中島らも氏『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』(集英社文庫、1997年) 令和二年八月二日(日)晴れ
中島らも氏『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』(集英社文庫、1997年) 令和二年八月二日(日)晴れ
休日を利用して、福田和也氏の著作をまとめようとしていたが、まとめきれなかったので、休憩に中島らも氏の『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』(集英社文庫、1997年)について書かせてもらう(「らも氏」って似合わないので、以下、「中島らも」と書かせてもらいます)。
本書は中島らもの前半生をエピソードとともに綴った伝記エッセイなのであるが、原著は1994年に出ていた。それを私は1996年ごろに図書館から借りて読んでいたと思う。中島の少年期から就職までを描いていた。当時の私にとって大学や就職もずっと先のことに感じていた。いや、ずっと先だと思いたかったのだ。いや、永遠に来なければいいと思っていたのだった。
「みんなが」就職するような年齢から、約20年。取り残されて生きて来た私(このブログの筆者)。本当に身心がおかしくなりそうな毎日。「何で俺だけが」と思う毎日。嫌悪感が体内に充満する毎日。それでも生計を立てるために、ポーカーフェイスで職場に通っている。「こんな時期に仕事があるだけましだろ!?」って自分に言い聞かせながら・・・。だが、もう1つの可能性というか、可能性の閉じ方があったんだ。
それは「第四章 モラトリアムの闇」の「浪々の身 3」にある。「モラトリアム」というのは「猶予期間」のことで、転じて「就職するまでのブラブラ期」、「一人前になるまでのためらい傷の時間」みたいな意味に使われる。つまり、まだ大人になりたくない期間という訳だ。
中島が浪人をしていた時のことである。
「鬱々として過ごしていた浪人の年の半ばに、やはり浪人をしていた友人の一人が自殺をした」(p.192)。
「あれから十八年が過ぎて、僕たちはちょうど彼がなくなった歳の倍の年月を生きたことになる」(p.193)。
「かつてのロック少年たちも今では、喫茶店のおしぼりで耳の穴をふいたりするような「おっさん」になった。(中略)薄汚れたこの世界に住み暮らして、年々薄汚れていく身としては、先に死んでしまった人間から嘲笑されているような気になることもある」(同頁)。
私の場合、これまでの自分に嘲笑されている感じがする。今までの努力は全部否定された。生計を立てていくためには、若い時に思ったこととはちがうことをしなければならないとが毎日だ。誰も助けてくれない。
仕事のストレスでへとへとになって腐臭を放っていく中年オヤジになっていく自分。ストレスで髪の毛が後退しないかヒヤヒヤしている毎日。
そんな毎日の中でも、「生きていてよかったと思う夜がある」と中島は言う。
「一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。だから「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う」(p.193)。
俺も探そうと思ったよ。そんな瞬間を。でもコロナのこんな時期にどんな愉しみがあるっていうんだい?
「あんまりあわてるから損をするんだ、わかったか、とそう思うのだ」(同頁)
いや、もう駄目だ。明日からまた人生を全否定された、血反吐を吐く日々。合掌。
中島らもでも会社で働いていた期間がある。どんな風にやり過ごしていたんだろうと思って読み始めたけれど、もう慌てても間に合わないような年齢になってしまった。年齢なんか関係ないのだけでも、企業社会では関係がある。企業で働かないと、生計が立てて行けない。
もう手遅れか・・・。合掌。