Book Zazen

書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

日経整理&週刊ダイヤモンド・2019/6/1号「コンビニ地獄」ー令和元年5月27日(月)晴れ

日経整理&週刊ダイヤモンド「コンビニ地獄」2019/6/1号 -令和元年5月27日(月)晴れ

  

今日からまた仕事ですね。今日は定時に帰れました。

最近、日経整理の記事を書いていなかったけれど、今日は書きます。

 

2019年5月24日(金)15面企業欄「調達100億円 夢の終わり」

 

カジュアルな格好でプレゼンををして 大金を投資してもらい事業を成功させる。

社会に出ると圧倒的な実力差に悔しい思いをしてきた。でも、やはりうまくいかないこともあるようだ。

 

自動で服を折りたたむ製品を開発していたセブン・ドリーマーズが31億81千万円の負債を抱えて破産したという。ユニクロのエアリズムみたいなすべる素材を扱うことが難しかったともいう。ソフト面での開発難航がたたり、追加出資する企業もなく撃沈したようだ。

プリファード・ネットワークスのような今をときめく企業があるかと思えば、セブン・ドリーマーズのようにおもしろいことをやっているが、撃沈する企業もある。

 

すごいな。俺はこういうチャレンジ精神が好きだ。失敗しても、何もしなかった人より、死ぬ前に後悔しないだろう。

 

日経(外部リンク):

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45142750S9A520C1TJ3000/

 

週刊ダイヤモンド・2019/6/1号「コンビニ地獄」

今日の日経を見て、購買で買ったのが週刊ダイヤモンド2019/6/1号「コンビニ地獄」。

ニュースや新聞でよくやっているが、24時間を前提に組み立てられた現在のコンビニのモデルを、どのように変化させていくのか、いかないのか興味があった。

 

自分がコンサルならどうする。具体案が全然浮かばないから、コンサルにはなれないが、でも後追いして理解することはできる。そしていつか自分でも課題解決できるようにする。

 

その他、揚げ物の管理・清掃工程とか、おでんの管理の話とか、コンビニでほとんど買い物しない私にも興味深い。

https://diamond.jp/articles/-/203516

 

今日、仕事帰りに久しぶりに吉野屋で牛丼を食べたが、新人バイトに怒らず、苛立たず、的確に教えるベテラン社員に感心した。コンビニの店員も吉野屋の店員も社会のしわ寄せを受けていると思う。たかだか、500円ぐらいの買い物で、客に従属させられているような感覚。私もサービス業の経験があるから、気持ちは分かる。だからもっとつゆだくにして欲しくても、忙しいときは我慢して、こっちも怒ったりはしない自制心を身に付けた。これは社会に出た賜物だと思う。昔ここで注文を取り違えて店員に偉そうに怒りまくっていた男がいたが、あんな忙しいんだぜ。無理もないよ。

 

でも、そんな中でも新人の女性に怒らず的確に指示を出すベテランのおっさんに関心した。セクハラとかもないように祈りたい。

ちゃんとしていれば、誰かが見ているものだな。それが報われるかどうかは別として。明日も仕事なのでおやすみなさい。

C言語9回目&シンクタンク&大学図書館ー令和元年5月25日(土)、26日(日)晴れ

C言語9回目&大学図書館ー令和元年5月25日(土)、26日(日)晴れ

 

 

土曜日は、C言語9回目。Cの学習も、最近は全く気分転換にならず、勉強が分からないから学校に行きたくないひとの気持が分かった。

「配列」や「文字列」とポインタとの関係。現時点でポインタとは情報の位置だと理解しているが、コードが何をやっているのか、理解が追い付かない。

まあ、他の部分ではコードを読んで理解できる所もあるし、for文の書き方など分かるようになってきた。実務レベルではないが、趣味として楽しむレベルにはなってきている。これでいいと思うのに、今回はスクールの指導の仕方にしっくりこない。

 

