Book Zazen

書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

正法眼蔵の参考書についてー西谷啓治著作集よりー令和三年十二月十七日(金)雨のちくもり

正法眼蔵の参考書についてー西谷啓治著作集よりー令和三年十二月十七日(金)雨のちくもり

 

前回、正法眼蔵を読んでいないのに、死んでいくのかという夢の話をした。

そして、道元から人生論を引き出した本を紹介した。

その後、思い出したのだが、西谷啓治西田幾多郎の門下で、独自の宗教哲学者)の著作集の中に、正法眼蔵や仏教についての講義録が収められていたことだった。

 

私の大学院時代の指導の教員が言っていたことで、役に立った実用的知識といえば、難しい思想家や哲学者に講演録や講義録がある場合は、それを読んで見よというものだった。

 

この助言については今も役にたっている。そして私の場合、正法眼蔵について西谷啓治の講義録に辿り着いたということで役に立ったのである。

 

コロナの感染者数が落ち着いているので、大学図書館で、西谷啓治著作集を借り出す機会を得た。感謝。

 

西谷啓治の「正法眼蔵講話」は、ある研究所での講義として『西谷啓治著作集』(筑摩書房、1991年)の第22巻、第23巻に収録されている。

 

西谷は「正法眼蔵」のことを「禅のことにいくらか思想的アプローチができるといふ點では、まあいちばん良い本だと考へてよい」と言っている。(著作集、第22巻、6頁)

 

正法眼蔵の参考書で良いものとして、西有穆山(にしあり ぼくさん)の『正法眼藏啓迪』(「啓迪」=けいてき)と、一所不在の禅僧・澤木興道(さわき こうどう)の『正法眼蔵辨道話提唱』を挙げている。他に大正・昭和期の生理学者で東条内閣の文部大臣を務めて、敗戦後、自決した橋田邦彦の『正法眼藏釈意』もあるが、初学者は無理して読まなくてもよいという。

 

結局、西谷は「私は以上の二册で充分だと思ひます」(84頁)と述べている。

だからこの二書を参考にして、講義が進められていくのである。

全体を読み通せていないが、40代が終わるころまでには、西谷啓治の講義録と正法眼蔵を読み終えていたい。

 

●まとめ

・難しい思想家や哲学者については、その人自身が行った講演や講義録から攻略せよ。

正法眼蔵道元については、西谷啓治の講義録があるぞよ。

西谷啓治は、西有穆山(にしあり ぼくさん)の『正法眼藏啓迪』、澤木興道(さわき こうどう)の『正法眼蔵辨道話提唱』を挙げているぞよ。

 

『正法眼藏啓迪』は、高価だが、大法輪閣のHPで、「在庫僅少」である。

西谷啓治著作集の二冊は、古書価でもきれいなものは高い。手が届かない。澤木興道のものは、もしかしたら手に入りやすいかも知れない。

 

なぜ日本の精神的遺産は、新品の手頃な値段で手に入りにくいのか?もっと身近な存在にしたい。課題には気が付いている。

 

 

https://www.daihorin-kaku.com/book/b108949.html

「生きていけない」と悩むのは人間だけー夢の旧作ー令和三年十二月十三日(月)

「生きていけない」と悩むのは人間だけー夢の旧作ー令和三年十二月十三日(月)

「この大自然の中で「生きていけない」といって悩んでいるのは、人間だけだ」

(14「落ちこぼれること」を恐れないー仏道の身心は、風雨水火なり<発菩提心>、境野勝悟『道元「禅」の言葉』所収)

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昨日の晩、夢を見た。

正法眼蔵」を読んでいないという夢だ。

正法眼蔵随聞記」は、いくらか読んだ。

 

でも、正法眼蔵は読んでいなかったし、ましてや禅修行などはしたことがなかった。

夢を見たことで思った。「正法眼蔵」も読まず、道元の言葉に親しむこともなく、一生を終えていくのかと。

 

何か読みたい。でも大学の研究者が書いただけのものは嫌だ。たとえ知識が豊富で、テキスト読解としては精確であったとしても、人生的な裏付けに乏しいと感じるからである。文献の研究だけがしたいのでないのである。

