平成史に残る座談会ー『発言者』2001年12月号座談会
思想家が行う座談会が歴史に刻まれることがある。その当人たちのその後の人生のみならず、彼らを論じようとする者たちにも態度決定を迫るような座談会である。昭和史に刻まれる座談会といえば雑誌『文学界』の「近代の超克」であろう。
同座談会は、大東亜戦争開戦後の昭和十七年に、小林秀雄、西谷啓治、林房雄、下村寅太郎ら十三名が参加し、近代の超克について論じ合ったものである。
それでは平成史に残る座談会といえば、何だろうか。私はアメリカにおける同時多発テロが起きて1カ月後に行われた『発言者』(2001年12月号)の「アルカイーダ・テロルの思想的衝撃」を挙げる。単に他の座談会について知らないだけだと言われればそれまでだが、たとえ他の座談会を知っていてとしても、この座談会を挙げることに躊躇しなかったろう。
奥付によると、この当時の主幹は西部邁氏、編集長は佐伯啓思氏、編集委員は宮本光晴氏、高澤秀次氏、富岡幸一郎氏、福田和也氏らである。
編集後記によれば、座談会は9・11テロから1カ月経過したばかりの10月11日に行われたということである。
『発言者』座談会「アルカイーダ・テロルの思想的衝撃」
出席者は、西部邁氏、原洋之助氏、絓秀実氏、佐伯啓思氏、新保 祐司氏、東谷暁氏、富岡幸一郎氏、兵頭二十八氏、福田和也氏ら9名である。
座談会は西部氏の「今回のアメリカにおける同時多発テロル事件を巡って、世界秩序から国家秩序、人間の生活秩序に至るまでの、あらゆる論点に及んで議論していただく」という言葉から始まる(15頁)。
新保 祐司氏の第一発言
この座談会では当然様々なことが話題になったのだが、今も覚えているのは新保 祐司氏の第一発言である。(便宜上、発言を区切って引用している。)
・「アメリカの空爆に対して、ビンラディンの声明発表のヴィデオが流れましたね。ある既視感があったのです。その直感は、城山の西郷なんです」(18頁)。
・「航空機の突撃についても、特攻隊を思い出すということが、日本人にはもちろんあると思う」(同頁)。
・「原理主義は、西欧によって外発的近代化をせざるを得なかった国に必ず出てくる問題です。今はイスラムが問題になっていますが、十九世紀前半にはロシアで起こった問題で、ドストエフスキーのような、ある意味での原理主義者を生む。日本では十九世紀の半ばに明治維新が起こりますが、西郷隆盛という問題を、大久保利通的なものが西南の役で片づけて、近代主義の路線に進んだ」(18‐19頁)。
・「ビンラディンが「この八十年間苦しんでいた」と言っているのは、おそらく第一次世界大戦後のことです。『アラビアのロレンス』の頃のことだと思うんです。あの頃にはイスラムは遅れて外発的近代、西洋というものとぶつかった。そこには当然原理主義が出て来る。特にイスラムの場合には、コーランがあり、原理主義としても強烈になる要素があった。日本には文化におけるそういう原点がない。どうも日本人は百年前に、西郷隆盛で終わってしまったのではないか」(19頁)。
・「内発的近代化をしたヨーロッパ諸国はアメリカの自由と民主主義に対して完璧に一致できるでしょう。それに対して、実は外発的近代化をしている日本人は、ビンラディンが岩壁の前に座っている風景を見ると、西郷隆盛を思い出して居心地の悪さを感じる」(19頁)。
このように日本の近代化の観点から、この事件を捉えようとする発言をしている。
西郷と大久保の対立は既に葦津珍彦氏の『永遠の維新者』で既に学んでいた視点であり、その点についてはブログ記事を作成し触れておいた。 book-zazen.hatenablog.com
発言中、西郷が何度も言及されており、「城山の西郷」という言葉も出ててくる。また、特攻隊にも言及されている。どちらも鹿児島の土地に深く関係している。
イスラム原理主義、その中でもビンラディンと西郷隆盛を結び付けていいのかという点で問題があり、荒削りな感じがする。
とはいえ、言いたいことは分かる。要するに、どちらも当該社会の中から、近代化したのではなく、西洋列強との遭遇によって、社会を変えて行かざるを得なくなったものの苦悩という点で共通しているということであろう。
イスラム社会にはコーランがあるが(そして西洋には聖書がある)、我が国にはそれに該当するものはあるのだろうかという問いは、私も考えていて答えが出せない問題である。確かに聖書やコーランのよな単一の書物はない。論語は中国の古典である。何と答えればよいのか。答えを出せないでいる。
富岡幸一郎氏の第一発言
文芸評論家の富岡氏も日本人の立場を複雑なものと見ている。
「日本人としての感性を探れば、突っ込まれる文明の側に立っていると同時に、文明を突き崩す側のパトスにも共鳴する部分がどこかにある」(19頁)。
「明治維新前から西洋列強の外発的な近代を強いられてきた日本は、既に太平洋戦争が終結する百年以上前から、一種の戦争状態に入ってきたということが書かれている」(19頁)。
「薩英戦争や馬関戦争以来、日本は東亜百戦争を継続してきて、それが太平洋、大東亜戦争によって完全に終わった」(20頁)。
「西洋文明と戦争してきたという日本人の感性の継続は八月十五日の終戦とともに終わった戦後はむしろそのことを忘却する、あるいは忘れさせられてきた。しかし、今回の事件でそれを呼び起こされるような既視感を覚えました」(20頁)。
(以下、作成中)