C言語学習の後は、百貨店やら大型書店に行って、ウィンドウショッピングを楽しんだり、情報を仕入れたりするのだから気分を切り替えていきます。せっかく交通費を使っているのだから、楽しまないといけないと思う。

 

先週1週間は、船橋洋一氏の『シンクタンクとは何か』を読んだあとに、岡崎久彦氏の『戦略的思考とは何か』と船橋氏が設立したシンクタンクたる日本再建イニシアティブ著『現代日本地政学』を取り寄せ岡崎氏のものを先に読んでいる。

 

修士課程以前から、実業界に行くのなら、シンクタンクで働きたいという希望を持っていた。自分の研究が原理篇だとすれば、それを日本の世界戦略の中に活かしたいという夢を抱いていたからだ。

 

私の場合、政策研究よりもまずは哲学的原理を固めてからだと考えていたから、修士課程は哲学系に歩を進めたが、実際にあるシンクタンクやコンサルに何のアプローチも図らず、それどころか「~問題に詳しい」みたいな専門家にもなることもなく、野に埋もれてしまった。賞与も退職金もない生活を余儀なくされながら・・・。

 

私としては、個別の地域研究を行っても、思想・哲学・宗教・人生で悩む問題は解決にいたらないと思っていたから、よくニュースのコメンテーターに出て来るロシアや中東などに「詳しい」みたいな人生を送らなかったことが今でも正しいと思っている。だが、ここまで埋もれてしまうと、チャンスを掴んで経験を積むことができた人と比べて、自分が腐っていく感じがする。

 

そんな中でもシンクタンクのような場所で働きたい、いや、本当は自分でシンクタンクのような研究所を作り、少しでも思想的混迷を晴らしたいという気持ちはあるから、前からキャリア、資金源など包括的に知りたいと思っていたシンクタンクのことを船橋洋一氏の本で学ぶことにした。(これ以前には副島隆彦氏の『現代アメリカ政治思想の第研究』にアメリカのシンクタンクや思想誌の話が載っていたのを読んでいたぐらいだ。)

 

船橋洋一氏(1944年生まれ)の本は喰わず嫌いで、朝日新聞を読んでいたときも特に論説を読んだという記憶はない。東京大学教養学部卒で1968年に朝日新聞に入社、2007~10年まで朝日新聞主筆だったというのだから、市民主義全開で、「日本的なもの」への批判だけが強い人物なのかと思っていた。この本は自己の主張を抑え気味で書いているのかも知れないが、なかなかどうしておもしろい本であった。

 

まず文章表現力がある。それは英語の訳語の当て方のうまさにも現れている。それにコンサルタントや大学などシンクタンクの類似機関との比較をして概念を明確にして論じているし、リバタリアン系のシンクタンク・ケイトー研究所のスポンサーのコーク兄弟のことなども詳しく載っていて副島氏の本にはない点を知ることができた。さらに、日本には銀行や企業の調査部のようなシンクタンクが多くて、政策で政治を動かす代替能力を持った機関が少ないことや、マッキンゼーなどのコンサル・ファームが伝統的なシンクタンクよりもインパクトを及ぼすようになった経緯にも触れている。著者は日本にシンクタンク政治を根付かせたいという気持ちで動いてきたと同時に、欧米の真似だけでシンクタンクをつくるものでもないと言っている(241頁)。

私なりには、満鉄調査部大川周明の大川塾、シンクタンクの類縁機関として幕末から昭和期にかけての思想塾の存在(金鶏学院など)、武道・禅などの道場文化などを考察しつつ、フォーリン・アフェアーズに対して有賀長雄の『外交時報』などを視野に入れて、船橋氏の本から学んだ事を補完・強化していきたい(こういうことを考えながら歩んできたから、外国の思想だけをたくさん学んで早い段階で専門家になることはできなかったと開き直りたい。いくら今外国の方が優れているものがたくさんあっても、私は常にわが国の精神史との関係で歩んで来たのだから・・・。それを絶対に失いたくない。譲りたくない。)。頑張って書いたが、明日から全く関係ない仕事だから全然前に進まないよ。どうしたらいいんだ。

