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書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。

畳上の水練と井の中の蛙ー職場知識を超えてー令和元年6月7日(金)雨

畳上の水練と井の中の蛙ー職場知識を超えてー令和元年6月7日(金)雨

 

私が大学院修了後(というかそれ以上先に進めなかったのだが)、働き始めていつも思うことは、職場には、その職場のことにしか詳しくない人がほとんどだということだ。

 

非正規の私はこの年齢で、新人として職場に行ったことしかない。一度など新卒の人間と間違われたほどだ(笑)。悔しいことだが、生きて行くために仕方がない。

 

職場の先輩は、人生の可能性がなかったから、その職場に長いこといて、ベテランになっている。だからもちろんその職場のことについては詳しい。

 

だが、びっくりするほど普遍的な知識や職場以外で通用する知識を持っている人は少ない。こんな人たちに指示されることは屈辱以外の何ものでもなかったが、生計を立てて行かざるを得ない身。職場の選択の幅も狭く、現在に至っている。

 

日本社会で部活動をやっていた者は就職に強いというイメージがあるのは、理由があると思った。こんなことはこれまでもずっと言われてきたことだが、実際にいくつかの職場を経て、実感を伴ってそう思う。

 

部活の例えで言うなら、私の出会った職場の人は、サッカーならサッカー、バスケならバスケといったスポーツを世界的な観点と日本人としてのプライドなどから捉えているのではなく、ひたすら部活動として捉えている。そんな印象を持つ。

 

スポーツをしにきているのではなく、部活動に習熟することしかしていないのである。もちろん仕事にひたむきなイメージもここから生まれて来るのかも知れないが、よりによってそんなことが嫌いな私にこんな人生を歩ませるとは!

 

かといって、逆にやたらと世界的知性ばかり振りかざす人間にもなりたくない。

 

曲がり間違って、私がビジネスの講師をするとしたら、一番の題目は、職場の知識と普遍的な知識との融合、往復運動をテーマにすると思う。

 

私はやたらと普遍的な知識を振りかざし、社会を批判することは好きではない。だが、いくつかの職場を経て、社会にいる人間はほんとうに職場だけの知識しかなく、普遍的な知に心を開こうとしない人々だと思う。

 

私が研修をするなら、その往復運動をするようなものにしたい。まあ、誰からも依頼はないが。おやすみ。