Book Zazen

書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

歌詞「苦しみの手 救いの手」by Yoheiー令和元年9月22日(日)くもり

歌詞「苦しみの手 救いの手」by Yoheiー令和元年9月22日(日)くもり

 

今日、購入したいと思えるギターに出会った(1本目は25年前に買った)。値段的にもOKだ。いくつか候補があるが、エレキ・ギターは最後には見た目が気にいるかどうかだと思う。そのギターを持っていてかっこいいと思えるかどうかが大事だと思う。自分の心を慰めてくれるものだから。

徐々に昔の音楽人生を取り戻してきている。これはいいことだ。どうせ野垂れ死にする人生だ。昔、持っていたストレイ・キャッツSTRAY CATS」も輸入盤で買い直した。もう好きなものに囲まれて死んで行くしかないそんな人生を、曲をつけて歌っていきたい。タイトルは変更するかもしれないが、歌詞はこれでいい。気に入らなきゃ、ページをかえてくれ。

 

歌詞「苦しみの手 救いの手」by Yohei

 

ふさがれた すべての逃げ道を

つぶされた やってきたことの全てを

 

どうしていつも ここからなのか

積んでは崩れ 心は折れて

 

頭の中から声が出る

耳の底から血がたれる

 

うまくやってる奴らを尻目に

毛穴の中から血が飛び出す

 

ふさがれた 心の逃げ道を

つぶされた やってきたことの全てを

 

踏みにじられ あざけわらわれ 踏みつけられ 俺は窒息する

 

 

AI・マッチング理論ー日経整理ー令和元年9月21日(土)くもり

AI・マッチング理論ー日経整理ー令和元年9月21日(土)くもり

 

今日は少し体調が悪いので、ゆっくりしています。

久しぶりの日経整理。9月20日(金)を例にとると、「AI」・「マッチング理論」がどの分野でもキーワードだ。

 

9月20日(金)1面"Neo Economi 姿なき富を探る④"

「「マッチング」1万人救う」「お金で測れぬ幸福=価値」

「これまでの経済ではお金という物差しで豊かさや幸福を測り、その大きさをとらえてきた。データなど形のない資産からデジタル技術を使って価値を生み出す新たな経済では、効率的な市場が値段のつかない豊かさをもたらしている」

 

 GDPなどの物差しでは測れないものがあるなどということは、これまでにも言われてきたし(例えばブータンを幸せで1位であるみたいな指標があった)、知財など形のない資産はこれまでにもあったから、出だしは大したことがないのだが、徐々にその意味が明らかになってくる。つまり、これまでの経済学では価格の存在を前提としていたが、「腎臓交換」などお金を介さない、あるいはお金をはさむことが倫理的に許されないと考えられている経済が、「マッチング理論」にもとづいて、そして高等数学とプログラミングを駆使して成長してきていることを指摘した記事である。

婚活や学校選択も大事だが、「臓器移植」などは個人や家族の力ではどうしようもない、本当に途方に暮れる問題だから、これからも成長していくと思う。

 

20日(金)5面 経済欄

1面からの続き記事で、小島武仁氏(米スタンフォード大学教授)、アルビン・ロス氏(米スタンフォード大学教授)のインタビューを掲載している。

小島武仁氏

・大量に情報を集めて均衡を探るのは経済学が得意としているところ。

・ミスマッチ解消に向けてミクロ経済学の応用範囲が広がっている。

・ただし、情報収集やメッセージの送信が容易になったが故の行き違いも起きてきている。たとえが、デートサイトで男性がメッセージを送りすぎると、女性はそれをスパムだと思うだろう。

・19世紀以来価格ベースの伝統的な経済学のとは異なる世界だ。

 

アルビン・ロス氏

・経済学の新聞やであるマッチング理論は、米国の学校選択制度や恋人を探すデートアプリに応用されている。

・それに加えて、腎臓移植のドナーと患者をマッチングする「腎臓交換」というマーケットも誕生している。これまでに1万件が実現している。

・将来的には難民と受け入れ国のマッチングにも役に立つだろう。

・これらのことが生み出す長寿や健康といった価値は、GDPでは測れない。

 