他にも論じたいことがたくさんあるので、船橋本から学んだことはあらためて記事を作成したい。船橋氏に頼らなくても、ああいうことは知ってるよという方は無視してくれたらよい。

 

 

 

<本日購入した本>

岡崎久彦北岡伸一坂本多加雄『日本人の歴史観ー黒船来航から集団的自衛権まで』(文春新書1043、2015年)

*岡崎氏と言えば、新英米派の代表格のような存在であるが、もう一度『戦略的思考とは何か』も含めて読んでみたい。『戦略的思考とは何か』は昔もっていたが、自分には関係ないと思ったのかして、処分していたから購入し直した。最近こういうの多いな。

永井陽之助『新編 現代と戦略』(中公文庫、2016年)

かつて福田恆存氏の本でその名を知った永井陽之助氏の本が、中公で復刊されていることは知っていたが、岡崎久彦史の『戦略的思考とは何か』を再読しているので、岡崎氏を「軍事的リアリスト」と批判した、「政治的リアリスト」永井史氏の本を購入。

 

今日はこれぐらい。電車の中で、1週間で読める量を購入。

 

 

26日(日)には、大学図書館に行ってきた。

<本日借りた本>

山田慶児『日本の科学ー近代への道しるべ』(藤原書店、2017年)

*日本と中国に「科学」はなかったのか。それを論じる方法論まで含めて学びたい。

細谷宏美『ぺルーを知るための66章』(明石書店、2012年)

*いつか旅してみたいから、ペルーの本を読んでおこう。100万円ぐらいかかりそうだからすぐには無理だろう。

カルロ・ギンズブルグ『歴史を逆なでに読む』(みすず書房、2003年)

*イタリアの歴史家。残りの人生で徐々に読んで行く。

 

中途半歩な内容だが、明日から仕事なのでもう寝ます。給料がないと生きていけないので。トランプ大統領が相撲を見に来ていたが、それに引き換え、自分はなんて小さい人間なんだ。おやすみ。

 

布団干しやら、クリーニングの引き取りやら、買いものですぐに休日が終わる。

もう嫌だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

夢の残骸ーカール・シュミットの翻訳者ー令和元年5月24日(金)晴れ

夢の残骸ーカール・シュミットの翻訳者ー令和元年5月24日(金)晴れ

 

大学を卒業してから10年ぐらいしか経っていないが、ずいぶん遠くのことのように思う。20代後半で入った大学。夢を膨らましていた。大学時代を思い出すことは楽しい。だって、自分の好きなことが出来ていたからだ。でも、膨らんだ夢はそのままではなく、残骸となってつらい現実に変わった。

 

前回は、法哲学を学ぶゼミに入った話を入り口までした。今回は、膨らんだ夢の中の1つであったカール・シュミットの翻訳者の話をしよう。

 

呉智英氏によってカール・シュミットという政治学者がいるということは、10代中ごろから知ってはいた。知ってはいただけで、読めもしなかったし、買いもしなかった。その頃はまだ音楽の方に興味があったからそれでよかった。

 

20代後半の大学入学当時、『政治的なものの概念』だけは持っていたと記憶するが、通読できていなかったと思う。後にマーク・リラの『シュラクサイの誘惑』を読んで、さらに興味をもったが、外国の理論もさることながら、我が国の思想も追わないといけないと思い、カール・シュミットだけを体系的に読み進めて行くということはしなかった。

 

大人になった今でも、自分が受けてきた学校教育を振り返っても、馬鹿にされてきたような教育だった。本当にくだらない教育だったとつくづく思う。

 

それに対して大学の良い点は、カール・シュミットについての論文や翻訳をしているような人物の講義を直接受けられることだと思った。これまでは大体どんなジャンルでもその第一人者から教わるような環境に恵まれなかった。

