Book Zazen

書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

転職準備ー平成30年10月5日(金)

転職の準備をするために、休日を利用して、百貨店などを回ってきました。

 

いまの職場はスーツ着用ではないため、スーツに加え、バッグなど、年齢にふさわしい服装や道具を揃える必要がある。

 

少しお金がかかりますが、これまで働いていた分で賄います。

 

この年齢になってくると、一点一点上質なものが欲しくなるが、百貨店のものはさすがに値段が高くて、手が出ないものが多い。「いいな」と思ったものは、ほとんど値段が高い。

 

とある百貨店

とある百貨店

という訳で、ほとんど購入できず、見に行っただけに終わってしまった。

 

ゴールドジムプロテイン:これは本当においしい!

某百貨店では、ゴールドジムプロテインのお試し用が売っていて、20gで200円だったので、1つ買って見た。

 

ゴールドジム・プロテイン

ゴールドジムプロテイン

今まで森永ウィダーのココア味とオプティマム・ニュートリションのゴールドスタンダードを飲んできたが、ゴールドジムプロテインもびっくりするほどおいしかった。

ゴールドスタンダードのチョコレート味がチョコアイスのような味であるならば、今回試してみたゴールドジムプロテインは「ジャイアントカプリコーン」(笑)のような味です。

 

値段帯が高いので続けて行くのは難しいかもしれないが、比較的安いものより効果があるなら、検討に値する味だ。上質なものと感じた。

 

転職準備をしに行ったのに、プロテインを買っている場合ではない(笑)!

 

自分なりに購入できる範囲の上質なものとしては、パーカーのボールペンを買った。

 

<本日購入した本+雑貨>

"Market Leader", Pearson

*レベルはエレメンタリーを選んだ。スピーキングやライティングを考えたら、まず簡単なものから固めて行くのがよいと考えて、まずこのレベル。これからビジネス英語を本格的に学んで行くきっかけにしたい。CD付きで3700円ぐらい。

五十嵐かほる『一流の男の演出力』(日本能率協会マネジメントセンター、2017年)

*著者はパーソナルスタイリスト。大手百貨店の外商部やVIP会員ラウンジなどで専属のスタイリストの経験があるとのこと。もとは客室乗務員の方。スーツ、靴、ネクタイの良い選び方などを教えてくれる。

梶谷懐『現代中国経済講義』(中公新書

*日経の水曜日・夕刊には書評欄があるが兵庫県立大学客員教授中沢孝夫氏が選んだものとして本書が載っていた。「イデオロギー抜きの冷静な本」とのことである。

広中平祐『学問の発見』(講談社ブルーバックス、2018年)

フィールズ賞小平邦彦氏に続いて受賞した数学者の著者。氏の書いた(数学論文ではない)文を一度しっかり読んで見たかった。ビジネス社会で自分の探求心を失いたくないので、手助けになればよいと思い購入。

 

村上憲郎『村上式シンプル英語勉強法』(日経ビジネス人文庫、2008年刊行のものを文庫化にあたって加筆あり。)

*元学生運動家にして、Googleの元日本法人社長の村上氏。製造業のエンジニアから外資系コンピューター企業の営業職に転職した際、英語習得に苦労したことがきっかけとなり編み出した英語勉強法を教えてくれる本。

デビッド・A・セイン『ビジネス版 英語でこれを言えますか』(日経ビジネス人文庫

*英語の一般書では有名なデビッド・セイン氏のものである。こちらはネイティブ・スピーカーではない以上、この手の本はすべて必要と言えば必要なのであるが、そんなことをしていたら、どこまでも購入させらてしまう。だから、この手の本は一時ストップしていたのだが、さすがに職場で英語を使うようになるのだから、500円ぐらいで恥かく率を減らすために購入。

川勝平太『資本主義は海洋アジアから』(日経ビジネス人文庫、2012年)

*特に鹿児島に行って以降、平川新氏の『戦国大名大航海時代』(中公新書)などを読んでいたのだが、前々から自分なりの勉強の成果をまとめてみたい領域であった。川勝氏の名前は以前から知ってはいたのだが、なかなか機縁が熟さなかった。ところが今ちょうどいいタイミングで本書を見つけた。陸地を中心とした唯物史観から、海を中心にしたブローデルの『地中海』へのパラダイム変革を冒頭で概観しており、刺激される。

