DEAD KENNEDYSについてー令和元年6月29日(土)
DEAD KENNEDYSについてー令和元年6月29日(土)
14歳の頃から、ギターを始め、STEVIE WONDER,ROLLING STONES,SEX PISTOLSなどを聴き始めた。その頃はまだ、LUNA SEAやBUCK-TICKなども好きだったが、だんだん英語圏のパンクやメタルなどが好きになっていき、HI-STANDARDやMAD CAPUSLE MARKETS,SxOxBなど一部の日本のバンドを除いては、聴かなくなっていった。学校では、LArc,Bz,GLAY,バンド好きでも黒夢(清春はいまでもカッコいいと思うが)などの話が出るぐらいで、NIRVANAやALICE IN CHAINSの話しはできなかったし、したくもなかった。ましてや攻撃的政治的パンクバンドDEAD KENNEDYSの話などできる同級生などいなかったでのである。
When I was 14 years old, I started to playing the guitar. I started to listening to STEVIE WONDER,ROLLING STONES,SEX PISTOLS.. Kurt Cobain was dead about 6 Months before I started to listenig to NIRVANA. With these music, I make my inner world in myself.Also I went to English Conversation School when I was 15.
Classmates in Jr High just listening to local group. They never know DEAD KENNEDYS(political punk band). They even don't NIRVANA, ALICE IN CHAINS.
*ちなみに私がNIRVANAを聴き始めたのは、KURT COBAINが自殺した1994年の秋だったと思う。またその頃から、ブライアン・バートンルイス氏のメガロック802を聴き始めたと思う。こうしてだんだん「心の王国」「内面の砦」を築き始めたのである。
**英語を習い始めたのも、15歳ごろからだ。当時、町にあった英会話スクールに通った。
そして20歳ごろを境にギターをやめた。かつて好きだった音楽も聴かなくなっていった。かつて憧れたアメリカは、憧れの対象ではなくなっていったし、DEAD KENNEDYSやRAGE AGAINST THE MACHINEらのような政治的メッセージに共感することもなくなった。
But, when I was about 20, I stopped the playing the guitar and not listening to these music any more. "America" is no more my "idol".
Get older, I have no hope for the future. Confused. Embarassed.
でもさすがは世界の主導権を握る覇権国(Hegemonic State)であって、9.11テロやトランプ現象など、日本で日常生活を送っていても、「アメリカ」に接することがある。
現在、George H. Nashの"The Consevative Intellectual Movement In America Since 1945"を読んでいる。DEAD KENNEDYSのヴォーカル、ジェロ・ビアフラ(Jello Biafra)が嫌ったアメリカ大統領ロナルド・レーガンや(少しだが)モラル・マジョリティなども取り上げられている。だからこの年齢になって、DEAD KENNEDYSのことも思いだして記事にしているのである。
Alomost 20 years has passed. Now I am reading George H. Nash's book "The Conservative Intellectual Movement In America Since 1945". Far form DEAD KENNEDYS. I still live in "FAR EAST".
私は単に反権力の人間でもなければ、保守派の人間でもない。
I'm not simple anti-power nor pure conservative.
DEAD KENNEDYSのような音楽を10代の時に通過して、今があるのである。
私の生きた証がそこにあるのである。パンク・キッズのまま大人になったのでもなければ、保守派として人格形成をしてきたのでもないのである。私にしか書けないストーリーがある。コメンテーターとして放言している人物が出版して、大型書店でさも鋭い知性の持ち主のように取り上げられている人には書けない物語であり、私の生きてきた証明なのである。パンクならパンク、ラッパーにはラッパーの生きてきた証があるように、私には私の生きてきた証があるのである。
次回へ続く
To be Continued・・・・・