Book Zazen

書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。

FreeStyle Philosophy 3 DJ KRUSH氏の音楽 令和二年二月九日(日)晴れのち曇り

FreeStyle Philosophy 3 DJ KRUSH氏の音楽 令和二年二月九日(日)晴れのち曇り

 


Dj Krush - DJ set @ Sónar 2019 (full show)

 

私はDJ KRUSH氏に詳しい訳でも、クラブカルチャーの中で育った訳でもない。

以前にハードコアバンドのPALMの歌詞についてFreeStylePhilosophyの中で書いたが、やはりPALMに詳しい訳でも、ハードコア系のライブハウスで育った訳でもない。

 

だが、世界的に活躍しているバンドやDJが奏でる音楽、これらを日本の思想や哲学の観点からどう言い表せばよいのだろうか?

 

FreeStylePhilosophyは、学術論文では表せない、学術の序列や上下関係に従いたくない、むしろ反旗を翻したい、そんな気持ちの俺が、日本の哲学や思想の中に含められていないDJ KRUSHPALMを見て感じたことを、生きた証として言葉で表現して残して置きたい。

 

「日本」や「日本人」、在日外国人を含めて「日本生まれ」「日本育ち」など、「日本」ということだけで括る必要はない。そういう批判があることはもちろん分かっている。確かにそうだ。DJはDJだし、ハードコアはハードコアだ。哲学は哲学だし、サッカーはサッカーだ。そこに「日本の~」という付ける必要性はない。

 

だがこういう音楽は何と表現すればいいのだろうか。「日本に結びつける必要性のなさ」だけでは、救いきれない自分の奥底にある何かがある。それは日本のカルチャーに何かが関係している。それを言い表している人がどれだけいるのだろか。

 

こういう音楽も明治以降、欧米のカルチャーと日本人乃至は日本の在日外国人が出会った表現方法なのである。別に歌舞伎調の音楽を電子的に演奏すれば、いいなんて言っていない。でもエレキギター琉球音楽を弾いても、「魂のこもったもの」は琉球の音楽なのである。

 

 

そんなことを(少なくとも)視野に入れていない、日本の哲学や思想に魅力を感じない。視野に入れても、歯が立たないこともある。でも、その屍から次の世代が生まれてくると思う。

 

拙い過去記事ですが、よろしければどうぞ。

book-zazen.hatenablog.com

 

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