Book Zazen

書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

軍師の心構えー『松翁論語』 令和三年五月二十三日(日)晴れ

軍師の心構えー『松翁論語』 令和三年五月二十三日(日)晴れ

 

「立派な軍略を立てたら、それを大将に進言して、これを用いさせなければならない。つまり、用いさせる方法にも、軍略と同じだけの価値がある。」(『松翁論語PHP研究所、2005年、214頁)

 

子供の時に、「軍師」に憧れたことはないだろうか?

私も『三国志』に登場する諸葛亮孔明や『項羽と劉邦』に登場する韓信張良のようになりたいと憧れたものである。

(*大人になるイメージが湧かなかった私にとって、唯一職業としてイメージしたのが「軍師」だったと思う(笑))。

 

さて、現在急務なのは新型コロナウイルスのワクチンの迅速な接種という問題である。

ご存知のとおり、東京や大阪には自衛隊による大規模接種センターが設置されている。対象は高齢者だった。それに対し「なぜ高齢者の予約なのに、インターネットしかできないのだろう?」と感じた人もいただろう。

 

ニュースでも「インターネットを持っていないんだよ」と直接会場を訪れたご老人がいたことは記憶に新しい(このご老人はどうなったのだろう。可哀想に。)。

 

日経の5面総合欄には「ワクチン「先着順見直しを」」

そもそも自治体レベルの予約についても、様々な意見を持っている人がいるだろうが、今朝(2021.5.23 SUN)の日経の5面総合欄には「ワクチン「先着順見直しを」」という経済学者らの提案が載っていた。

www.nikkei.com

それによると政府の「新型コロナウイルス感染症対策分科会」に参加する経済学者、大竹文雄氏、小林慶一郎氏、小島武仁氏、野田俊也氏らによるもので、現行の先着順ではなく、条件付きの抽選制にすれば、予約システムにかかる負担や無駄を回避できるという提言を行ったという。

 

マーケットデザイン、ゲーム理論アルゴリズムなど現代社会に役立ちそうな領域を切り開いているカッチョいい人々も含まれているが、軍師は策略や戦術を考えだすだけではなく、その策が大将に採用される策も練らないといけないのである。

 

そもそも何故今頃こんな提言が出てくるのだろうか。やる前に出せなかった事情があったのだろうか?

 

松下幸之助さんは、別の著作(『道は無限にある』PHP研究所、2007年)でも軍師についてこういっている。シチュエーション設定はこうである。

 

「たとえば、ここに一人の大将がいて、そのもとに非常に立派な軍師がいたとします。その軍師の立てた計画は、非常にすぐれた計画であり、軍略です。」(110頁)

 

「それを大将に進言しました。ところがもう一人軍師がいました。こちらの軍師の立てた計画は、決してすぐれたものではありません。」(110頁)

 

「この場合、対象がどちらを採用しようかと考えます。もしこの大将が神のごとく賢明であれば、すぐれたほうの軍略を用いることは、これはまちがいないと思います。」(110頁)

 

「しかし、この大将がそうすぐれていない、普通の大将であるとすると、すぐれたほうの軍略を用いさせるか、劣った方の軍略を用いさせるかは、その軍略を立てた軍師の進言の仕方によると思うのです。」(110頁)

 

私は菅内閣の批判をなどをしているのではない。むしろ軍師のあり方を幸之助さんの知恵を借りて説明しているのである。

 

「立てたら、今度はそれを進言して用いさせなければならないのです。」(111頁)

「用いさせるにはどうしたらいいかということは、これは軍略と同じだけの価値のあるものだと思うのです。」(111-112頁)

 

思想家やミュージシャンなどは、「世間が分かってくれない」という気持ちになりがちだが、丁稚奉公あがりの幸之助さんは世間を良く知っておいでである。

 

「こういうことがわかってこないことには、本当に立派な軍師にはなれません」(112頁)。

 

さて、我が国の軍師たちは、衆知も尊び、時に腰を低く下げることができる人物なのか、それとも「カッコイイ高度な知識」を持っている「エリート」なのか。

 

以上、軍師憧れだったが、現在はワーキングプア予備軍による感想でした。

笑ってください。

 

