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書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。

キャリア・パスなき我が人生ー「スキル・アップは、企業内でのキャリア・パス」と不可分ー令和元年6月28日(金)

キャリア・パスなき我が人生ー「スキル・アップは、企業内でのキャリア・パス」と不可分ー令和元年6月28日(金)

 

「人材育成と技能形成は、企業内でのキャリアパスを念頭に置いた特殊技能を含む実地訓練が中核だとの認識はない」(日経2019年6月25日(火)27面・経済教室、猪木武徳氏「「労働流動化」の絶対視を避けよ」)

 

昨今、生産性の向上や働き方改革などの議論の中で、高度成長部門への労働流動化を高め、転職で生じる技能の不一致は、企業外の職業教育などで克服すればいいという主張に対して労働経済学者の猪木氏が、放ったのが冒頭の言葉である。

 

私は以前にも職場でしか通用しない知識で威張っている先輩社員が嫌いだということを書いた。そんなものは、サッカー部で世界的にも、歴史的にも通用するサッカーをしているのではなく、「部活動」をしているにすぎない、と。

 

だから、昨今のAIやフィンテックなどで、これまで強かった企業が淘汰されていくのを、ある意味おもしろがっていた。私はボーナスも退職金もないというヒガミもあって。

 

そして自分なりに、英語はそれなりにやってきたから、WebデザインやC言語などITスキルの習得を試みて来た。

 

ある朝、会社の席で日経を読んでいたら、猪木氏の冒頭の言葉に接し、「やっぱり、そうだな」と思い、耳が、いや心が痛くなった。そうだよな、技能は当然、会社の中でキャリア・パスというか、会社内での進路と結びついて、初めて給料をもたらすよな。経営者の側にでも回らない限りそうだよな。いま独立しても、仕事を回してくれる人もいないし、生計も立てていけない。だとしたら、具体的な職場の、具体的なスキルと、普遍的というか、どこでも通用するスキル(エクセルVBAとかRPAとか)が結びついて、初めて給与的に意味がるあるような。そりゃ、そうだ。英語でももちろんそうだ。

 

毎年、夏と冬、ボーナスの季節になると心が痛い。毎月の給料とは別に、まとまったお金が入ってくるなんて!どんだけ、情けない金銭事情を生きているんだ俺は。

 

自分で選んできた道とはいえ、この年齢になるとさすがにつらい。キャリア・パスなんてないに等しいこの俺。

 

今日(6月28日)の日経にも国民年金 免除・猶予が4割」(5面・経済欄)という記事が出ていて、「収入が生活保護の需給水準以下で、貯蓄も不十分なままクラス高齢者世帯が今後増える」ことや、「現在30歳代半ばから40歳代半ばの「就職氷河期世代」ででは非正規や無職が90万人を超え」、いまから20年後の2040年ごろには「生活保護に頼る高齢者がさらに増える恐れがある」という。

 

ああ。でも私は、「自分だけの問題じゃないから、政府や社会が何とかしてくれる」なんて思っていない。靖国神社知覧特攻平和会館を見よ。いまの私より、若い人々が、結婚も、子供も、趣味もすべて犠牲にして、自分の命、まわりから愛されて育てられて来た命を公的なものに捧げた、あるいは、捧げざるを得なかった。年代が違えば、生きて孫の顔も見ることができたかも知れない。でも、それはかなわなかった。そんな年代もあったのである。

 

私のような零細な人間など「風の前の塵に同じ」なのである。合掌。

 

昨日の日経(6月27日、朝刊39面・社会欄)の死亡記事によると、猪木氏の論絶に登場してきた労働経済学者・小池和男氏が86歳で亡くなられたそうだ。誰かの本で、氏の本のことを知ったが、詳しく読む前に、お亡くなりになった。合掌。

 

久しぶりに日経記事のまとめでした。いつか新聞も購入できないほど家計が苦しくなるだろ。