 

だから期待していたのだが、現れた人物は、初老になりかかった温厚なおじさんであり、私の思想的熱情に応えてくれるような人物ではなかった。

 

もちろん学者としてのその人物から、大教室の講義ながらも、学んだことはあったし、定着した知識もあった。たとえば、ヨーロッパには二つの真理がある。ヘブライに起源をもつ「啓示による真理」と、ギリシアに起源を持つ「ロゴスによる真理」(ロゴスといっても奥深いものがあるのだろうが)がそれだ。こういうことはしっかり定着した。だがそれだけのことである。

 

カール・シュミットの翻訳者であっても、単なる「講読の師」であって、「人生の師」ではなかった。ただそれだけの話である。大学なんてそんなところである。大学、大学院と研究者の養成課程を修了したからといって「人生の師」となる要素はないのである。ただそれだけの話なのである。

 

冒頭、「大学を卒業してから10年ぐらいしか経っていないが、ずいぶん遠くのことのように思う」と書いた。その理由は、多分、金銭的にも時間的にも、もう二度と戻れない時間だからだろうし、戻れたとしてもかつてのような気持ちで学ぶことができなくなっているからだろう。

 

私の膨らんだ夢の残骸。残骸が用意した現実。いまその現実を生きている.

私の膨らんだ夢の残骸。残骸が用意した現実。現実に殺されながら生きている。

 

 

 

 

 

夢の残骸ー法哲学を学んだ頃ー令和元年5月19日(日)晴れ

夢の残骸ー法哲学を学んだ頃ー令和元年5月19日(日)晴れ

 

私が通っていた大学(法学部)では2回生の後半から、ゼミに所属することができた。「できた」というのは、2回生では所属せずに、3回生になってから始めることも可能だったからである。

 

私は高校中退後、足掛け数年の独学の末、旧司法試験の一次試験に合格してから大学に入ったので、大学一年生の時から、司法試験を受験していた。

 

詳しくない方や、今の制度しか知らない人に向けて言うのだが、私の大学卒業の次年度から完全に法科大学院ロースクールを経ないと司法試験の受験資格を得られず、家庭の事情などで例外的に予備試験に合格すれば、ロースクールを経なくても、司法試験本試験への受験資格が得られるというものに変わって行った。

 

 

私は現在の予備試験にあたる旧試験の第一次試験の合格者だった。統計を見たことはないが、合格証書の番号から考えても、これまでに5000人ぐらいしか合格者がいなかったのではないだろうか。

 

外部リンク:法務省 旧司法試験の第一次試験の概要

http://www.moj.go.jp/jinji/shihoushiken/jinji07_00099.html

 

これは一般教養と英語の試験であって、第二次試験の法律の択一試験とは別物である。旧司法試験は大学の教養課程(大体2回生)などを修了していないと受験資格が得られず、絶望的な人生から弁護士となった大平光代さんもたしか受験資格を得るためにどこかに通ったとかなんとか書いていたように思う。

 

私の場合は、足掛け数年で旧司法試験の第一次試験に合格したので、大学入学時の春から司法試験を受験した。大学受験を終えたばっかりだった。

 

自分の記憶が正しければ、私は大学を受験する1年間、司法試験予備校に通い、大学の受験勉強をし、同時に11月ごろには行政書士の試験も受けていた。我ながら頑張っていたが、大学受験と同じ年度の行政書士試験には不合格で、その後大学1年の時に合格した。これも足掛け数年である。

 

大学2回生、その頃はまだ司法試験合格の夢を見ていたけど、実定法(今現に定まっている法律のこと)科目ではなく、法思想、法哲学、法制史、政治思想、国際政治などがゼミの候補だった。他の人は、企業法や労働法が多かった。これは就職などを考慮に入れてのことだと思うけど、私の場合20代後半で大学に入学したから、就職はできると思っていなかった。

 