 

 

 

 

 

「事上磨錬」ーこれからの目標ー令和3年4月21日(水)晴れ

「事上磨錬」ーこれからの目標ー令和3年4月21日(水)晴れ

 

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晴れ間の月

 

一旦苦境から脱した。でも、心の苦境は続いている。

 

今日も朝からそうだった。

 

俺を否定したあいつは活躍している。要職にある人、肩書のある人から評価されている。俺はどんな場所でも、1から始めないといけない人生を歩んでいる。

 

これまでの人生は何だったんだと。でも何故なのか分かっている。

 

俺の青年期はディオニソス的要素が強すぎて、仕事や職業についてまともに考えることができなかった。それが今の苦境を招いている。

 

いま社会で活躍している人は、「社会人」になったときに、何か1つの職業を選んで、いや、どこかの会社や職場に「所属」することを通して、「成長」していったんだ。

 

でも俺にはそれがなかった。自分で選んだ道とはいえ、業務知識と在職年数と、そして何より「職場への帰属」が要求される社会の中で俺は苦境に立たされている。

 

そんな俺がこの社会の中で、心の火を燃やしたまま生きるには、どうしたらいいのか考えるのである。

 

 

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」(『行動学入門』文春文庫、1974年所収)

思想的タブーとなった日本の思想には、葉隠的武士道、平田篤胤国学、そして陽明学があるという。これらが明治以降、開明的な日本人にとっては忌まわしい思想であり、葬りたいものなのである。

 

革命哲学

三島によると革命を準備する哲学にはミスティシズムとニヒリズムがあるが、明治維新は、神秘主義(ミスティシズム)としての国学と能動的ニヒリズムとしての陽明学により達成されたという。 

*私は歴史の断絶を意味する「革命」と連続性の上に新たな生命を獲得しようとする「維新」は異なると考えているが、今は措く。

大塩平八郎の乱明治維新の先駆と評価できるし、大塩の著『洗心洞劄記』は西郷隆盛の愛読書だったし、吉田松陰の思想と行動にも陽明学が隠されている。

 

陽明学は、善悪を超越した主観哲学であり、極端なラディカリズム、能動的なニヒリズムにより極限へと突き進む。そして陽明学にはデモーニッシュ(悪魔的な)な要素があるともいう(三島、203頁)。

 

「デモーニッシュ」

三島は「デモーニッシュ」のことを「理性のくびきを脱して狂奔する行動に身をまかせ、そこに生ずるハイデッガー的のいわゆる脱自、陶酔、恍惚、の一種の宗教的見神的体験」(同頁)などと言い換えている。

 

「デモーニッシュ」=ディオニソス的」

また三島は、大塩平八郎の行動を「ディオニソス的」(204頁)とも形容しているので、この論文において「デモーニッシュ」ディオニソス的」は同じ意味で使われていると私は理解している。陽明学を詳しく説くことは私にはできないし、三島のこの論文の感想については他日を期したいが、陽明学ないしは陽明学者には「デモーニッシュ」=ディオニソス的」なるものが拭いきれずに存在するということが分かっていただけたと思う。

 

だが、大塩平八郎は勿論のこと、西郷隆盛吉田松陰のように「十字軍」的に散っていった先人を前にして、日々の生活をどのように送ればよいのだろうか。どこに行っても1から始める私にとって、何の権威も後ろ盾も頼めないのである。

 

 

山田準『陽明學講話』明徳出版社、平成九年

(私の言葉で簡潔にまとめている。*は私の感想。)

 

知行合一

陽明学は実行を主とする権威ある学問である(10頁)。陽明学は血みどろになって奮闘する学門である(97頁)

 

王陽明も迷いに迷った

・王子(おうし。王陽明先生のこと)は57年の生涯だったが、前半生を迷いの中で過ごした(21頁)。学者で王子ほど迷った人はいない(28頁)。大疑すれば大きな悟りが開ける(同頁)。

*これを聞いて、凡夫の我は救われる。

 

煩悶する原因は、4つ

・そもそも我々が煩悶する原因は、「得失栄辱」の4つから来るのである(54頁)。

*今日の朝もそうだった。「得失栄辱」に苦しんだ。

 

