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書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。

世界史に目が釘付けになる一冊ー網野徹哉氏『興亡の世界史12 インカとスペイン帝国の交錯』★★★★★

世界史に目が釘付けになる一冊ー網野徹哉氏『興亡の世界史12 インカとスペイン帝国の交錯』★★★★★

 松浦光修氏『明治維新という大業』(平成三十年、明成社)、特に「第二章 豊臣秀吉と”大東亜四百年戦争”」を読んでいて、久しぶりに世界史への興味が湧いてきた。

 

松浦氏とは政治、歴史、国家などに対する見解が異なるだろうが、「興亡の世界史」シリーズの1冊、網野徹哉氏『インカとスペイン帝国の交錯』をGWにじっくり読む機会を得た(松浦氏自身は平川新氏の『戦国日本と大航海時代』(中公新書2481、2018年)を参考文献のひとつに挙げている。これはこれでおもしろい)。

1. 網野徹哉氏『インカとスペイン帝国の交錯』

西暦1532年、インカ帝国は滅亡した。日本の歴史でも、フランシスコ・ザビエルルイス・フロイスらスペインやポルトガルからの宣教師の名前が登場するようになる頃である。その後インカ帝国の末裔、スペイン人、現地の女性との間に生まれた子などが形成する社会は、ようやく1835年に独立を獲得した。

 

著者は、インカ帝国滅亡後の社会のみならず、その征服を行ったスペイン内部の歴史も描き、異端審問などのスペイン内部の状勢が、インカ帝国に押し出されてくる様子も描く。

インカ王朝最後の皇帝トゥパク・アマルの掃討軍に加わったのは、イエズス会創始者イグナティウス・デ・ロヨラの甥の子(あるいは甥との説もあり)であったと知って、危ないところだったと思う自分に気付く。

「一五七二年九月二四日、クスコ広場の中心に据えつけられた処刑台に、トゥパク・アマルは、カニャル人の槍兵四〇〇人にエスコートされ到着する。(中略)広場を望む丘から群衆の見守る中、最後のインカ王の首は、やはりカニャルの執行人の振るう剣によって刎ねられた。一斉に鳴り響く市内の教会や修道院の鐘、人々は嗚咽した」(179頁)。

私も気分が悪くなった。それはともかく、著者はその語彙力を駆使して、征服後の社会、大西洋での交易、スペイン本国の状勢、インカの反乱、インディオユダヤ人同祖論、スペイン人征服者と現地の女性との間に生まれた皇女らも含む女性のことを叙述していく。

当時植民地社会で唱えられた「インディオユダヤ人同祖論」の主張とその反駁などは、昭和期の日本を考える上でも興味深いと思われる。

(余談であるが、ラッパーの2PACが、このあたりの歴史を知っていて「トゥパック」と名付けたとか、母親がブラックパンサー党の元党員であったとか、昔ライナーノーツか雑誌で読んだ記憶がある)。

 

日本に来たザビエルは、ロヨライエズス会創立の誓願をパリにおいて立てた人物とされる。 

2.鈴木静夫氏『物語 フィリピンの歴史ー「盗まれた楽園」と抵抗の500年』

さて、同じ「スペイン期」を持つのは、ペルーよりもっと近いフィリピンである。いつだったか忘れたが私は鈴木静夫氏『物語 フィリピンの歴史ー「盗まれた楽園」と抵抗の500年』中公新書1367、1997年)を購入していたので、前半部分だけ読んで見た。

 

マゼランがフィリピンに到達し、その後にメキシコ総督府の高官レガスピの遠征隊がフィリピンのセブ島に1565年に到着した。これは大体織田信長の活躍した時代と言えば、日本史では堺の港とか「南蛮」とかの話が出て来るので、どんな時代か分かるだろう。その時代から1898年フィリピン共和国の成立まで、スペイン支配を受けていたというのだから、日本の江戸時代より長い期間、支配されていたことになる。

インカ帝国の話で登場した「エンコミエンダ」制など現地の管理システムは、フィリピンにも共通して登場する。

福建地方出身の中国系の人口が、1591年ごろには既に1000人ぐらいいて、商店が200軒ほど存在したことは、初めて知った。彼らの子弟は、1870年代既に、スペイン、フランス、オーストラリア、ドイツ(!)などに留学していたという。長州でも大体同じ時期に伊藤博文ら密航留学生を送り出しているが(長州ファイブ)、フィリピンでも別の文脈で留学があったようだ。このあたり比較してみると興味深い。フィリピンの留学生は何を考えていたのだろうか。

 

リカルテ、ラモス、アギナルドらの名前だけは知っていたが、詳しく知らなかったし、自分にとっての優先順位が低かった。でもこの本でフィリピン史のおもしろさを知った。

重要なものとして、フィリピンのはカトリックが支配した国だが、宗教改革の萌芽がみられるとの指摘がある。

「一六世紀にドイツに起こったマルティン・ルタープロテスタンティズムは、「人は信仰のみによって義とされる」と主張した。サン・ホセ兄弟会の「抗議する人たち」も、時空を超えて、ドイツ人と同様な問題をカトリック教会に提起していた」(69-70頁)。

またフィリピン独立を念願した、民族主義的革命家ホセ・リサールがスペイン・マドリッドに留学していたことを知った。マドリッドスペイン語でフィリピン人の地位向上を訴えた書物を1887年にベルリンで(なぜ?)『ノリ・メ・タン・ヘレ(私に触るな)』、1891年には『エル・フィリブステリスモ』の二書を出版した。それがフィリピンの本屋ラ・グラン・ブレタニヤでかなり売れたという(87頁)。

 

『ノリ・メ・タン・ヘレ(私に触るな)』について

国立国会図書館デジタルコレクションにホセ・リサール著、毛利八十太朗訳(英訳からの翻訳?)で『黎明を待つ』(大日本出版、昭和18年)という名称で入っているから、無料で読める。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1136958

我が国は江戸時代を経て、カトリック勢から欧米列強と対峙する形成となり、欧米列強と伍して、大東亜戦争の敗戦、占領を経て、現在のようなアメリカの従属国となっており、中国の台頭を受けて、米中共同覇権(米中経済戦争の下にあるが)の下位にある。

 

こう言うとパワーポリティクスの話になりそうだが、今回インカ帝国やフィリピンの歴史を読んだことで、植民地後の世界に対する理論、ポストコロニアニズムについて知るべき時だと感じるようになった。もともとあまり乗り気ではなかったが、ちょうど今がその時期だと感じるようになった。

 

わが国の歴史は植民地化を防いできた半面、閔姫殺害などの問題も内に含んでいる歴史でもある。両極端にならない道、人格からこのような歴史を考えて行きたい。

 

興亡の世界史 インカとスペイン 帝国の交錯 (講談社学術文庫)

興亡の世界史 インカとスペイン 帝国の交錯 (講談社学術文庫)

 

 

  今後は世界情勢と日本の歴史について、松方冬子著『オランダ風説書ー「鎖国」日本に語られた「世界」』中公新書2047、2010年)なども紹介して行きたい。