連載⑥ 紹介・呉智英『読書家の新技術』(朝日文庫、1987年)呉氏の読書論の提示 勝田吉太郎氏の登場
久しぶりにまとめてみました。
「6 私の読書論ーいわば知の戦士たちの知のゲリラ活動である」(87頁~)
この章では、前回までの批判的考察を踏まえ、呉氏自身の読書論が提示される。そして、それに基づいて現実社会を批判的に見ようと試みる。
呉氏によると、氏の読書論とは「近代教養の転換期における知の主体者としての自分を確立する作業」、「まだほのかにしか見ることのできない知の世界に目をこらしながら、既成の教養を解体しつつ、有用なものは積極的に自分の武器として取り込んでいくという、いわば知の戦士・知のゲリラの作業」である(87頁)。
呉氏が本書を執筆したのは「三〇代なかば」(3頁)ということで、今の私よりも若く、何か学生運動時代の余波を感じさせる文章である。何度も書いているが、そんな呉氏ももはや70代、私もおっさんになった。
では呉氏は、どのような思想に立脚して、新しい知の世界を形成しようとしてるのか。氏は言う。
「私の場合で言えば、私説=仮説という形で、今まで否定的にしか扱われなかった儒教・仏教・道教に着目し、<封建主義>という概念を提起してきた」(87頁)。
氏のデビュー作は『封建主義、その論理と情熱』(情報センター出版局、1981年)である。私は古本屋でその改題増補版である『封建主義者かく語りき』(史輝出版、1991年)を手に入れて読んだ。高校生の時である。
儒教・仏教・道教などの東洋思想に着目するといった呉氏であるが、日本経済が上向きになったことを受けて80年代に隆盛きわめた日本文化論などで主張される「ジャパン・アズ・No.1」とは異なる点を強調する。
「先験的に近代思想を容認したうえでの着順争いへののめり込みこそ、私の危惧しているものである。こういう思想は近代の”解放的側面”が行きづまっていることを指弾しつつ、近代思想の”権力的側面”を正当化しようとするものだからである」(88頁)。
冒頭の「先験的」というのは少し難しいが、この文脈では「無条件に前提して」とか「吟味検討することなしに」というぐらいの意味であろう。前段は「~時代にも既に民主主義はあった!」などの類であろう。民主主義を到達する目標あるいは判断基準にしている点で、相手の手の内にいるのであるということだろうか。後段については、いまいち分かっていないから、もう少し調べた上で考えさせてもらいたい。
近代思想の「権力的側面」(?)の台頭を受けて、これまで呉氏が批判してきた「事実主義」や「俗流教養主義」が勢いづいている。だが、それと戦うべき近代思想の「解放的側面」の擁護者らも有効性を失っていると嘆く。
「こういう思想と闘わなければいけないはずの人々は、明らかに行きづまっている”解放的側面”に情緒的にかイデオロギー的にか依拠しているにすぎない」(88頁)。
では「近代教養の転換期における知の主体者としての自分を確立する作業」をしている呉氏はどうだろうか。
「既成の近代教養の体系に依拠して思考することを拒否し、既成教養を解体しつつ自分の武器とすることにつとめてきた私であるからこそ、谷沢永一や山本七平を撃破しえたのである」(同頁)。
後に「極左封建主義」と名乗る立ち位置がかいま見える。
「谷沢や山本は保守的だ体制的だとレッテルのみ声高に語り、既成のイデオロギーの神聖性を押しつけることしか考えていない人たちは、私たちよりはるかに、”教養のある”人たちでさえ、何一つ反撃できていない」(同頁)。
「レッテル貼り」だけで相手を批判し得たと思うことは、現在でも左右両翼、保守革新問わずあるのだが、1980年代当時であれば、「保守」「体制的」というレッテル貼りは、そのまま相手を貶める意図で発せられたのであろう。
次に呉氏は、現実の世界情勢の中で、自己の読書論が持っている意味を説く。
「八十二年の政治・社会運動で論壇の大きな話題となったのものは、反核運動と教科書検定であろう」(89頁)。
「この二つとも政府や体制側からの攻撃が強まり、それに対して、進歩的知識人や“市民”が運動を起こして反撃し、大きな勝利を得た、というように何となく思われている。しかし、それは嘘である」(同頁)。
「正確に言えば、政府や体制側からの攻撃が強まったというところまでは本当である。だが、反撃は、そういえばそういうようなものがあった、というにすぎない。ましてや大きな勝利などは、すこしも得られていない」(同頁)。
①反核運動について
呉氏はもちろん運動するなと言っている訳ではない。運動の内実に疑問を呈しているのである。すこし長くなるが引用する。
「反核運動は”大きなうねり”なるものが一応盛り上がったかもしれないが、何を得ることもできなかったという虚無感が残っているだけだ。反核運動で渡米した人たちが、ポルノ劇場や土産物店に殺到したなんてことは、むしろブリッ子運動を超えたものとして称揚してやってもいいくらいで、こういうことが問題なのではない。問題なのは、国家の論理を超えることができないことなのだ」(89頁)。