・「啾々吟」(しゅうしゅうぎん)という長い詩:「知者は惑わず、仁者は憂えずとあるのに、君はまた毎日ふたつの眉に皺よせて、くよくよするとはなにごとか。足の出るままに歩けば、どこを歩いても坦々たる大道だ」(79頁)。

*こうやって生きていければいいが、またすぐに忘れてしまう。

 

・「学問というものはわが心に合点するのが第一である。自分の心に合点がいかずば、それがたとえ孔子の語であろうとも、決して善いとは思わぬ」(80頁)。

*この点、私は後ろめたいことはない。大学院でも、思想に関して、教員にすり寄ることはしなかった。そしてそれでよかったのだと思う。

 

「事上磨錬

*山田準は「事上錬磨と表記している。

・「事上」とは仕事の上でということ、「錬磨」とは鍛え磨くこと。(104頁)

・書物の上で学問するのではなく、実行して学問する。「事上錬磨」とは、実学と言ってもよい(104頁)。

・実際世の中は、過ちができても進んでやろうという活動的な人のおかげて、進歩発展する。過ったら、さらに進んでいっそう善いことをする(106頁)。

・過失なき人は万事に成功せぬ人(107頁)

*職場で長い人に多いパターン。新入りを減点法でのみ見るタイプ。そんな考え方がうつってしまったら嫌だ。

徳富蘇峰氏は、大塩一揆明治維新勤王の第一声と評している(107頁)。

*この時代の人物の人選が良い。

・書物は財産目録のようなもので、財産ではない(109頁)。

*LeseMeisterとLebenMeisterの区別。大学院の教師に多い。精確な読解は大切だが、男として尊敬できない人物が、古典の読書経験だけにモノを言わせても、ダサいだけ。

 

「回顧すれば、王子は若い時からずいぶん迷うた人でありました。五溺とて五つの方面に溺れては出る。出でてはまた溺れるという始末。学者でこんなに迷うた人はほかにはありません。したがって王子は、ずいぶん欠陥が多い人でありました。しかしそこに道を求むという熱心は猛烈に一貫しておりました。この一念が、王子を人になし、学問を学問に成したと思います」(130頁)。

 

まとめ

私はアポロン的な知性だけでは満足できず、「デモーニッシュ」=ディオニソス的」な世界観をも持っている。

 

本を研究するのではなく、実際の世間で働かざるを得ない私。「事上錬磨」を心がけて仕事するしかない。実地の学問をするしかない。

 

陽明学を心の拠り所にして、この立場のまま、実地に学問していくしかない。それがこれからの目標である。

 

 

過去記事:LeseMeisterとLebeMeisterの区別については、以下の過去記事を参照してください。

book-zazen.hatenablog.com

 

book-zazen.hatenablog.com

 

 

 

 

 

「位なきを患へず、立つ所以を患へよ」ー安岡正篤『朝の論語』より 令和三年四月五日(月)

「位なきを患へず、立つ所以を患へよ」ー安岡正篤『朝の論語』より 令和三年四月五日(月)

「子曰く、位なきを患へず。立つ所以を患へよ。己を知らるること莫きを患へず。知らるべきを為すことを求めよ」(『論語』里仁第四)

 

5年ぶりの苦境に立たされている。人間の裏面も見せられた。嫌な態度も取られた。何よりそんなことに左右される自分の境遇が情けない。

 

自分が見た人々は、世界情勢や思想に興味がなく、全く自分の周りのことだけしか知らない。それでいて年功序列。そこに長くいるか、業務知識を知っているだけの人たち。敬意の念など湧いてくるわけがない。キャパの小さい人たち。

 

こんな人たちに人生左右されるのか?