31面「ニュースな科学」欄

「AIの開発競争はソフトウェアからハードウェアに広がっている」という記事で、深層学習に特化したAIチップの開発について書いている。

 

その下段の記事「かがくアゴラ」でも「物理学を基礎にしたAI作る」と題して上田正仁氏(東京大学教授)が物理学のような基礎科学とAIの融合について論じている。

 

この辺りは、科学や科学技術に関係することだから、当然と言えば当然。でも、それだけではなく、資産運用の世界でもAIは存在を示している。

 

7面金融経済欄

ヘッジファンドのカリスマ創業者たちが引退しているという記事。ヘッジファンドとは巨額の資産を運用するファンドのことである。そこでも「「勘」からAI」の運用に変化しているという記事。カリスマの運用する老舗ファンドは、個人資産のみを運用する「ファミリーオフィス」に転換しているという。

 

AI,マッチング、AIを使ったマッチング。どこもかしこもAI,マッチング。

私は完全に時代に取り残されたまま、時代の中で生きざるを得ない。

 

最後に面白記事。

9月18日(水)15面企業3欄

ブックオフHD マレーシアで出店拡大」

ブックオフを利用するときに思うのは「売れ残った商品をどうするのだろう?」という疑問であったが、この記事がある程度解答を与えてくれた。

2016年にマレーシア進出したブックオフHD。質の良い日本の中古品への注目が集まっているので、店舗網を広げていくという記事。

「当初は日本国内の店舗で買い取ったリユース商品が売れ残った際の最終的な販売先としてマレーシアの店舗を活用してきた」

なるほど外国に行っていたのか。だがこういうビジネスモデルは、そもそも外国との格差のようなものが成り立っているからこそ可能ではないか。だとしたら、そういうファッション格差や品質格差がなくなったら、無理になるのかな。

アメリカの体操服をトレーナーやスウェットとして着ているようなものか。

 

 

タイトルにもしたようにAI・マッチング時代で、職場でのセクハラ基準が厳しくなるにつれて、職場外での出会い、その中でもマッチング・アプリなどで出会い、結婚する割合がもっともっと増えていく予感。その中で、アプリの信頼性をどう担保していくか。結婚後の個人情報や写真の削除などをどうしていくか。出会いを本当にネットに任せていいのかなどが課題になっていくだろう。でも増えていく思う。

 

散歩ー太陽と鉄ー令和元年9月16日(月)晴れ

散歩ー太陽と鉄ー令和元年9月16日(月)晴れ

 

f:id:Jing-Ring:20190916194214j:plain

木洩れ日~夏が終わり、秋が訪れる

久しぶりに公園を散歩した。以前は、よく散歩した。

でもジムに通うようになってから、ほとんど散歩していない。

 

木洩れ日を見て

 

夏が終わるのはたしかに悲しい 全盛期が過ぎた感じがするからだ

秋は中年の季節 秋には秋なりの愉しみを見つけたい

 

 

 

タイトルは昔から知ってはいたが、このタイミングで友人に教えてもらった三島由紀夫の「鉄と太陽」。太陽を敵視し、夜の文学を紡いでいた若き日の三島が、太陽に再会し、鉄を持ち上げるようになるまでだ。

 

まだ最初の方しか読んでいないが、随所にビビットくるフレーズがある。

 

「近代生活に於いてはほとんど不要になった筋肉群は、まだわれわれ男の肉体の主要な構成要素であるが、その非実用性は明らかで、大多数のプラクティカルな人々にとって古典的教養が必要でないやうに、隆々たる筋肉は必要でない。筋肉は次第次第に、古代希臘語のやうなものになつてゐた。その死語を蘇らすには、鉄による教養が要り、その死の沈黙をいきいきとした饒舌に変へるには、鉄の助力が要るのだつた」(『近代浪漫派文庫42 三島由紀夫』新学社、二〇〇七年、239-240頁)。

 

筋肉を古典的教養や古代ギリシア語になぞらえている。これで自分がなぜ筋トレに魅了されるのかが分かった。自分は修士課程でギリシア語を1年学んだ。これは楽しい出来事だった。また、漢学的なものが好きだ。結局、私にとって筋トレは、男性にとっての古典的教養を身につけることに近いのである(見た目のカッコよさも含めて)。現在、多くの女性がフィットネスをしているし、私はそれをよいことだと思っているから「私にとって」と断ってくおく。あくまでも私にとってはということだ。