西田宗千佳『すごい家電』(講談社ブルーバックスB1948、2015年)

 

本田直之『7つの制約にしばられない生き方』(大和書房、2011年)

*仕事は大事。でも仕事にしばられた生き方はしたくないから、このタイミングで購入。

 

<雑貨>

ケンコー書見台(1400円ぐらい)

ブログを書く際などに、書見台があったらいいなと思っていた。ただ1000円以上もお金を出したくないという気持ちと、チープなものは欲しくないという気持ちに挟まれて、何年も購入を先送りにしてきた。

この書見台は1961年よりロングセラーとなっているようなので、信用して購入して見た。まあ。これで十分。買って良かった。A4サイズまでOK。

 

デニムのブックカバー

これまでは本屋でつけてもらったブックカバーを使っていたが、転職を機に、細部まで気を使いたいので、デニム生地のブックカバーを買って見た。新書用と文庫用の2つを購入した。文庫用はデニム地に小さな水玉模様で気に入った。

 

<ケア用品>

KIWIのシューケア・スターターキット

*革靴のケアをちゃんとしていこうと思う。

祝!月間500PV突破!

祝!月間500PV突破!

 

今月、月間PVが500を突破しました!

ブログ開設から1年3カ月程で、なんとかここまで来ました。

もちろん今月で言えば、鹿児島旅行という大きなコンテンツがあったから、実現できたのだろうけども、やはりうれしいもの。

開設当初は泣かず飛ばずだったけれども、少しずつ閲覧数が増えて来ました。

 

これからも英語関係(英検1級、TOEIC)や思想書関係(日本、外国)の話題を中心にブログ記事を書いて行きます。

 

英語関係としては、上記の試験関係に加え、これからのキャリア(!?)に関係することを書いていければ良いなと考えております。

思想書関係としては、本の紹介や疑問点の提示にとどまらず、もう少し自分の主張を、その根拠とともに書いていければ良いなと考えております。

 

Yohei

 

 

長谷川三千子氏『神やぶれたまはず』所収「折口信夫「神 やぶれたまふ」」

少し前に、ビン・ラディンを追い詰める映画を見て、アメリカの軍人の献身の精神的源泉はどこにあるのだろうかという記事を書いた。

book-zazen.hatenablog.com

 その際に植村和秀氏折口信夫ー日本の保守主義者』の中で、

「あめりかの青年たちがひょっとすると、あのえるされむを回復するためにあれだけの努力を費やした、十字軍における彼らの祖先の情熱をもって、この戦争に努力しているのではなかろうか、もうしそうだったら、われわれは、この戦争に勝ち目があるだろうかという、静かな反省が起こってきました」(139頁)

と書かれた一文について言及した。

 

その後、大学図書館ブラウジングしていたら、たまたま長谷川三千子氏『神やぶれたまはず』中央公論新社、2016年)所収の折口信夫 「神 やぶれたまふ」」で、上記一文とほぼ同趣旨の文章への批判を含む折口の戦後直後についての批評を見つけた。

 

長谷川三千子氏『神やぶれたまはず』(中央公論新社、2016年)所収

第一章「折口信夫 「神 やぶれたまふ」」

冒頭、「神ここに 敗れたまひぬ」で始まる折口の詩を論じることから始まり、折口の唱えた「神道宗教化」の「迷走」を論じる。その上で、「今度の戦争に、伊勢神宮熱田神宮等の如く、多くの戦災神社があつた時に、誰が、十字軍の時にようろつぱ人の持つてゐたやうな、情熱を持つてゐたらうか」という「神道宗教化の意義」(昭和22年)に収められた一文を挙げて「見当はずれ」と断ずる。

 

その理由として長谷川氏は以下の二点を挙げる。

 

①十字軍は純粋な宗教活動ではない。

「現実の十字軍の遠征が、決して純粋なる宗教的情熱のみに導かれたものでなかつたことは、現在では広く知られてゐる事実である。当時のヨーロッパ人たちは、世界最先端の文明圏であつたイスラーム世界への好奇心とあこがれと欲望とにつき動かされて遠征していつたのであつた。宗教的情熱は、その一端であつたにすぎない。また、もし仮りに、十字軍をつき動かしてゐたのが、その牧師が言ふやうな「非常な情熱」であつたとしても、エルサレムの奪還といふことが、キリスト教といふ宗教にとつて真に宗教的な意義をもつものであるかどうかは、はなはだ疑はしい」(23-24頁)。