 

直接読むのがいいのだろうが、難しい本は読みたくない。負担になる。そこで境野勝悟『道元「禅」の言葉【「本当に大事なもの」に気づく30話】』(三笠書房、2008年)をKindle版で購入してみた。(著者はいわゆる「研究者」ではないと思うので読んでみた)

 

印象に残ったのが、冒頭の言葉。全体的に宇宙・自然との一体感を強調している内容だ。

 

現代社会では、一度落ちこぼれると生きていけないように感じるだろう。でもそうではないという。落ちこぼれても生きていけるのだ。

 

「頭の中で、「あれだ」「これだ」と理屈をこね回している自分だけが、本当の自分であると勘違いしては困る。」

「わたくしたちの身は、「風雨水火なり」なのだ」

 

つらいことがあると、生きていけないと思うことがある。

自然の一部だと信じても生きていけないと思うことがある。

宇宙の真理なんて遠すぎて、近づけないと思うことがある。

でも、あと一歩のところで立ち止まることができる言葉だった。

 

昨日の晩、「正法眼蔵」を読んでいないという夢を見た。

 

補足:Kindle版は220円で、紙よりも割安。薄い冊子だし、置き場所に困らないKindle版をおすすめします。

エエカゲン派の数学史ー森毅氏『森毅の学問のススメ』ー令和三年十一月二十二日(月)雨

エエカゲン派の数学史ー森毅氏『森毅の学問のススメ』ー令和三年十一月二十二日(月)雨

前々回に浜崎洋介氏が養老孟司氏にインタビューした『AI支配でヒトは死ぬ。』(ビジネス社、2021年)を購入した記事を書いたが、最初から、しっかり読もうと思って読んでいると、「そういえば、高校の頃、数学者の森毅浅田彰が数学や科学について話していた本を読んだなー」と思い出し、急遽、『森毅の学問のススメ』を読み返したくなった。

 

もう昔の本は捨てたり、処分したりしているものも多い。浅田彰氏の『構造と力』なんて二回購入して、二回とも処分した。でも『森毅の学問のススメ』はおもしろかったから、ちゃんと置いてたんだ。

 

森毅(もり つよし。1928-2010)というと今の若い人たちは知らないかも知れない。私たちの世代では、90年代前半に、細川ふみえさん(グラビアアイドル)と「ポストウォーター」のCMに出ていた学者として知っている人がいると思う。(Dr.中松ではないよ!)

森毅の学問のススメ』(筑摩文庫、1994年。原著は1985年刊行)

さて、本の内容はというと、まず「数学という文化現象」の中で浅田彰を聞き手に、ルネサンスニュートンライプニッツを経て、現代の数理科学などの印象を語り、次に生物学の岡田節人社会学の井上俊、心理学の岸田秀歴史学の清水純一、文学の小松左京、語学の山田稔ら諸領域の学者と対談した「京都サロン文化のなかで」があり、最後に「数学入り人生談義」として森敦との対談が収められている。

 

今回は、「数学という文化現象」の印象に残った箇所を語ろう。

 

ルネサンスあたりの数学

冒頭で森は言う。

「学生なんかとしゃべってて一番消耗するのはね、いまだに近代主義ルネサンス史観みたいなものがあって、科学者は正義の味方、教会権力は頑迷固陋、というイメージを抱かされてるわけね」(14頁)

そうではなく、宗教家と魔術師と学者とが入り乱れていたのがルネサンスあたりの数学であるという。(森)「数学の試合で方程式を解いてみせるなんてのは魔術の一種あったんと違うかと思うてね」(16)

浅田彰氏にかかれば、実用的なものの代表的な的なものと思われがちな「複式簿記」も、現代思想的な装いとなる。

(浅田)「パチョーリとか。複式簿記の成立というのは形而上学的問題だという説もあり、たとえばスケープゴート理論なんかでも、早い話が振替勘定で説明できるわけであってね。」(20)

こういう手際良いまとめ方に関して浅田彰氏って、やっぱりスゴイね。うらやましい。

 

