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書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。

美人がつまらぬ男を愛する理由及び破れた初恋ー三島由紀夫『新恋愛講座』よりー令和元年11月11日(月)

美人がつまらぬ男を愛する理由及び破れた初恋ーー三島由紀夫『新恋愛講座』よりー令和元年11月11日(月)

「皆に愛されていることになれた美しい女が、つまらない男をむちゃくちゃに愛してしまうような場合がよくあるのは、ただ愛されているだけで、世界があまりにも自分の意のままになり、見通しがきくということのむなしさに耐えられなくなって、もう一度世界がなぞで満たされてくることをその人は望むようになるからであります」(三島由紀夫『新恋愛講座』筑摩書房、1995年、43-44頁)

 

私は大きく言えば、「三島由紀夫のような」思想に共感していたのかも知れない。

でも三島由紀夫に夢中になって愛読していたことはない。「いかにも」という感じが三島を遠ざけていた理由なのかも知れない。

 

だが、最近友人に「太陽と鉄」の話を持ち出されて、三島に興味をもってから、政治的行動に集約されるような三島とはちがう、人生の考察者としての三島に出会ったような気がする。恋愛論もその1つだ。大人になってから、生活がメインになってからの読書にも十分耐えられるのが三島由紀夫だったのである。

 

 

憧れの女性が、男たる自分の目から見れば、くだらないと思える男を好きになることがある。小学校の頃から、こんな経験何度もあるだろう。俺にはハードル上げておいて、あいつにはその程度で心を許すのか。そのたびにこんな世界に生まれた嫌悪感が生じる。価値観がちがうと言ってしまえばそれまでだが、憧れていただけに、行き場のない嫌悪感を持つ。汚された感じがする。行き場のない嫌悪感は、やがて自己嫌悪へと向かった。

 

 

三島自身の感受性なのだろうか。私にも思い当たる節がある。

「初恋に至るまでの少年期の心理は、人生を大てい、極端なコントラストでとらえてしまうのです。つまり。陰とひなたとがはっきりしているように、美しいものと醜いものとをはっきりわけてしまう」(31頁)

「これが少年期の潔癖さで、一方に美しいものばかり求めて、醜いものをちょっと発見すると、たちまち矛盾に絶望し、そして自殺を企てる少年もいるのですが、・・・」(31-32頁)

 

結局、私は大人になれなかった人間だったのだろうか。きっとそうだ。自分なりにも言い分はあるが、おっさんになった今となっては、誰も聞く耳持たないし、それも理解できる。

 

もう死んだLil Peepにもそんなところがあると思う。だから惹かれるんだ。英語が分からなくても、PVだけで彼の感受性が分かる。20歳ぐらいで不安を抑えきれず亡くなった。私より若いのに。

 

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 初恋は人生の大事件であり、ほとんどの場合破れるのである。

 

「自分のいい意図、自分の正しい意図、自分の美しい意図が、必ず人生では成就するという夢みたいな考えをもって、バク進するのですが、必ずしも、人生はそうはいかないという教訓を、初恋で学ばなければならない」(38頁)

 初恋に破れる。

 「それに絶望して、だめになってしまう人は、人間としても伸びていけない人だといわなければならない」(38頁)

「それからまた、それですべてをあきらめてしまって、自堕落に一生を送ろうという人、これはまた、人間としてゼロだといわなければならない」(38頁)

 

では、どうすればいいのか。

「けっきょく、人間が成長する途上で初恋の幻滅に会っても、それに打ちひしがれないで、なお積極的な態度で人生に立ち向かっていくという力強さ、そういうものが、試金石としての初恋の値打ちだろうと思います」(38-39頁)

 

このあたりLil Peepとは異なり、三島には「漢学的な克己心」を感じるといまの所、述べておきたい。

だが、問題は儒教などの精神的な屋台骨を喪失した現代人たる我々に「人生に立ち向かっていく力強さ」なんてあるのだろうか。もっと小さい頃の習慣づけやしつけの下敷きがないと、長期的な人生の展望も形成されにくいのではないだろうか。

 

結論は出ないが、三島を狭い思想の陣営で論じるのではなく、この世界の中で、自分の人生を問い直した人生の考察者・三島由紀夫を鏡としたい。