Free Style Philosophy 1:ハードコアバンドPALMー令和元年10月14日(月)くもり
Free Style Philosophy 1:ハードコアバンドPALMー令和元年10月14日(月)くもり(旧タイトル:最近のヘビーローテーション)
*まだPALMの名前を出すほど詳しく知っているわけではないから、準備不足は否めないが、明日から忙しくなるので、不完全でも書き残しておきたい。ここを出発点にして、少しずつ言いたいことを明確にしていきたい。自分に残された人生が少ないのでご容赦願いたい。ブログは私の実験室でもある。
SxOxB(SOB)のソーシャルメディアを見ていたら、ライブの告知でPALMというバンドの存在を知った。
自分はPALMのライブに行ったことがなく、動画やHPで知っているに過ぎない。
でも自分が10代の頃に、音楽を聴き始めてから、考えていたことの一端が形になりつつあるので、準備不足は承知の上で、少し記事を書きたい。
PALMを聴いて
①音楽って、こういうことを表現できるんだと再確認した。
②哲学や思想だけじゃなく、ハードコアバンドも世界を舞台に、日本語で表現することを考えている。
以下、本当にメモ書き程度に書いておきたい。
①音楽って、こういうことを表現できるんだと再確認した点について
PALM-SCAPEGOAT
拒絶するおまえの持論
拒絶するおまえの理論(PALM「SCAPEGOAT」より)
ハードコアバンドと言えば、独特の声やシャウトで歌うので、歌詞カードを見ても、聴き取りにくいことがある。もちろんPALMにもそういうところはあるのだが、PVに歌詞を表示させている。言葉を重視している証拠だろう。しかも日本語だ。昔は英語がメインで歌っていたともいう。
人文系の修士課程にいた頃は、その議論や論文には「テーゼ+論証」を求められる。
違和感のあることへの抵抗も、論証がなければ「恣意的」「独断的」と葬り去られて、恥をかかされるのである。まあ、批判しているのだから、やり返されることは仕方ないが、内面的な違和感、苦悩、嫌悪感に論証などありはしないのである。
音楽ではそういうことも表現できるのである。
思想と音楽とのちがいは、思想や哲学の論文なら、拒絶するなら拒絶するで、その理由を示し、相手の論拠を突き崩さないといけない。さもなくば、こちらが大したことのない相手だと思っても、相手が勝つのである。その結果、研究室やその業界自体に異論が存在しにくくなるのである。なぜなら、その業界で、論証が確立されているものや、論証されたと思い易いものがあり、異論のあるものは、それにチャレンジしないと、負けになるのである。ボクシングのチャンピオンや地元優位のジャッジみたいなものである。
でも、突き崩せなくても内面的な違和感、苦悩、嫌悪感があるものもあるのである。論証できない違和感の萌芽みたいなものがあるだ。音楽はそれを表現できる。PALMを聴いてあらためて確認した。
②哲学や思想だけじゃなく、ハードコアバンドも世界を舞台に、日本語で表現することを考えているという点について
音に 我がの 苦しみと説く
それが俺の 俺の音我苦(「音我苦」より)
生きがいだから 楽しい事だから
皆は音に楽しいと書いて これこそが音楽だなんて言う
それじゃ埋まらない それに当てはまらない
音や詩になれない情念の掃き溜め
それでもやるんだよ(「音我苦」より)
*こでは、「みんな」への違和感を、漢字をもじって説くという手法が取られている。
我々の母語は日本語である。それは漢字とカナをまじえて表記される。我々にとって、それは歴史と風土が形成した、我々の生まれ育った環境である。
小さいころNIRVANAがかっこいいのは、もちろん彼らの生き様、才能、音作りにあるのだが、その他に英語のかっこよさがあるのではないかと思っていた。
でも、日本語でもしっかり表現できるのである。(ここらへん自分でも何が言いたいのかもっとはっきりさせたい。)
日本の思想や哲学に、なぜ「日本」と付ける必要があるのかという反感をもつ人もいるだろう。思想家、哲学者、バンド。なぜ、日本出身や、大阪出身と付けるのか疑問に思う人もいるだろう。
音楽や哲学のように「普遍的」とされていることには、特にその傾向が強い。
だが、英語はあくまでも英語であり、そこで育った人には、英語が母語である。でも私はちがうのである。いくら憧れても埋められないものがあると、小さい頃から思っていた。
それは思想や哲学のみならず、音楽にも表れていると前々から思っていた。でも、学術界(社会学のような領域でわざと扱う場合は別だが・・・)では、ハードコアバンドなど扱わないのであるが、それは彼ら学術界の人間のストリート性の欠如やファッションセンスのなさや、そもそも好奇心の狭さや人生の幅のなさに起因するのではないだろうか。だから、彼らが取り上げなかったからといって、同様の思想的課題を扱っているジャンルが他にも存在しないとは言えないのである。
日本の思想や哲学は、いやそもそも日本文化は、外来の文化の受容的傾向がきわめて強いのである。その中で自前のものを打ち出していくとはどういうことなのか。国家戦略や、そういうものを嫌う音楽も含めて、丸ごと私の考察対象なのである。
だから、ジャンルに捉われない自分だけの思考を"Free Style Philosophy"として残していくぜ。
どんなジャンルでも自分の真贋を見る目、心眼で確かめて、書き残していきたい。
もう人生は残り半分だから。
合わせて音楽についての過去記事を参照していただければ、幸いです。