科学革命の時代

森によれば、このあたりの数学は宗教戦争の時代、セクトの時代、秘密結社の時代の流れで把握できるという。

「十七世紀を早わかり図式にすると、最初がガリレオケプラーの時代で、宗教の違いによってチャンバラしていると。ところが、その次のデカルトパスカルの時代になると、今度は宗教の中で、オラトワールはとかポール・ロワイヤル派とか、そういうセクト闘争をやってると。そういつセクト闘争をやってると、それから、最後の辺のニュートンライプニッツの時代になると、もはやそれは秘密結社になって、ユニテリアンとかローゼンツヴァイクとかいう形で地下において動いていると」(25)。

 

こういう対談本で、豆知識(人名や本のタイトル)を増やしたらよい。欄外の解説が付いているから適している。

 

(森)「物事をきっちりせんといかんというキマジメ派と、適当に構図だけ描いといてホラを吹くエエカゲン派とに分けると、キマジメ派の系列がケプラー-パスカル-ニュートン、エエカゲン派の系列がガリレオ-デカルト-ライプニッツとなっておってね」(26)と歴史の流れを提示するのだが、すかさず浅田が「この分類はそれ自体エエカゲン派の典型だけど(笑)」と突っ込む。

ガリレオ裁判

ガリレオを悲劇の人として描くことを批判し、金銭・名誉・酒・女が好きで、世事に長けたガリレオの読みが外れたのがあの裁判だという。

浅田も「ガリレオにしてもケプラーにしても、宗教戦争がものすごく前面に出ている中で政治的に右へ左へ動いていた人たちという印象が強いですね」といい、フランセス・イエイツの名前を挙げる(32頁)。

ニュートンライプニッツの時代

この時代は表立った宗教対立がなくなり、一応「科学」が中立的に営まれて来だしたとされる(42)。とはいえ、ニュートンにせよライプニッツにせよ、制度化された時代の「科学者」ではないのである。

(森)「あのブラウンシュヴァイク系図っていうの、アホなことにあたらライプニッツの才能を浪費したという言い方をする人もいるけれど、あれがやっぱり彼の本領ではないかという感じがする」(54)

ブラウンシュヴァイク系図」とは、「ライプニッツがハノーヴァー王室のために作成した系図」と欄外の用語解説にある。ライプニッツは、ものすごい総合的な業績を残した人物であり、私の知る限り、図書館司書として図書館学にもその足跡を残している(もっとあるのだが)。

ニュートンライプニッツ微積分の先取権を争っていたことはご存じの方もいるだろうが、ライプニッツ微積分ついて浅田は、

ライプニッツのほうは、無限小をdxと記号化しちゃうことで、捜査の対象にしちゃう、悪く言うと極微の粒であるかのように物象化しているわけだけど・・・」「ああやってアルゴリズム化することではじめて微積分を体系的に扱えるようになったわけですからね。無限小をタナ上げするんじゃなくて、いわば工学的に扱っちゃうというか、そういう発想でしょ」(57)と説明する。

さらに浅田はフラクタルについても、ライプニッツとの関係を語る。

「もっとラディカルな形でライプニッツのビジョンを復権しようというのがフラクタル解析」「微分というのは曲線を微小線分の集積に還元するものだから本来ニュートン的」「それに対して、どんなに微小な部分をとっても限りなくギザギザと入り組んだ至るところ微分不可能な曲線を一種の自己相似的な入れ子構造としてとらえるのがライプニッツ的な方法の真骨頂」(58)。

フラクタル」って一時期はやったけど、こういう意味があったのか。

 

19世紀の数学

19世紀は数学の体制が確立され、大学の数学という形で職業化され、「通常科学」となり「数学株式会社史」と化す(72-74)。それでつまらなくなるかと思いきや、戦争やIBMなどの企業の勃興でシャッフルが起こるのである。

1920年代ごろ~)抽象数学と数理科学

ヒルベルトに代表される抽象数学の時代が、戦争や迫害を経て、数理科学や軍事研究と結びつくことになる。その動きを代表したのが。『量子力学の数学的基礎』で有名なフォン・ノイマンであるという。