 

②神風特別攻撃隊を考慮に入れていない。

「ひよつとして氏は、十字軍は聖なる宗教的情熱に貫かれてゐたけれども、神風特別攻撃は、単なる狂気のわざ、あるいは単に上からの命令によつて尊い命がちらされただけのことだつたと考へてゐたのだらうか?」(26頁)。

『散華のこえに耳を澄ませて』所収の「散華のこころ」という戦没学徒の遺族に取材した文集を挙げて、特攻隊員や回天の乗組員らの決意のなかには、「まさに「宗教的情熱」といふ言葉で語る以外にないものが含まれてゐた」(27頁)と長谷川氏は主張する。 

 

したがって、「「我々は様々祈願しけれど、我々の動機には、利己的なことが多かつた」といふ折口氏の言葉は、このような日本の若い戦人の心からかけはなれてゐる」(27頁)と批判するのである。

 

植村氏の同書のサブタイトルは「日本の保守主義者」である。

植村和秀氏の『折口信夫』を未だ細部まで読んでいないが(「早く読めよ」って?)、戦後、神道をめぐって、葦津珍彦氏とのちがいについては触れられていたが、長谷川氏のような観点からの指摘は書いていなかった。もちろん、葦津氏は実際に戦後すぐにも活動していた人物である一方で、長谷川氏は現在の言論家であるから、同書で対象ではなかったのであろう。だから私も含めて読者はこのような点を自分で考えていかなければならないと思う。

 

またもう一つ気になったのは、文芸評論家の桶谷秀昭氏の解説中にあった折口詩への批判である。

「敗戦期戦後日本の世俗の汚濁への折口信夫の激しい嘆きは、戦争末期の悲嘆と連続しつつ、あの敗北の瞬間を含まない。そしてそこから、昭和二十二年五月五日の「新憲法実施」のやうな、人を唖然たらしめる詩の愚策が生まれてくる」(344頁)。

 

折口に「新憲法実施」のような詩があるとのこと。知らなかった。私は「保守派」ではなく「志士」憧れの者に過ぎないから、別に誰がどのような発言をしていてもいいのだけれども、折口氏については植村氏から「日本の保守主義者」とサブタイトルを付けられて昨年流通したぐらいだから、現憲法に賛している折口氏の姿勢について考察する必要があるのではないか。

 

この年齢で白川静氏からやっとつながった折口信夫であるが、なかなか一筋縄ではいかないな。当たり前か。一番割り切れなさそうな人物だしな。ここはいったん安藤礼二氏の『折口信夫』あたりを読んで見ようかな。

 

 

TOEIC LR&SW結果報告ー平成30年9月24日(月)ー 表彰制度“IIBC AWARD OF EXCELLENCE”を目標に

今年の7月末と8月上旬に、TOEIC LRテストとSWテストを2週連続受験することは以前に書きました。

 book-zazen.hatenablog.com

 

book-zazen.hatenablog.com

 

もうすでに結果は出ていましたが、単にスコアを書くだけの記事もおもしろくないと思い、どんな記事にしようかと迷っていたので、時間が経過してしまいました。

 

でも、スコアなんて役に立てばいいのだから、簡潔に報告し、次回以降の抱負を語りたいと思います。

 

結果から言いますと、

TOEIC LR: 845点(L:445、R:400)

TOEIC SW:Speaking 130 Writing 130

でした。

 

このスコアをどう見るかは、人によって分かれるでしょう。

 

LRは900点以上が目標だから、もう少し頑張る必要がある。

SWは初回受験と勉強量ということを考慮したら、善戦したと言えるのではないでしょうか。スピーキングは平均レベル、ライティングが平均やや下らしく、発音は中ぐらい、イントネーションや強勢も中ぐらいということでした。発音は良い方だと思っていたのでショック。でも今後の勉強に役に立てればよいと思います。

 