なぜ自分はいまの苦境に立たされているのか。こんな状態が一生続くのか。

今まで考えてきたこと、努力してきたこと、出会ってきた人々を思い、今の自分の状態への嫌悪感が湧く。

 

朝に少し時間ができた訳だから、安岡正篤『朝の論語明徳出版社、昭和三十七年)を読む。学生・修士時代以来、久しぶりに読める気分になった。実社会に出てからだから、社会の中に位置づけられた(位置づけられてしまった)等身大の自分で読まなければいけない。

 

まず、『論語』里仁第四から

「子曰く、富と貴とは、是れ人の欲する所なり。其道を以てせざれば、是を得とも處らざるなり」。

*「處らざる」=「をらざる」

 

という語を紹介し、「貧乏と、しがない境遇は誰しもいやなことであるが、それが良心的に何ら恥づる所なくしてしかる以上、それも結構、別に逃げたり避けたりしないといふのであります」(55頁)と説き始める。。

 

李氏朝鮮儒者・李退渓や備中岡山の儒者山田方谷の言葉を紹介した後、論語に戻り、説いたのが冒頭の言葉。

 

「子曰く、位なきを患へず。立つ所以を患へよ。己を知らるること莫きを患へず。知らるべきを為すことを求めよ」(『論語』里仁第四)

 

私は地位が低いことを嘆いているが、自分の思想の根拠を掘り下げているだろうか、論敵から逃げていないだろうか、仕事を言い訳にして、思想の統一を怠っていないだろうか、現代に迎合し、その流れに乗ろうとしていないだろうか。

 

人に知られたいという気持ちを持ちながらも、大した業績もないじゃないか。

 

「己を知らるること莫きを患へず。知らるべきを為すことを求めよ」。

 *「莫き」=「なき」

 

安岡正篤氏の『朝の論語』を読んで少し安心した。また明日から苦境を脱する試みが始まる。

 

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4月の空

 

本物に触れたい ー『男爵山川先生遺稿』 令和三年四月三日(土)くもり

本物に触れたい ー『男爵山川先生遺稿』 令和三年四月三日(土)くもり

 はじめに

『男爵山川先生遺稿』(大空社、2012年。昭和12年の復刊)を読む機会を得た。

 

山川健次郎(1854-1931)は、会津藩士出身で、明治に入ってイエール大学に留学し、東京帝国大学の総長、貴族院議員、枢密顧問官になった人物である。兄の山川浩が著わした、幕末の会津藩松平容保らの冤をすすいだ『京都守護職始末』(平凡社東洋文庫49・60)の実質的な編集者だという(松本健一『秋月悌二郎 老日本の面影 増補・新版』辺境社、2008年、67頁)。

*『京都守護職始末』について、神道思想家・葦津珍彦は「明治四十四年にいたってはじめて出版されたが、否定しがたい確実な資料と切々たる会津藩臣の赤誠をもって、公武一和論たりし松平容保が、いかに孝明天皇にたいして忠誠の臣でったか、また天皇がいかに容保を深く信頼せられたかといふ史実を明らかにしてゐる。」(「禁門の変前後」『葦津珍彦選集(二)』神社新報社、平成八年、90頁。この論文は『永遠の維新者』に収録されていると思うので、そちらをあたってもらいたい。)

 

薩摩出身の陸軍軍人・大山巌の妻・捨松が、山川兄弟の実の妹にあたる。かの有名な白虎隊のメンバーであったが、当時15歳であったので、除隊されたという。亡くなった隊員には親友が数名いたという(『男爵山川先生遺稿』88頁)。

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山川健次郎(「近代の日本人の肖像」より)

 

松浦光修氏の『明治維新という大業』(明成社、平成三十年)に山川健次郎の言葉が載っていた。

佐幕派と勤王派は尊皇という点で共通している(p.48)。

明治維新は、マルクス主義では解釈できない(p.69)。

共産党問題ほど重要な問題はない(p.70)。

 

そこで挙げられた文献が『男爵山川先生遺稿』だった。

 

特に興味を惹かれたのが山川健次郎のラジオ講演マルクス主義は科学にあらず」である。上記の言葉の中にはそこから引用されているものもある。

 

この講演について松浦氏は、「山川は、『共産党宣言』、『反デューリング』などを素材にして、物理学者らしく“科学的”に共産主義批判を展開しています」 と説明している。(松浦・前掲書、69頁)。

 