 

ここまで読んだだけでも、いま三島を読むことがおもしろい。小さい頃は、宮澤賢治の方が好きだったが、中年になって「三島はさすがだな」と思うことが多くなった。

このタイミングで三島の「太陽と鉄」という文を持ち出してくれた友人氏に感謝。

 

 

 

 

三島由紀夫 (近代浪漫派文庫)

三島由紀夫 (近代浪漫派文庫)

 

 

 

 

夜の詩 by Yohei

待ちすぎた 君臨を

この世にあるわけないのに そんなこと

待望の神の君臨を

待ちすぎた 愚者がいる

 

幡掛正浩氏『食国天下のまつりこと』(同朋社、昭和55年)

幡掛正浩氏『食国天下のまつりこと』(同朋社、昭和55年)

 

「食国天下」は、「をすくにあめのした」と読む。

幡掛正浩氏は、伊勢神宮の大正二年、福岡県遠賀郡島郷村大字蜑住の戸明神社社家に生まれた人物で、京都帝国大学文学部哲学科を卒業し、いくつかの職を経て、神宮少宮司になった人物である。

 

同朋社は京都市下京区にある出版社。私が読んだのは昭和55年第2版のもので、第1版は昭和54年に出されたとのこと。

 

book-zazen.hatenablog.com

『神国の論理』の姉妹編というべき文集なので、様々なことが書かれてあるのだが、前回の記事との関連で次の文について書く。

 

 

 幡掛正浩氏「『現代日本の哲学』」(幡掛正浩氏『食国天下のまつりこと』(同朋社、昭和55年)所収)

 

「去年六月、神道国際会議の折、恩師西谷啓治先生と二人で食事をし、久方ぶりに歓談した」(61頁)

ここは前回の記事と同じようだが、日付がちがっているような・・。

その席上で西谷は、関西哲学会のシンポジウム(5月神戸大学)の方が面白かったという。

その速記が西谷啓治編『現代日本の哲学』として、雄渾社から出版されているというので、その本を手に入れて一読した幡掛氏は、

 

「私も大変面白かった。いや、それ以上に私は、こうした学界の雰囲気に一つの羨望に似た思いを抱かせられた。神道の学界はいつになったら、果たしてこういう自由溌剌たる発想と討議の場をもつことが出来るであろうかと」(62-63頁)

 

という感想を洩らす。

 

発表者は、梅原猛氏、上山春平氏、船山信一氏である。

 

幡掛氏は「率直に言って本書の中には問題がある」といいつつも、西谷啓治の「はしがき」を引用して締めくくる。

 

それは要するに、発表者らは東洋思想の研究者ではないから、知識的には見劣りするのは当然である。だが東洋思想の研究者は、歴史的研究が主で、そこから現在の問題に対する意義を汲み取ることが不足している。そういうことにはかえって西洋思想の研究者の方に期待できるのであるということである。

 

「十の知識を三だけ生かし得るよりは、三の知識を十だけ生かすことができればその方がよいのである」(64頁、西谷⇒幡掛の孫引き)

 

その言葉を幡掛氏は「我々神道人としても心を虚しうして聴くべき箴言」と神社新報に昭和四十三年一月十三日号に書いているのである。

 

西谷啓治は、「十の知識を三だけ生かし得るよりは、三の知識を十だけ生かすことができればその方がよいのである」として、前者を東洋思想の研究者、後者を西洋思想の研究者としているのだと思う。

 

「研究者」というのを、大学に限るのであるならば別だが、安岡正篤氏の師友会などを考えれば、現実に活かしている(活学)のは東洋思想の方が多いのではないか。まあ、学会に限っているのだろうけど。

 

仮に学者に限るとしても、その場合「賢バカ」(酒井雄哉氏)は、どちらにも同じぐらい存在すると思うが。

 

なお、本書では数か所以上、西晋一郎への言及が見られる。やはり自分にとっては、この方向が大事だと思う。何度どこに言っても西晋一郎の重要性に出くわす。

(まとめきれていないが、関連する過去記事を付す。)

 

 

book-zazen.hatenablog.com

 

 

