Book Zazen

書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

ヨブ記

時折、ヨブ記を読み返し、ここに記そうと思う。

 

私が聖書を購入したのは、大学生の時だ。

 

その時は、講義の関係で、「出エジプト記」が、いかに欧米の政治思想の骨格を形作っているかということを知るために読んだ。だが、いまはちがう。そんな賢こぶったことはもういい。知識を捨てて、無一物になるからだ。

 

昔、大学生協で買ったのは新共同訳の聖書だった。福田恆存氏が文語訳の聖書の方が良いといっていたから、後にそれも買ったが、やはり現代語訳の方が読みやすい。

 

今は『ダイグロット バイブル 和英対照』(日本聖書協会)を置いている。これからも特に理由がない限り、これを座右に置こうと思っている。和英対照を選んだのは、その時は、欧米の文化の基礎である聖書で学んだことを英語でも言えるようになりたかったからであるが、いまはそんな気持ちはない。賢ぶるつもりはさらさらない。

 

ヨブ記について

ヨブ記は、信仰篤いヨブ(Job)が、どのような境遇にあっても神を呪わないかどうか試されるため、サタンに悲惨な目に遭わされるという物語であり、旧約聖書に収められている。その言葉に、いや呻き声に胸を打たれる。

 

 

ヨブは自分の誕生した日を呪って言った。(以下、引用は全て「ダイグロット バイブル 和英対照」(日本聖書協会)に拠る)。

「わたしの生まれた日は消え失せよ。男の子をみごもったことを告げた夜も。」(3-1)

"Let the day perish on which I was born, and the night that said"

 

人生の中で悲惨きわまる苦痛を経験しているヨブの言葉・・・・。

 

とはいえ、いま私はこの言葉に共感しているわけではない。なぜなら、私は生まれた日、やさしさくつつんでくれた両親に感謝しているからだ。その点はヨブとはちがう。

 

「なぜ労苦する者に光を賜り 悩み嘆く者を生かしておかれるのか。彼らは死を待っているが、死は来ない。地に埋もれた宝にもまさって 死を求めているのに」(3-20、21)

"Why is light given to him who is in misery, and life to the bitter in soul,

who long for death, but it comes not, and dig for it more than for hidden treasures,"

 

そうだこの先私のどんな未来があるというのか。どんなに頑張っても、救いのない私にどんな未来があるというのか。

 

「湧き出る水のようにわたしの呻きはとどまらない」(3-24)

"my groanings are poured out like water"

 

 

「恐れていたことが起こった」(3-25)

"For the thing that  I fear comes upon me"

 

 

本当だ。長い間、恐れていたことが本当に起こったのだ。

 

「危惧していたことが襲いかかった」(3-25)

"what I dread befalls me"

 

 

本当にそうだ。起こったなんてものじゃない。襲いかかってきたのだ。

そしてヨブは言う。

 

「静けさも、やすらぎも失い 憩うこともできず、わたしはわななく」(3-26)

"I am not at ease, nor am I quiet: I have no rest, but trouble comes."

 

 

私は静けさのなかで、一人取り残されている。