再チェック!坪内祐三氏の仕事部屋ー『鳩よ!』2001年12月号
1年前の記事で、もう処分すると書いたのだが、処分用段ボール箱の中に眠っていて、結局処分していなかった。
この号は大変貴重な号なのかも知れない。ネットに何か情報がないかと見ていたら、この「『鳩よ!』2001年12月号」で検索すると、私の記事が2位の位置に来ていたので、あまり論じられていないのかも知れないが、やはり貴重な号だったのだと思う。
例えば、坪内氏の大学院時代のエピソードは興味深いし、読者の参考になるだろう。
坪内氏は大学時代、福田恆存氏と花田清輝氏がお気に入りだったそうだ。そして、早稲田大学だと思うが、大学院に進学した時に読んだ本を紹介している。
「あまり声を大にして言いたくないのですが(笑)、実は僕は英米文学科の大学院では批評を勉強していました。」(33頁)
福田恆存氏の弟子にあたる松原正氏の弟子が坪内祐三氏だという理解だから、英米文学科に進んだのは分かるのだが、なぜ「あまり声を大にして言いたくないのですが(笑)」なのか読者は分からないだろう。これは多分次の文章に関係しているのだと思う。
「その頃アメリカでは脱構築批評が大流行で、いわゆる「イェールの四天王」の全盛時です。僕もいちおう、四天王たちの、つまりポール・ド・マンとジェフリー・ハートマンとジョン・ヒリス・ミラーとハロルド・ブルームの本を原書でチャレンジしてみたのですが、僕の英語読解力では、あまり良く理解できませんでした」(同頁)。
もちろん謙遜して言っているのだろうし、読んだことはないが「脱構築系」の研究者が書く論文が読みにくというのもあったのかも知れないが、坪内氏のような人が英語の原書をよく理解できないと言うのを聴くと安心する。やっぱり翻訳が読みやすく、早いよね。
「あまり声を大にして言いたくないのですが(笑)」というのはこの「脱構築批評」について言ったものだと私は推測する。というのも、「脱構築」というのはデリダがハイデガーの「解体」という語を訳す際に、「苦肉の策として選んだ一つの翻訳語」だそうだが*1、そのデリダの日本における紹介者たる高橋哲哉氏は、『靖国問題』という著作で世に知られている人だから、坪内氏がその思想の流れを方法論としては高度なものを持っており、批評の研究としては評価していても、全人格的に帰依してしまう相手ではないなと思いつつ、学んでいたという意味だと私は受け取っているが間違っているだろうか。*2
坪内氏が「お勉強」ながら楽しめたのは、次のような批評家だったそうだ。
「それよりもっとすっきり面白がることができたのは、彼らより一世代(あるいは二世代)前のアメリカの批評家たちでした。つまり、エドマンド・ウィルソン、ケネス・バーク、マルコム・カウリー、レイオネル・トリングといった人々です」(33頁)。
その面白さは翻訳でも十分伝わってくるということだから、安心した。
こういった英米批評家の入門書としてっスタンレー・ハイマン『批評の方法』(全十二巻!えっ?)が良いとのことです。
ちなみに「お勉強」ではなく、「感受性」で坪内氏が好きなアメリカの作家は、ナセニェル・ウエストがリング・ラードナーらしいです。どちらも知りませんでした。リング・ラードナーの短編「微笑がいっぱい」が坪内氏のお気に入りらしいです(33頁)。
『鳩よ!』2001年12月号、前にも書いたけど、2Kのようなアパートの一室に、その床にもたくさんの本がいっぱいあって本好きにはたまらない写真となっている。下の方の本は絶対読まないだろ。
『鳩よ!』2001年12月号を権利関係をクリアにして、ネットに載せて欲しいな。
だが、私が不動産のオーナーや貸主なら、部屋が痛み、隙間にホコリがたまるので、坪内氏には部屋を貸したくないかも知れない。もう大人になったな(笑)。