とはいえ、どのように議論を展開しているのかは省略されていたので、その議論の筋道を知りたかったのである。そこで以下、議論の筋道を追って見た(ナンバリングと小見出しは私がつけた。原文は正字・正かな)。

  

マルクス主義は科学にあらず」

マルクス主義は科学にあらず」は昭和4年9月1日のラジオ放送なのであるが、遺稿の内、「国本社および中央教化団体連合関係」に収められている。国本社というのは平沼騏一郎で有名だが、太田耕造らの(第一次)国本社と、平沼騏一郎らの結成した辛酉会が大正13年に結成されたものである。山川健次郎は、東郷平八郎とともに国本社の顧問になっており、国本社の人的構成の特徴は、司法関係の高級官僚、国士型の陸海高級軍人、内務省の治安関係者を中心に結成されたものであるということができる(橋川文三平沼騏一郎と国本社」(『橋川文三著作集9』所収、筑摩書房、2001年、参照)。

 

1.科学とは何か

マルクス主義者は、サン・シモン、フーリエオーウェンらを「空想的社会主義」と呼び、自分たちを「科学的社会主義」と呼んでいるが、それならば「科学とは何か」と山川は問う。

山川によると「科学」とは「一定の真理を土台として厳密な論理で得られた種々の結論の総体」のことである。

2.天体力学の導入

科学の土台には真理がある。真理とは、言葉の意味を理解するものならば、誰もが同意せざるを得ない公理のことである。例えば、「部分は全体よりも小さい」などがそれにあたる。公理とまでは言えないが、現在のところ、反証があがっていない定理も、土台となることがある。「運動の定律」(運動の法則?)「引力の定律」(万有引力の法則?)は、公理ではないが、これまでのところ経験的に反証が挙げられていないので、公理同然に扱われている。それを土台にして、天体力学=星学が作られており、肉眼では見えない天体の存在まで予言できるのである。

3.海王星の予言に見る科学の特色

ここから山川は、海王星の予言の話しを例にとり、科学の特色を説くのである。

もともと、海王星の存在は誰も知らなかった。だが、天王星の運動を研究していると、その位置が計算に合わなかった。そこで研究者らは、天王星に影響を与えている星の存在を考え、物理学の基本的な定理を用いて、複雑な計算をこなし、理論的に予言した。 

イギリス人アダムス。これとは別に海王星の研究をしたフランス人ルヴェリエーがいて、彼はアダムスと同様の結論を得たのである。ルヴェリエーの理論的予言は、天体観測により実証された。これが現在の海王星なのである。

この話を通じて、山川が説くのは、動かすことのできない基礎を土台にして、厳密な論理で結論を導く科学の特色である。

 

4.マルクス主義は科学か?

それではマルクスの説は、動かすべからざる真理と言えるのだろうか?このような意味での「科学」と名乗って良いのだろうか?

 

マルクス主義の土台は、唯物史観階級闘争論等である。

 

唯物史観について山川は、鎌倉幕府の崩壊を一部、唯物史観で解釈することは可能だと述べる。例えば、蒙古襲来による戦費の圧迫が崩壊を助長したと。しかし、その全体を唯物史観によって説明することはできないと説く。また、自己が経験した明治維新についても「我が明治維新と云ふ史実を、唯物的には如何にしても説明は出来ない」(546頁)と強調する。

マルクスの他の基本説も、完全な真理ではなく、公理同様のものではなない。

それゆえ、マルクス主義は科学ではないのである。信用を得ようとするために「科学」の仮面をかぶっているに過ぎないと批判する。にもかかわらず、マルクスの学説を真理のように尊重し、鵜呑みにし、その信者が「科学」と唱えることに異を唱えることができない日本人や、マルクス主義の土台となる命題をしっかりと吟味できないものが多いことを山川は嘆いている。

 

また、マルクスを崇拝する出版物は多いにもかかわらず、反マルクス主義の立場に立つ出版物が少ないことも指摘し、当時の出版事情を批判している。

 感想

新選組と倒幕の志士が活躍したあの幕末を経て、明治時代に物理学者・教育者として生きた会津藩士・山川健次郎によるマルクス主義批判。「マルキスト」など現代でも用いられる言葉を使っていることは興味深い。歴史の移り変わりの激しさである。

