定だが・・・。
平泉澄と鶴見俊輔の近衛文麿論の比較もまた記事にする予定です。
E.H.カー(原彬久)『危機の二十年』(岩波文庫、2011年)
大学時代、国際政治か憲法学かどちらを専攻しようか迷ったが、結局法哲学に進んだ我。
国際政治には子供時代から興味があったが、学歴上というかオフィシャルな経歴として国際政治とは無縁になってしまった。
柴四朗を論じた論文に権力と正義を単純に二分し、柴が正義を希求しながらも、権力政治に屈したとの評価を与えたというような論文を読んだので、その違和感を、このあたりを読むことから考え直し始めたい。
同志社出身で早稲田で教鞭をとった浮田和民にも(かつて二次文献をざっくり眺めただけながら)『倫理的帝国主義』なる書物があり、、近年のものではマイケル・イグナティエフの『軽い帝国』(こちらは坪内祐三氏が紹介していて、翻訳本を購入した。アフガニスタン戦争あたりのアメリカの対外関与を論じた本)などもある。
帝国主義と倫理は二分法で断罪できるものなのかという疑問を考えたい。
浮田和民の『倫理的帝国主義』が文庫などで手軽に読めなくなっている現代にも一石を投じたい。出版するなどして。
自分はこういう仕事をしたい。お元気で。