SxOxB(ボーカル)追悼ライブの頃ー令和元年9月13日(金)

SxOxB追悼(ボーカル)ライブの頃ー令和元年9月13日(金)

 

手帳についている年齢早見表を見ながら、自分の人生を一年一年振り返る。

愚かな人生の後始末。どこでこうなったのだろうかと自責の念を込めて振り返る。

 

1995年。当時、ミュージシャンになりたかった私。いや実際夢などなく、生きていく希望などなかった。音楽だけが日常から解放してくれた。ライブの情報などはメガロック802や音楽雑誌クロスビート、チケットぴあから仕入れていたと思う。

 

 SxOxBは、日本のハードコアバンドだ。

当時アメリカ村にあったタワーレコードで、購入した。

 あの頃のアメリカ村はおしゃれな町だった。

 

自分はNIRVANAALICE IN CHAINSが好きだったのだが、ギターをやっていた関係で、こういうものも聴いていた。内なる衝動を激しい音楽にぶつけて行きたかったのである。

f:id:Jing-Ring:20190913060855j:plain

SOBのアルバム"VICIOUS WORLD"

 

さて、場所は大阪南港にあったライブハウス・ベイサイドジェニー。

ポスターには11月24日(金)とあるから、もう寒かっただろう。入口で並んでいると、モヒカンの人がいたりして、驚いた。まだ私は小さかったから。

 

f:id:Jing-Ring:20190913210503j:plain

その当時のポスターを、いまも捨てられずに持っている。

目当てはBOREDOMSやDJのBRYAN BURTON-LEWISであった。

BOREDOMSは、フロントマンのヤマツカ・アイ氏が、体調不良のため参加できず、代わりに(?)ソウルフラワー・ユニオンのメンバーが出ていたと記憶する。ヤマツカ・アイ氏が出られなかったのは残念である。当時の私は彼のことをすごいセンスの持ち主だと思っていたからである。(それから数年後に元ピストルズジョン・ライドンジョニー・ロットンのこと)の来日ツアーもチケットまで買って、中止になったと記憶する。ライブ運がよかったのは、次回記事にしようと思うFOO FIGHTERSの初来日ぐらいだ)

 

OFF MASK00はライブ会場で初めて見て、アメリカ村でCDを購入した。独特の楽曲で、言葉では伝えられない類の音楽であるが、この間の断捨離の際に処分した。この先の人生に関係ないと思ったからである。大きく人生は変わっていくのである。

 

SUPER JUNKEY MONKEYは、当時他のバンドより一般にも知られていたかも知れない。

 

DJブースにいたブライアン氏をこの時初めて見た。まだティーンネージャーのキッズだった私には、かっこよく見えた。

 

SxOxBのボーカルの追悼ライブ。

 

ボーカルの代役は、BRUTAL TRUTHのKEVIN SHARP氏が務めていたのだが、もう記憶も薄い。

f:id:Jing-Ring:20190913060926j:plain

BRUTAL TRUTHのアルバム"EXTREME CONDITONS DEMAND EXTREME RESPONSES"


ライブは5時スタートだったが、長かったので、家路の途中で終電がなくなった。

お金もそんなになかったが、仕方ないので、そこからはタクシーを使った。

 

そのタクシーの運転手は「好きなことをやって生きていった方がいい」と言っていた。会話の中で私がまだ若いと知り、言ってくれたのだ。いまではもう自分があっちの立場になった。身近にタクシーの運転手になった人もいるし。

 

20歳を過ぎてギターも辞めて、音楽を聴くことも辞めた。前半生を捨てた気分だった。その代わり本を読む人生に変わっていったのだ。

 

いまから思うと背伸びをしていたに過ぎなかった。思想傾向や人生に対する考え方もちがっただろう。その後、大きくちがう方向に進んだことはそれでよかったかも知れない。

 

もはや思想やなんかは合わないだろう。というより思想など問われない日常を生きている。でもそれでいい。思想なんて疲れるだけだ。

 

背伸びしていた自分。でも頑張っていた自分。

 

とりとめのない文章だが、紛れもなくこれも自分の生きてきた足跡。

残りの人生を大事に生きていきたい。

 

 そんなことが言えるようになったし、そんなことしか言えなくなった。