(森)「だいたいああいうのは世俗から離れた抽象論の奏でる冷たいハーモニーというイメージがあったわけね。それが同時にコンピュータをやったり、衝撃波をやったりしているというのは、ちょっと意外でね」(76)と戦時中に聞いた、フォン・ノイマンの動向の印象を語る。

ヒルベルトを「ビッグ・ボス」(笑)とするゲッチンゲン学派が、アメリカに移るときがやってきた。

アメリカに移ったときにゲッチンゲンの流れが二つに分岐して、一つがプリンストンの高級研究所になり、一つがニューヨークのクーラント研究所になったという話がある」「高級研究所はまさに高級だし、クーラント研究所は、いわゆる応用数学のメッカ」(77-78)であるという。

クーラントというのは、あのクーラントヒルベルトの『数理物理学の方法』で有名だが、私はその名前しか知らず、内容は理解できないことを告白しておく。

文化人と技術者

アカデミックな世界からアメリカの研究所に移っていく科学者らについて、浅田は「文化人じゃなくって、テクニシャンに徹しているようなところがありますよね」と語り、「仕事口があれば軍事的なものでもけっこう」という印象を受けると言う(82)。

「勤め口の問題で専門を変えなければならない」ことがあった例として浅田は、アブラハム・ワルトを挙げる。

例)アブラハム・ワルト。当初は純粋数学を志すも、ウィーン時代から仕事がなく、数学者カール・メンガーの世話を受け、銀行家の家庭教師を引き受ける。その関係でワルラス流の一般均衡分析に興味を持ち、ワルトによる均衡の存在証明が生まれたという(83)。ゲーデルフォン・ノイマンとの接点を持っていたという。統計学のポストしかなかったからアメリカ行きを渋っていてたが、渡米し統計学に革命をもたらしたという(84)。

アメリカという新天地でゲーデルノイマンらが、イギリスでテクニシャンともいえるチューリングらが、ライプニッツの考えていた「符号化」「計算機」などを実現していった。ここでライプニッツとつながるわけだ。

 

ユダヤ系の学者がアメリカに渡った話は有名だが、数理科学と結びついていくあたりは、知的にも興味深い。

 

感想

高校時代に読んだときは、ルネサンスからニュートンライプニッツあたりが印象に残ったが、今回読んで1920年代の応用化学や数理科学へとつながっていく、文化人たちがシャッフルされていく箇所が特におもしろかった。浅田氏の興味関心も数理科学あたりにあったのかなと再読して思った。

また、自分のやりたい研究ができず、勤め口があれば、移っていかざるを得ないという人物らが、抽象数学から数理科学、軍事研究、統計学などを発展させていったという話は、今の私にはとても興味深かった。境遇のなせる業か。

 

 

中島美嘉『雪の華15周年記念ベスト盤 BIBLE』ー令和三年十月二十九日(金)すっかり寒い

中島美嘉雪の華15周年記念ベスト盤 BIBLE』ー令和三年十月二十九日(金)すっかり寒い

家にいる時間が増えた。だから、音楽を聴きながら過ごしたい。

スマホのストリーミングをブルートゥースでつないでも、1曲ごとに選曲したり、CMが入ったり面倒くさい。

だから、古典的な方法だが、CDプレーヤーで音楽を聴きたい。

 

中島美嘉を知ってから約20年ぐらいが経っただろうか。

彼女の主演したドラマをリアルタイムで見ていた。

挫折したミュージシャンが彼女の歌声を聴き、もう一度音楽を志す話だった。

それが「STARS」だ。
*調べて見ると、音楽プロデューサーが、彼女の歌声にほれ込み、再起する物語だった。


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自分も10代はギターを弾いたり、洋楽を聴いたりすることが人生の中心にあったけど、20代になって、その気持ちが途切れて、その道、その方向性を捨ててしまった。人生に迷った。これからの目標を持てずにいた自分。

 

そんな自分に重ね合わせて見ていたドラマ。でもやっぱり希望が持てなかったし、彼女のように才能を開花させることはできなかった。

 