<今後の目標>

以前はTOEICが役に立つ職場環境ではないということを書きました。詳しくは述べませんが、今後は分かりません。ですから4技能の高得点者に与えられる表彰制度“IIBC AWARD OF EXCELLENCE”を目標に勉強していくつもりです。

表彰制度“IIBC AWARD OF EXCELLENCE”のご案内|ご案内|TOEIC Program|IIBC

 

それによると、表彰の条件は、

LR:800点以上(ただし、リスニング375、リーディング425)

SW:スピーキング160点以上、ライティング170点以上

とのこと。

 

LRの全体の点数は足りているが、リーディングが足りていない。

SWはあと40点ぐらいの積み増しが必要だ。

 

とりあえず、LRについては、対策としてを濱崎 潤之輔氏の『TOEIC LRテスト990点攻略 改訂版』(旺文社、2017年)を購入した。問題だけではなく、各章の解答方針が付いている点が購入動機である。解答の指針があれば、テスト中アクティブな解答ができるだろうと思ってのことである。つまり、講師が解答の解説をするように頭のなかで解いていけば、テスト中受け身にならず、ぼーっとせずに2時間有意義に過ごせるだろうと考えてのことである。 

【CD2枚付】TOEIC L&Rテスト990点攻略 改訂版: 新形式問題対応 (Obunsha ELT Series)

【CD2枚付】TOEIC L&Rテスト990点攻略 改訂版: 新形式問題対応 (Obunsha ELT Series)

 

 

SWテストの対策について。今のところSWテストに特化したテスト本を追加で買う予定はないが、ケンブリッジやピアソンなど外国の出版社が出している英語教材をやってみるつもりで、教材のカタログを見ては楽しんでいる。こんなに楽しくなったのは、中学生以来。大型書店など並んでいるELT系(?)の教材と言えばいいのだろうか。表紙を見ているだけで楽しめる。この中から何か買って見たい。カタログが欲しければ出版社か、大型書店で手に入るはず。

 

 

連載⑥ 紹介・呉智英『読書家の新技術』(朝日文庫、1987年)呉氏の読書論の提示 勝田吉太郎氏の登場

 連載⑥ 紹介・呉智英『読書家の新技術』(朝日文庫、1987年)呉氏の読書論の提示 勝田吉太郎氏の登場

 

久しぶりにまとめてみました。

 

 

 「6 私の読書論ーいわば知の戦士たちの知のゲリラ活動である」(87頁~)

この章では、前回までの批判的考察を踏まえ、呉氏自身の読書論が提示される。そして、それに基づいて現実社会を批判的に見ようと試みる。

 

呉氏によると、氏の読書論とは「近代教養の転換期における知の主体者としての自分を確立する作業」、「まだほのかにしか見ることのできない知の世界に目をこらしながら、既成の教養を解体しつつ、有用なものは積極的に自分の武器として取り込んでいくという、いわば知の戦士・知のゲリラの作業」である(87頁)。

 

呉氏が本書を執筆したのは「三〇代なかば」(3頁)ということで、今の私よりも若く、何か学生運動時代の余波を感じさせる文章である。何度も書いているが、そんな呉氏ももはや70代、私もおっさんになった。

 

では呉氏は、どのような思想に立脚して、新しい知の世界を形成しようとしてるのか。氏は言う。

 

「私の場合で言えば、私説=仮説という形で、今まで否定的にしか扱われなかった儒教・仏教・道教に着目し、<封建主義>という概念を提起してきた」(87頁)。

 

氏のデビュー作は『封建主義、その論理と情熱』(情報センター出版局、1981年)である。私は古本屋でその改題増補版である『封建主義者かく語りき』(史輝出版、1991年)を手に入れて読んだ。高校生の時である。

 

封建主義者かく語りき

封建主義者かく語りき

 

 儒教・仏教・道教などの東洋思想に着目するといった呉氏であるが、日本経済が上向きになったことを受けて80年代に隆盛きわめた日本文化論などで主張される「ジャパン・アズ・No.1」とは異なる点を強調する。

 

「先験的に近代思想を容認したうえでの着順争いへののめり込みこそ、私の危惧しているものである。こういう思想は近代の”解放的側面”が行きづまっていることを指弾しつつ、近代思想の”権力的側面”を正当化しようとするものだからである」(88頁)。