 

ここでは左派・マルクス主義者が理論的、右派・国粋主義者が没理論的、怒号的などという図式は成り立たないのである。 

 

山川健次郎は本当に人物で、貴重な存在だった。なぜこのような人物が我が国から消えて、単細胞的な政権批判だけ繰り返す学者が主流になったのだろう。返す返すも残念である。

 

出版事情

マルクス主義者・野呂栄太郎の『日本資本主義発達史』や羽仁五郎の『明治維新史研究』は、ともに岩波文庫で簡単に入手できる。私も前者は上下巻を持っているし、ざっくり流し読みしたことがある。

 

だが、山川健次郎の著作は、入手が難しい(国立国会図書館のデジタルライブラリーでは見ることができるが、大部なので岩波文庫に比べて読みにくい)。

 

書肆心水などは戦前のアジア主義者らの稀覯本まで、装丁を新たに、手に入れ安い価格で提供してくれている。杉山茂丸夢野久作の父)の本なんて、書肆心水が出版するまで入手方法が限られていた。国本社関連も復刊して欲しい。ネットを見てみると藤原書店出身の方が、立ち上げた出版社のようだ。岩波文庫の方は、大学などの研究機関に属する現代の研究者が編集し、大学でも用いられるが、書肆心水の方は、もともと大学の人文・社会系では嫌われ役・悪役として扱われている人物が多々いるし、学者・研究者による校訂・解説を経ていないので、論文に引用しにくいかも知れない。

 

山川健次郎の著作を読みたくても、読みにくいデジタルライブラリーのものを除けば、復刻本の高いものか、古本しかなく、今日の日本人には入手するすべがない。

 

思想に関心を持ち始めた現代の青少年が、岩波文庫マルクス主義者の本と、山川健次郎の本のどちらが手に取りやすいかは明らかだろう。そして山川の文書など読むことなく成長し、マルクス主義者らのいかにも「社会科学的な論文」を「高級な」知識だと思い、そのような著作物を評価する頭のクセがついていくだろう。

 

そこから形成される言論界やその状況がどのようなものになるのかは明らかである。

 

自分のやるべきことが見えているのだが、出版社をどのように立ち上げ、採算をとっていけば良いのだろうか。歴史小説のようにベストセラーになるとは考えにくい。山川健次郎のような人物に一歩でも近づきたかったのだが、その時は過ぎ去っている。

 

過去記事:書きかけのまま放置しているが、

book-zazen.hatenablog.com

 同じ会津藩出身の柴四朗については

 

book-zazen.hatenablog.com

 長岡藩出身の山本五十六については

 

 

book-zazen.hatenablog.com

 

 

心胸開拓できていないー令和三年三月二十一日(日)終日雨

心胸開拓できていないー令和三年三月二十一日(日)終日雨

 

もう寝る前になって言うのも何だが、今日一日何もできなかった。

 

先週、今週と仕事関連で忙しかったので、心胸開拓や思想系は何も進んでいない。

 

生きるため、より良い仕事に就くために駆けずり回った。電話も多かった。

 

コロナ下での失業の不安もあるから、まずは仕事のための本を優先した。

 

でも、呉智英氏が加藤博子氏(初めて知りました。)と対談している思われる『死と向き合う言葉』の購入を見送った自分が少し情けない。大型書店で見かけて、すぐに購入しようかと思ったが、仕事関連の本を優先してしまった。

 

最初に呉智英氏の本を買ったのは、16歳ぐらいのころ『賢者の誘惑』だったと思う。大友克洋氏の『AKIRA』をアルバイト代で1か月1冊ずつ購入していたあの夏が懐かしい。

もはや子供でもなければ、大学・大学院生時代ともちがう。

生活の糧を得なければならない「生活人」となってしまった。

こうやっている間に年を取るのか?

 

呉智英氏を始めとする全共闘世代の人々が、死を迎えるこの時期、何を語っているのだろうか。予算があれば、購入します。

 

おやすみ。

 

book-zazen.hatenablog.com

 

 

死と向き合う言葉

死と向き合う言葉