国際私法や国際政治も人気だったと思うが、帰国子女的な雰囲気があり気後れするし、思想的な雰囲気が合うとは思わなかった。

 

それに私にはもう1つ大学時代に身に付けたい目標があった。それは「原書読解力」である。「原書読解力」とは、英語なら英語の原文を、自分で読む力のことである。卒業後の人生は、法曹資格で自分の変則的な人生を補い、自分の学問としては、原書を読解できる能力が欲しかった。第二外国語はドイツ語を専攻していたし、それも人生の上で活かしていきたいと考えていた。直接レクラム文庫などを読みたかったのである(いま出来ないこともないが、かなり時間がかかるし、辞書を引く気力はもうない)。

 

だから、単に「偏見を取り払ってみんなで議論しましょう」式の法哲学ではなく、原書読解型の法哲学(名目上は「刑法」だったかも知れないが、刑法など実定法の基礎にある法哲学)のゼミがリストにあるのを見つけて、そこに入ろうと思った。

 

憲法学ということも意識していたが、1回生の時に授業で接して、とてもじゃないが、尊敬できるような人たちではなく、以後はこの大学で憲法は学ばず、自分で学ぶことにして、対象から外した。私が外したということもあるが、もうあの手の議論が好きな傾向の人でないと、入れないだろう。こうやって憲法学に入る人物の選別が行われ、似たような傾向の人物が、自分たちの常識の枠内で「学問」と称して、自分たちの意見の権威づけを行うのである。

 

それに比べれば、不安はあったが、ドイツの法哲学を学んだ方が良いと考えた。とはいえシラバスを読んで、思想傾向として本当にこれでいいのかという気持ちもあったが、意見の違う点は、自己主張すればよいし、何よりドイツの法哲学の方が哲学などとの接続が良く、深みがあるだろうという気持ちがあった。

 

だから、ゼミは法哲学のゼミ(名目上は刑法だったと思うが、刑法学を学んだ訳ではない)に入った。

 

そのことについて、これから少しずつ書き残して行きたい。私の夢の残骸。入る前は4年は長いと思っていたが、確実に訪れた卒業。私の夢の残骸。

 

先に少し触れておくと、結局、大学4年間、司法試験にも受からず、ゼミの教授も途中で病死し、ゼミを移ることになる。ドイツの法哲学のゼミに入ったのは、私の学年では私1人だったから、その道に進めば、希少性から言っても、研究者になりやすかったかも知れない。(司法試験に受からなくても、思想力というものがあるだろうし、思想力は司法試験によって保証されないことは日々のニュースコメントを見ていたら分かる)。そして何より、私はゼミで学んだ法哲学の思想傾向に飽き足らないものを感じていたので、そのコミュニティーに媚び売って生きて行こうとは思わなかった。嫌なものは嫌なのである。

 

とはいえ、大学卒業後の苦難は目に見えていた。それが間に修士課程を挟んで、2年先延ばしにされただけの話だった。その後からが、茨の道だったのである。

 

私の夢の残骸。旧司法試験の第一次試験も、もはやほとんどの人が知らない資格となった。

私の夢の残骸。こんな立場の下働きになった。

私の夢の残骸。悔しさと自己嫌悪で苦しくなる日々。

私の夢の残骸。何のために生きているのか分からなくなった人生。

私の夢の残骸。もうこのまま滅んでいけ。

再Check!坪内祐三氏の仕事部屋ー『鳩よ!』2001年12月号

 再チェック!坪内祐三氏の仕事部屋ー『鳩よ!』2001年12月号

 

1年前の記事で、もう処分すると書いたのだが、処分用段ボール箱の中に眠っていて、結局処分していなかった。

この号は大変貴重な号なのかも知れない。ネットに何か情報がないかと見ていたら、この「『鳩よ!』2001年12月号」で検索すると、私の記事が2位の位置に来ていたので、あまり論じられていないのかも知れないが、やはり貴重な号だったのだと思う。

book-zazen.hatenablog.com

 