その後、CMや何かで彼女の歌声を聴くことはあったが、20代初めの頃のように、感動が湧き上がることはなかった。

 

でもここに来て、部屋で過ごす時間が増えて、Youtubeで彼女の歌声を聴き直して、CDが欲しくなった。だからこのベスト盤を購入した。DVDは必要ないから、3枚組のCDだけのものを買った。値段は約3000円ちょっと。本当のファンは、アルバムを1枚ずつたどって行くのだろうが、私はこれでいい。

 

TVで流れていたのかも知れないが、彼女の歌は「CM負け」や「ドラマ負け」しない。

「CM負け」というのは、楽曲が何かのCMに使われると、商業的過ぎて、感情移入できないことを自分で言い表した言葉である。

 


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雪の華」は、彼女の震えた、女性の不安定さが歌声に現れていて、それがいい。

ハードコアのヴォイスとは異なるぜ。

 


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これから冬の時間を彼女の歌声とともに過ごしたい。

 

 

 

養老孟司氏『AI支配でヒトは死ぬ』ー本日買ったものー令和三年十月三日(日)夏のような晴れ

養老孟司氏『AI支配でヒトは死ぬ』ー本日買ったものー令和三年十月三日(日)夏のような晴れ

養老孟司氏『AI支配でヒトは死ぬ』

滞事を一掃し、新たなことにも取り組んでいる今日この頃。

朝から動いていました。

 

さて、先日「表現者クライテリオン」のHPを見ていたら、養老孟司氏の本の紹介がしてあったのですが、単なる書評かと思っていたら、表現者クライテリオンのメールマガジンが縁で、編集委員浜崎洋介氏が聞き手になって、この本の初出となる原稿ができたという。「タコツボ型」の日本社会では、こちらで有名であっても、あちらとどう結びついているのか分かりにくいことが多い。でもあの養老孟司氏が、表現者クライテリオンと接点があったのかと思った。

 

とはいえ、最近はこういう即興で書かれた対談本を購入することには極度に慎重になっている。一に金銭の問題、二に置き場所の問題、三に処分の問題があるからだ。

 

だが目次を見て、共鳴できそうな箇所があると踏んで、購入を決意した。

表現者クライテリオンとの「縁」」

「保守思想と西部邁

「国語と自然ー養老孟司福田恆存

「「身体」に耳を傾けること」

「「構造理解」が苦手な日本人」

「一年半ぶりの再会ーコロナと不要不急」

「ワクチンと安全保障」

「「戦前」を反復する「戦後」ー国民を飢えさせる政府」

「解剖学と保守思想」

「解剖学と被差別」

複雑系とカオス」

「虫好きな日本人」

 

こういう小項目が並んでいる。ちょっと保守系の言葉が目につくが、私としてはむしろ「解剖学」や「虫」など普段接しない話題に刺激を受けたいと思った。人生で諦めずに「解剖学」を人生で学ぶ機会を作りたい。

 

もう購入しました。

 

 

そしてもう1冊購入したのは、

Foo Fightersの1stアルバムのバンドスコア。

知らない方もいるかも知れないが、Foo FightersというのはNIRVANAのドラマーのデイブ・グロールが結成したロック・バンド。この映像でドラムを叩いているのが、デイブ。

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1stの雰囲気は例えばこんな曲。でも自分は"For  all the cows"が好きだった。"For  all the cows"を聴いた時、自分の中の何かが終わったと思った。まだローティーンに過ぎなかったけど、そう思った。

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私は1995年のIMPホールでのライブに行った。95年のライブでは、まだ発表前の2ndの"Enough Space"もやっていたと記憶している。このあたりの曲はすごいよね。3rdあたりから聴かなくなった。私の関心が徐々に移っていったというより、手の届かない外国よりも身近な友達に合わせて音楽を聴いてしまっていた。情けない日々。でも次に進むために必要だった。

 

10代と40代が同居している私。

これから自分はどこに行くのだろう。

 

Foo Fighters

Foo Fighters

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(これはCDアルバムです。)