Book Zazen

書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。

「源泉」再考ー『古神道の本』(学習研究社、1994年)

学習研究社が出していた「ブックス・エソテリカ・シリーズ」というシリーズものの本がある。密教や禅、修験道東洋医学などの知識を分かりやすく伝えてくれるシリーズである。

 

私は日本思想や国史、それに武道との関係から、10年ぐらい前にこのシリーズの中の一冊『古神道の本』に興味を持った。他にも『東洋医学』なども購入したことがある。

 

 

古神道の本―甦る太古神と秘教霊学の全貌 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 10)

古神道の本―甦る太古神と秘教霊学の全貌 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 10)

 

 

同書には、日本思想史でも有名な平田篤胤佐藤信淵植芝盛平出口王仁三郎などが載っていたが、その他は私にとってほとんど知らない人ばかりで、おもしろかった。

 

この本において、冒頭の「古神道・霊学系譜チャート」から巻末の文献紹介まで、このような内容をここまで平易に解説されていることに驚くが、私のライフワークたる「日本人の理想とは」という問題との関連おいてもやはり考えるべき問題があった。

 

断っておくが、私の問題は、ある特定の業界や集団、家柄だけでの問題ではなく、偶然この地、この時に生まれてきたのであるが、しかし、自分の国の文化や歴史を大事にしたい人の問題である。私がリアリティを持てることを問題にしたい。

 

その問題は、「大石凝真素美(おおいしごり ますみ)」という人物の紹介記事にあった。記事を書いたのは武田崇元氏とのこと。

 

記事によると、大石凝は現在の滋賀県甲賀郡天保三年(1832)に生まれた。

「大伴氏の末裔と称し、高野山真言密教比叡山で天台教学を学んだ後、京都で尊王攘夷派の志士と交わる。その後美濃の修験者・山本秀道に師事し、言霊学、天津金木学の研究に没頭し、独自の学説を確立。一方、明治23年伊勢神宮の炎上を予言するなどの過激な言説で警察の監視下に置かれる。晩年は名古屋の水野満年邸に寄寓した」(『古神道の本』学習研究社、1994年、36頁のプロフィール欄より)。

 

古神道家が「伊勢神宮の炎上を予言」とは、どういうことか?古神道家が「警察の監視下に置かれる」とは、なぜなのか?すぐに疑問が頭をよぎる。

 

本文を読み進めていくと、詳しく書かれてあった。伊勢神宮は20年に一度、社殿の場所を移し、次世代に技術の継承をはかっていく「式年遷宮」が行われることは、観光客でも知っているのだが、ことはそこに関わっているという。

 

「大石凝によれば、伊勢神宮には倭姫命以来連綿と金木によって構成されるある形象が安置され、「御見比の秘密神事」なるものが伝承されていたという」(上掲書、38頁)。

 

「御見比(おみくらべ)の秘密神事」とは何か、著者は続ける。

 

遷宮の際に、お子良物忌と称される処女数人が毎夜、古殿のその形象を見て脳裏に焼きつけ、新殿にそのとおりに安置奉ってゆくというもの」(上掲書、38頁)。

 

大石凝は、明治20年遷宮の時には、この儀式を経ずに、古殿を取り壊し、遷宮したと主張し、「伊勢内宮の正殿炎上を予言」するパンフレットを送付したらしい(上掲書、39頁)。

 

明治31年に予言が的中して、逮捕されたという。その後容疑は晴れたそうだが、伊藤博文の暗殺についても、伊藤が伊勢神宮を粗末に扱ったための天罰だと主張したという。そのこともあって警察の監視下に置かれたという(上掲書、39頁)。

 

韓国統監を務めた伊藤博文安重根の対立は、感情的にはどうであれ、一見したところ戦後の我々にも理解しやすい問題だと思う。(それすら、上垣外憲一氏の『暗殺・伊藤博文』(筑摩書房、2000年)を読めば、もっと複雑な動きがあったようだが・・)。

 

それでは、伊藤博文大石凝真素美との対立は、どう考えればよいのだろうか。日本人同士のこの対立をどのように考えればよいのだろか。継承すべき「源泉」の流れはどちらにあるのだろうか。

 

伊藤にも大石凝にも詳しくない私には、手に余る問題であるが、いつまでも放置したくない。だから不完全を承知の上で記事にした。出発点にするためである。

 

伊藤博文公 肖像

http://www.ndl.go.jp/portrait/260_260/419-34/0001_r.jpg

国立国会図書館「近代日本の肖像」より