例えば、坪内氏の大学院時代のエピソードは興味深いし、読者の参考になるだろう。

坪内氏は大学時代、福田恆存氏と花田清輝氏がお気に入りだったそうだ。そして、早稲田大学だと思うが、大学院に進学した時に読んだ本を紹介している。

 

「あまり声を大にして言いたくないのですが(笑)、実は僕は英米文学科の大学院では批評を勉強していました。」(33頁)

 

福田恆存氏の弟子にあたる松原正氏の弟子が坪内祐三氏だという理解だから、英米文学科に進んだのは分かるのだが、なぜ「あまり声を大にして言いたくないのですが(笑)」なのか読者は分からないだろう。これは多分次の文章に関係しているのだと思う。

「その頃アメリカでは脱構築批評が大流行で、いわゆる「イェールの四天王」の全盛時です。僕もいちおう、四天王たちの、つまりポール・ド・マンとジェフリー・ハートマンとジョン・ヒリス・ミラーとハロルド・ブルームの本を原書でチャレンジしてみたのですが、僕の英語読解力では、あまり良く理解できませんでした」(同頁)。

 

もちろん謙遜して言っているのだろうし、読んだことはないが「脱構築系」の研究者が書く論文が読みにくというのもあったのかも知れないが、坪内氏のような人が英語の原書をよく理解できないと言うのを聴くと安心する。やっぱり翻訳が読みやすく、早いよね。

 

「あまり声を大にして言いたくないのですが(笑)」というのはこの「脱構築批評」について言ったものだと私は推測する。というのも、「脱構築」というのはデリダハイデガーの「解体」という語を訳す際に、「苦肉の策として選んだ一つの翻訳語」だそうだが*1、そのデリダの日本における紹介者たる高橋哲哉氏は、『靖国問題』という著作で世に知られている人だから、坪内氏がその思想の流れを方法論としては高度なものを持っており、批評の研究としては評価していても、全人格的に帰依してしまう相手ではないなと思いつつ、学んでいたという意味だと私は受け取っているが間違っているだろうか。*2

 

坪内氏が「お勉強」ながら楽しめたのは、次のような批評家だったそうだ。

「それよりもっとすっきり面白がることができたのは、彼らより一世代(あるいは二世代)前のアメリカの批評家たちでした。つまり、エドマンド・ウィルソン、ケネス・バーク、マルコム・カウリー、レイオネル・トリングといった人々です」(33頁)。

 

その面白さは翻訳でも十分伝わってくるということだから、安心した。

こういった英米批評家の入門書としてっスタンレー・ハイマン『批評の方法』(全十二巻!えっ?)が良いとのことです。

 

ちなみに「お勉強」ではなく、「感受性」で坪内氏が好きなアメリカの作家は、ナセニェル・ウエストがリング・ラードナーらしいです。どちらも知りませんでした。リング・ラードナーの短編「微笑がいっぱい」が坪内氏のお気に入りらしいです(33頁)。

 

『鳩よ!』2001年12月号、前にも書いたけど、2Kのようなアパートの一室に、その床にもたくさんの本がいっぱいあって本好きにはたまらない写真となっている。下の方の本は絶対読まないだろ。

 

『鳩よ!』2001年12月号を権利関係をクリアにして、ネットに載せて欲しいな。

 

だが、私が不動産のオーナーや貸主なら、部屋が痛み、隙間にホコリがたまるので、坪内氏には部屋を貸したくないかも知れない。もう大人になったな(笑)。

 

*1:高橋哲哉デリダ講談社、1998年、51頁。

*2:佐伯啓思氏の『学問の力』中に、ポストモダン思想を論じた箇所で、「デリダ主義者ともいうべき高橋哲哉は『靖国問題』(ちくま文庫、2014年)でブレイクしましたが、きわめてオーソドックスな左翼的進歩主義を唱えている」(43頁)という点も参照。