もう嘲笑うしかない俺の人生ー「苦しいときは、ジタバタしたって仕方ない」酒井雄哉『今できることをやればいい』ー令和元年12月7日(土)
もう嘲笑うしかない俺の人生ー令和元年12月7日(土)
「僕は、五十年前に、栃木県の佐野というところにいて、勤めていたパチンコ屋が潰れてしまい、失業状態になったことがあるんだ。食べるものもなくて、毎日一本ずつ牛乳を飲んでいたんだけど、それも買えなくなってきて、一合くらいの牛乳を四日くらいに分けて飲んでいたんだ」(酒井雄哉『今できることをやればいい』PHP研究所、2012年、117頁)。
最近、あるシチュエーションで、年下の女性に年収の低さを理由に、職業観を尋ねられ、年収の低さゆえに、断られた。
断られたこと自体、あるいはその相手自身は、惜しくない。
ただ、年収の低さのことを言われると、俺の人生ではもうどうしようもない。最近そんなことばかりだ。
まさにハードコアバンドPALMの「どっちもままならないいまの俺は何なんだ」状態である。
酒井雄哉氏(阿闍梨)は、比叡山延暦寺で千日回峰行を2度までも行い、落ちこぼれから、生き仏とまで呼ばれるようになった人物である。だが、若い頃の逸話を聞いていると、どうしようもなさにあふれている。もちろん終戦後の時代状況もあったと思うが。
そんな阿闍梨が、「苦しい時は、ジタバタしたって仕方ない」という一節で、ご自分の若いころを思い返し始めたのが、冒頭の話である。
「僕はそのころ、生活をするのに必死だったからね。「いかにしてお金を稼ぐか」ということしか考えてなかったし、そんなことで、ずっと悩んでもいた」(118頁)。
今の俺と同じだ。お金が自他ともに重要な問題になっている。
「だけど、そんなこと考えたって、ダメなんだよ。ジタバタしても、どうにもならないときは、どうにもならないんだなぁ。結局時が解決してくれるのを待つしかない」(118頁)
阿闍梨の考え方には、時節到来とか、時が移り変わるというモチーフがよく見られる。人間も自然の一部という訳である。
「最近、佐野の付近を、立派な車に乗せてもらいながら通ったんだ。町の風景を見ながら、「ああ、五十年前は自分はひどかったな。仕事も住所もなかったな」なんて思ってね」(119頁)。
この境地に至るまでに、どれだけの苦労を経験したのだろう。そしてそれを経験したくない自分がいる。
「あれから五十年生きてきたら、自分がお坊さんになってしまい、昔の自分が歩んでいた人生とは、全然違うものになった。当時は、そんなこと想像もできなかったよ」(119頁)。
自分にも似たような小体験はあるが、また元の木阿弥です。
「やっぱり、人生、長生きしなきゃダメだね(笑)。つらくても、そこを耐えしのいで、コツコツやっていけば、いい人たちとの出会いやチャンスが必ずやってくるんだから」(119頁)
小見出しに「どうにもならないときは、時が解決してくれるのを待とう」とある。
そんなに俺はもう待てないよ。
収入のために1週間働いて、やっとたどり着いた週末に「年収が低い」とやりとりを断られた俺。
もう嘲笑うしかない俺の人生。俺は50年も待てないよ。
そんな俺に言うのだろうか。
「苦しいときは、ジタバタしたって仕方ない」
これからも年収が低いというだけで、馬鹿にされる日々。
苦しみの日々。自分でもう変えられる可能性の低い日々。これからどんどん悪くなっていく日々。俺の生まれた日なんて消え失せればよかったのに。
嗚呼、合掌。