「運動は、戦争体験を語ろう、被爆の記録を保存しよう、という形にのみ終始した。誰一人として、レーニンの国家論を止揚しようとか、C・シュミットの政治論を反面読本としようとか、言いだす者はなかった」(同頁)。
「代わって主張されたのは、ダイ・インと称する爆死者のかっこうをする死んだマネであった。死んだマネをしても熊にさえ勝てないことぐらい、近頃はちょっとした生物学の本にも書いてある。まして相手は、熊どころか核兵器なのである」(同頁)。
「レーニンの国家論を止揚」などという点を見ると、呉氏は本当に思想の世界の住人なのだなーと感じる。もちろん呉氏はレーニンの『国家と革命』などを読んだだけでは新しい地平は見えてこないが、見えてこないという自覚を持てと言っているのである(90頁)。
②教科書検定について
今となっては、80年代の教科書検定問題がどれくらい意味を持つのか不明であるが、私としては、この項目で紹介されていた政治思想家・勝田吉太郎氏の名を知ったことが大きな意義を持つ。
呉氏は、一連の騒動について朝日新聞のコラム「天声人語」の政府批判を認めつつも、同新聞も「支那がベトナムを「侵略」したのは「侵攻」、ベトナムがカンボジアを「侵略」したのは「出兵」と言い換えられているのだ」と指摘する。(91-92頁)。
そして「紙面に、政府の主張の代弁」などが載っている「保守的なサンケイ新聞」のコラム「サンケイ抄」の中の一文「国家とは体質として好戦的、侵略的なものを秘めているのである」(赤字・下線引用者)を紹介し、次のように指摘するのである。
「これでは、アナーキズムではないか!サンケイ新聞は、いつから宗旨変えをして、しかも共産主義すら通り越してアナーキズムの新聞になったのか、と、嘲笑してやりたいところだが、ことは、そんなに楽天的でいられるようなものではない」(93頁)。
「“サンケイ文化人”の一人と目されている政治学者勝田吉太郎が、日本で有数のアナーキズム研究家であり、マルクス主義者によって完全に過去のものとされたアナーキズムんの最も良質な部分を自分の理論に取り入れ、そして、有効にマルクス主義批判を展開していることを考えれば、状況の深刻さがよく理解できるだろう」(同頁)。
*勝田吉太郎(かつだ きちたろう)氏は、昭和三年名古屋生まれであり、京都大学法学部の教授滝川幸辰氏の弟子にあたる人物である。ロシア政治思想の研究で評価され、中央公論社から出版された屈指の好企画『世界の名著』では猪木正道氏とともに、「53 プルードン/バクーニン/クロポトキン」を責任編集し、特にバクーニンとクロポトキンを担当した。
世界の名著〈第42〉プルードン,バクーニン,クロポトキン (1967年)
- 作者: プルードン,バクーニン,クロポトキン,猪木 正道,勝田 吉太郎
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私は、『勝田吉太郎著作集 第六巻 現代社会と自由の運命』(ミネルヴァ書房、1994年)を古本屋で2000円で購入し、読み、影響を受けた。その後大学時代にいくつかの単著と著作集の別の巻をななめ読みなどした。著作集全部を読んで見たいのだが、全部置ける場所はないし、図書館で借りても読みとおし難いタイプだと思うので、大きな部屋に住めるようになったら手に入れて読みたい。
また、呉氏の弟子にあたると思われる浅羽通明氏の『ニセ学生マニュアル 逆襲版』(徳間書店、1989年)や浅羽氏の比較的最近の著作『アナーキズム 名著でたどる日本思想入門』(筑摩書房、2004年)でも言及されている。特に後者では、「第六章 敵の敵は味方ーコンサヴァティスト」として勝田氏の著作集第四巻「アナーキスト」が紹介されている。浅羽によれば、上で紹介した「国家とは体質として好戦的、侵略的なものを秘めているのである」という一文は、「社会主義国は平和勢力ゆえ戦争は仕掛けないとほざく進歩陣営の盲信を砕くため、アナーキズムが暴いた国家の本質論を突き付けている」ということ
なのであるという
(浅羽、前掲書・154-155頁)。
本文に戻ると、呉は当時の状況をこう把握している。
「片や、旧来の進歩史観への信仰堅持を訴え、片や、現状追認にすぎない、“現実主義”を唱える。片や、青年の理想主義、片やオトナの理想主義。片や“広い”市民教養と生活人としての脆弱さ、片や“したたかな”生活人感覚と傲慢かつ卑屈な心性」(94頁)。
そして呉氏の読書論の意義が、明確に提示される。
「こうした不毛な二分を超える哲学を望見する方法としての読書、これが私の読書論である」(94頁)。
第二部からは、具体的な読書の仕方が説かれる。興味深いのだが、私がまとめるよりも実際に読んでもらう方がよい。また読書論や知の方法論には他の本もあることから割愛させてもらう。
次回からは、第三部の「ブックガイド」を紹介する予定である。ここでたくさんの本を知って、いまに至るまで私の読書人生に大いに役に立った。その感動を伝えたいのである。