 

冒頭の「先験的」というのは少し難しいが、この文脈では「無条件に前提して」とか「吟味検討することなしに」というぐらいの意味であろう。前段は「~時代にも既に民主主義はあった!」などの類であろう。民主主義を到達する目標あるいは判断基準にしている点で、相手の手の内にいるのであるということだろうか。後段については、いまいち分かっていないから、もう少し調べた上で考えさせてもらいたい。

 

近代思想の「権力的側面」(?)の台頭を受けて、これまで呉氏が批判してきた「事実主義」や「俗流教養主義」が勢いづいている。だが、それと戦うべき近代思想の「解放的側面」の擁護者らも有効性を失っていると嘆く。

 

「こういう思想と闘わなければいけないはずの人々は、明らかに行きづまっている”解放的側面”に情緒的にかイデオロギー的にか依拠しているにすぎない」(88頁)。

 

では「近代教養の転換期における知の主体者としての自分を確立する作業」をしている呉氏はどうだろうか。

 

「既成の近代教養の体系に依拠して思考することを拒否し、既成教養を解体しつつ自分の武器とすることにつとめてきた私であるからこそ、谷沢永一山本七平を撃破しえたのである」(同頁)。

 後に「極左封建主義」と名乗る立ち位置がかいま見える。

「谷沢や山本は保守的だ体制的だとレッテルのみ声高に語り、既成のイデオロギーの神聖性を押しつけることしか考えていない人たちは、私たちよりはるかに、”教養のある”人たちでさえ、何一つ反撃できていない」(同頁)。

 「レッテル貼り」だけで相手を批判し得たと思うことは、現在でも左右両翼、保守革新問わずあるのだが、1980年代当時であれば、「保守」「体制的」というレッテル貼りは、そのまま相手を貶める意図で発せられたのであろう。

 

次に呉氏は、現実の世界情勢の中で、自己の読書論が持っている意味を説く。

取り上げられるのは、①反核運動と②教科書検定の2つである。

「八十二年の政治・社会運動で論壇の大きな話題となったのものは、反核運動教科書検定であろう」(89頁)。

 「この二つとも政府や体制側からの攻撃が強まり、それに対して、進歩的知識人や“市民”が運動を起こして反撃し、大きな勝利を得た、というように何となく思われている。しかし、それは嘘である」(同頁)。

「正確に言えば、政府や体制側からの攻撃が強まったというところまでは本当である。だが、反撃は、そういえばそういうようなものがあった、というにすぎない。ましてや大きな勝利などは、すこしも得られていない」(同頁)。

 

 

反核運動について

呉氏はもちろん運動するなと言っている訳ではない。運動の内実に疑問を呈しているのである。すこし長くなるが引用する。

反核運動は”大きなうねり”なるものが一応盛り上がったかもしれないが、何を得ることもできなかったという虚無感が残っているだけだ。反核運動で渡米した人たちが、ポルノ劇場や土産物店に殺到したなんてことは、むしろブリッ子運動を超えたものとして称揚してやってもいいくらいで、こういうことが問題なのではない。問題なのは、国家の論理を超えることができないことなのだ」(89頁)。

「運動は、戦争体験を語ろう、被爆の記録を保存しよう、という形にのみ終始した。誰一人として、レーニンの国家論を止揚しようとか、C・シュミットの政治論を反面読本としようとか、言いだす者はなかった」(同頁)。

「代わって主張されたのは、ダイ・インと称する爆死者のかっこうをする死んだマネであった。死んだマネをしても熊にさえ勝てないことぐらい、近頃はちょっとした生物学の本にも書いてある。まして相手は、熊どころか核兵器なのである」(同頁)。

 

レーニンの国家論を止揚」などという点を見ると、呉氏は本当に思想の世界の住人なのだなーと感じる。もちろん呉氏はレーニンの『国家と革命』などを読んだだけでは新しい地平は見えてこないが、見えてこないという自覚を持てと言っているのである(90頁)。

 

 教科書検定について

今となっては、80年代の教科書検定問題がどれくらい意味を持つのか不明であるが、私としては、この項目で紹介されていた政治思想家・勝田吉太郎氏の名を知ったことが大きな意義を持つ。

