Book Zazen

書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

90年代の音楽?ー日経新聞のコラム「春秋」(平成30年1月23日)への違和感

 本日、日経の朝刊のコラム「春秋」を読んで、朝から嫌気が差した。メインストリームの音楽をそのまま肯定し、90年代の音楽を語っていたからである。

 

先週、小室哲哉さんが音楽活動から退く旨を表明した。1990年代、かの人のつくる歌は若者、特に女性たちから圧倒的な支持を得 :日本経済新聞(以下、ハコの中は日経新聞からの引用)。

 先週、小室哲哉さんが音楽活動から退く旨を表明した。1990年代、かの人のつくる歌は若者、特に女性たちから圧倒的な支持を得た。

 

  

 私が10代だった90年代が、小室哲哉氏のサウンドが支配的であったことは事実である。だが、そのようなメインストリームの音楽に違和感を持っていた人間もいるし、少なくとも私は「小室サウンド」を一曲も持っていなかったし、氏の音楽に共感したこともなかった(もちろん氏とご家族が現在置かれている境遇には、同情いたします。今回の件は別としても)。

 私が現在も手放さずに持ち続けているCDは「オルタネイティブ」や「グランジ」と呼ばれた音楽がメインである。

 

バブルの頃までの女性は男性に支えられていた。しかし90年代、女性から「男の人の影」が消える。同性が憧れる自由でたくましい姿を、少し不良な少女を主人公に描いた。そんな趣旨だ。この頃から若者は恋の歌よりも、生きづらさを嘆き、励ましあう歌を仲間とカラオケで熱唱し始める。流れの走りに小室さんがいた。

 

 氏の曲をじっくり聴いたことがないから、歌詞の詳しい内容は知らない。でも、その当時TVやラジオのヒットチャートなどから流れていた小室氏の楽曲から内面的な苦悩、実存的な苦悩、葛藤など聞こえてきた記憶はない。それに「仲間とカラオケで熱唱し合える」なら、すでに幸せな人ではないか。「生きづらさ」とはどの程度の何のことを言っているのか?

  私の好きな曲は、当時私ごときの行動圏内のカラオケ屋の曲目に入っていなかったし、もはや同級生とも分かり合えるような状態ではなかったから、「小室サウンド」をカラオケで仲間と歌う楽天的な光景など私にはなかったのである。

  

不況ニッポンで若者の心を支えたのが、安室奈美恵さんなどの小室ファミリーZARDこと坂井泉水さんの歌であり、自由闊達なふるまいがアイドルらしからぬSMAPだった。

  

 NIRVANAの評伝やJOHN LYDONの自伝を心の支えにしていた私にはまったく心あたりのない記述であり、心当たりのない90年代である。このような記事を鵜呑みにしている人々と会話をしなければならないとしたら苦痛以外の何物でもない。「自由闊達」という言葉で思い浮かぶとしたら、パンクロッカー(たとえば時代がちがうだろうが、Dead Kennedy's のジェロ・ビアフラ)か、強いて挙げるなら有名なところではイギリスのオアシスみたいのものではないのか。尾崎豊ならまだ理解できる。

 

引き金となった醜聞の背景に妻への介護疲れを挙げた点も広く波紋を呼んでいる。認知症の親の介護で離職する人が増えた。がん患者の家族も心が弱りがちなことから第2の患者と呼ばれる。これら家族のケアはこれまで主に主婦が担い外から見えにくかった。ファンか否かを問わず、一つの問題提起として受けとめたい。

 

  女性の自立や介護の担い手の問題に結びつけて、あの時代の音楽をメインストリーム中心に語る。経済に圧倒的な影響力を有する大新聞がこのように書くのだから、私の苦悩は10代で終わらないのである。

 

 私が日経を少ない給与の中から毎月5千円近く出して購読しているのは、大人になり、社会人の端くれとして、自分に足りないところを率直に学ぶためであり、日経や経済人が持つ見通しやビジネスの動向、マネーリテラシーなどを学ぶためである。音楽について、特に自分が大事にしていた90年代の音楽について、最大公約数的な音楽を肯定した評論を読むためではないし、経済力や影響力をもっている人たちの言論だからといって、鵜呑みにはしたくないし、絶対にできないのである。

 

 


Alice In Chains - Grind

 

 


Serve The Servants (Live On "Tunnel", Rome, Italy/1994)