呉氏は、一連の騒動について朝日新聞のコラム「天声人語」の政府批判を認めつつも、同新聞も「支那ベトナムを「侵略」したのは「侵攻」、ベトナムカンボジアを「侵略」したのは「出兵」と言い換えられているのだ」と指摘する。(91-92頁)。

 

そして「紙面に、政府の主張の代弁」などが載っている「保守的なサンケイ新聞」のコラム「サンケイ抄」の中の一文「国家とは体質として好戦的、侵略的なものを秘めているのである」(赤字・下線引用者)を紹介し、次のように指摘するのである。

 

「これでは、アナーキズムではないか!サンケイ新聞は、いつから宗旨変えをして、しかも共産主義すら通り越してアナーキズムの新聞になったのか、と、嘲笑してやりたいところだが、ことは、そんなに楽天的でいられるようなものではない」(93頁)。

 

「“サンケイ文化人”の一人と目されている政治学勝田吉太郎が、日本で有数のアナーキズム研究家であり、マルクス主義者によって完全に過去のものとされたアナーキズムんの最も良質な部分を自分の理論に取り入れ、そして、有効にマルクス主義批判を展開していることを考えれば、状況の深刻さがよく理解できるだろう」(同頁)。

 

勝田吉太郎(かつだ きちたろう)氏は、昭和三年名古屋生まれであり、京都大学法学部の教授滝川幸辰氏の弟子にあたる人物である。ロシア政治思想の研究で評価され、中央公論社から出版された屈指の好企画『世界の名著』では猪木正道氏とともに、「53 プルードンバクーニンクロポトキン」を責任編集し、特にバクーニンクロポトキンを担当した。

 

 

世界の名著〈第42〉プルードン,バクーニン,クロポトキン (1967年)

世界の名著〈第42〉プルードン,バクーニン,クロポトキン (1967年)

 

 

 

私は、『勝田吉太郎著作集 第六巻 現代社会と自由の運命』(ミネルヴァ書房、1994年)を古本屋で2000円で購入し、読み、影響を受けた。その後大学時代にいくつかの単著と著作集の別の巻をななめ読みなどした。著作集全部を読んで見たいのだが、全部置ける場所はないし、図書館で借りても読みとおし難いタイプだと思うので、大きな部屋に住めるようになったら手に入れて読みたい。

 

また、呉氏の弟子にあたると思われる浅羽通明氏の『ニセ学生マニュアル 逆襲版』徳間書店、1989年)や浅羽氏の比較的最近の著作アナーキズム 名著でたどる日本思想入門』筑摩書房、2004年)でも言及されている。特に後者では、「第六章 敵の敵は味方ーコンサヴァティスト」として勝田氏の著作集第四巻「アナーキスト」が紹介されている。浅羽によれば、上で紹介した「国家とは体質として好戦的、侵略的なものを秘めているのである」という一文は、「社会主義国は平和勢力ゆえ戦争は仕掛けないとほざく進歩陣営の盲信を砕くため、アナーキズムが暴いた国家の本質論を突き付けている」ということ

なのであるという

(浅羽、前掲書・154-155頁)。

 

本文に戻ると、呉は当時の状況をこう把握している。

「片や、旧来の進歩史観への信仰堅持を訴え、片や、現状追認にすぎない、“現実主義”を唱える。片や、青年の理想主義、片やオトナの理想主義。片や“広い”市民教養と生活人としての脆弱さ、片や“したたかな”生活人感覚と傲慢かつ卑屈な心性」(94頁)。

 

そして呉氏の読書論の意義が、明確に提示される。

「こうした不毛な二分を超える哲学を望見する方法としての読書、これが私の読書論である」(94頁)。

 

第二部からは、具体的な読書の仕方が説かれる。興味深いのだが、私がまとめるよりも実際に読んでもらう方がよい。また読書論や知の方法論には他の本もあることから割愛させてもらう。

 

次回からは、第三部の「ブックガイド」を紹介する予定である。ここでたくさんの本を知って、いまに至るまで私の読書人生に大いに役に立った。その感動を伝えたいのである。 

 

読書家の新技術 (朝日文庫)

読書家の新技術 (朝日文庫)