コンメンタール② 外山恒一氏『良いテロリストのための教科書』(青林堂、平成29年)、明治思想史における右翼と左翼の源流について。
新年明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
新年の挨拶のあとにする話しだと思えないのですが、今回も前回に引き続き、外山恒一氏の本の中で見た文章について、知っていることを述べたいと思います。
第二回は、
「日本の右翼の源流である頭山満も左翼の源流である中江兆民も自由民権運動が活動歴の出発点で、いずれも西郷隆盛を尊敬していました。自由民権運動の過程で、民権つまり民主主義を定着させるためにはまず国力を充実させる必要があると考え始めた人たちの代表格が頭山満です。逆に中江兆民の弟子筋から幸徳秋水が出て、幸徳は明治の社会主義者の代表格であり、アナキストです」(外山・上掲書、40頁。太字引用者)。
という部分について、私の知っていることを述べます。
外山氏は、現在では右派・保守派のものとされている「ナショナリズム」が、フランス革命当初、左翼のものであったという事を論じた後で、上記発言をしています(もっとも、左翼はその後「インターナショナル」を掲げて行くということですが)。
まず上記太字部分に関連するテーマは、私にとって懐かしいテーマです。大学の「アジア主義」に関する演習を思い出すテーマです。今はしょうもない仕事をしていますが、この頃は楽しかったです。そんなことはこの記事を読む方には関係ないことでしょうが・・・。
前回の発言については、呉氏が言及されていた訳ですが、今回外山氏は特に誰の名前も持ち出していません。私の勘違いである可能性はもちろんあります。だから、本文を読んだ上での推測で言うのですが、上記の点を詳しく知りたければ葦津珍彦氏の史論「明治思想史における左翼と右翼の源流」を読めばいいのではないかと思います。再度言いますが、外山氏は葦津氏の名前は持ち出していませんのでご注意ください。
葦津氏については、以前不完全ながら少しだけ書いておりますので、参考にしてください。
葦津珍彦氏の史論「明治思想史における左翼と右翼の源流」
私の持っているのは葦津珍彦選集編纂委員会・編『葦津珍彦選集(第二巻)』(神社新報社、平成八年)に所収の論文である。大学生協で取り寄せて購入した時、生協の店員のおば様から、「すごい高い本ですねー」と言われたが、それだけの価値がある文集(1,034頁あり)である。
さて、葦津選集には二つ同じタイトルの論文が載っている。一つは、「第一部史論」の中にある論文で、もう一つは『戦闘者の精神』の中の論文である。何故かなと思っていたら、編者の註に第六、七、八節は、『戦闘者の精神』の方から持ってきたものであると書いてあった(908頁)。それぞれの章立てを記載しておく。
「第一部史論」所収の「明治思想史における左翼と右翼の源流」
七、谷千城の非戦論と幸徳秋水
『戦闘者の精神』所収の「明治思想史における左翼と右翼の源流ー中江兆民、頭山満、幸徳秋水、内田良平」
二、中江兆民の思想ー三酔人経綸問答講義
四、中江兆民と条約改正
五、頭山満と条約改正
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十、右翼対左翼の特徴
(論文の要約)
本論文を要約すれば、中江兆民を代表とした我が国初期の自由民権論者は、民権のみならず国権の重要性も認識していた。その意味において、中江兆民と頭山満は互いに通じ合っていた。しかし、その弟子、幸徳秋水(兆民の門下)と内田良平(頭山の門下)になってくると、そのような関係は見られない。この点に我が国における左翼と右翼の発生を見ることができる。
筆者たる葦津は、内田の路線を日本人の歩むべき正道と心得るが、日本への無条件の信頼が弱点であることも認識している。その点、幸徳の主張を劇薬として服用することが求められるが、それ自体は日本人としての正道たり得ないと主張する。
そして、我が国における右翼と左翼の発生を考究する者は、 日露戦争が迫っている明治三十四年(1901年) に出版された幸徳秋水の「帝国主義」と内田良平の「露西亜論」を比較せよと説く。
中江兆民を「急進的民権論者」という面だけで評価してはいけない。兆民は洋学者である以上に漢学者、仏典研究者だった。兆民は、「東洋的気風」を評価し、「洋学的人物」を評価しなかった。そんな兆民であったが、年下の頭山満を高く評価していた。
二、中江兆民の思想ー三酔人経綸問答講義
兆民を評して「東洋のルソー」などという俗評があるが、一面的である。兆民はルソーに対しても批判を持っていたし、彼が目指したのはあくまでも「民権的新知識を有する志士仁人」であった。
『三酔人経綸問答』の洋学紳士の意見が、兆民その人の意見だとする見解には同意しがたい。兆民は洋学紳士の理論に存在意義を認めつつも、東洋豪傑の人物を認めた。
兆民が帝国憲法に失望したからといって、国体を否定などと思ってはいけない。政府と天皇の間には明確な区別を認めて、「君民共治」を理想としていた。
明治民権史のみならず、東洋の民族運動にも影響を与えた玄洋社。初期の民権運動は、民権と国権を対立的に捉える見方では理解できない。
四、中江兆民と条約改正
明治二十年ごろの兆民は、条約改正問題に力を入れた。その立場は、欧化主義反対のものである。
五、頭山満と条約改正
明治二十二年十月、条約改正問題で大隈重信に爆弾を投げつけたのち自害した来島恒喜は、玄洋社の社員であった。その爆弾は頭山が大井憲太郎からもらい受けたものだった。
自由民権運動を支えた思想は当初から、尊王攘夷、征韓論、民撰議院の建白等、民権のみならず、国権意識とも結びついていた。兆民もその一人だ。
七、谷干城の非戦論と幸徳秋水
幸徳秋水は、師匠の兆民とは異なり、対露非戦論を唱えた。郷党の重鎮谷干城や伊藤博文も対露開戦には慎重であり、幸徳の「帝国主義」は出版できた。発禁となったのはむしろ黒龍会の内田良平の「露西亜亡国論」の方である。
明治三十四年(1901年) に、幸徳秋水の「帝国主義」と内田良平の「露西亜論」が出た。最初、「露西亜亡国論」として出版したのだが、主戦論を警戒していた検閲当局が発売禁止、没収したので、「露西亜論」と改めて出版した。
葦津によれば日露戦争に関して、日本の勝利を希望した者には、自由主義者や社会主義者も含まれていた。幸徳秋水や堺利彦らの『平民新聞』らは、メンシェヴィキの新『イスクラ』と同じ平和論である。これに対してボルシェヴィキのレーニンは、ロシアの専制政治に打撃になる限りにおいて、日本の勝利を支持したという。
もちろんその後レーニンは、日本が帝国主義化し、朝鮮併合をしていくころになると、日本を敵視した。孫文の立場もこの場合のレーニンに似ているという。「明治三十年代の日本が、中江兆民のいふところの「真の武を雄張し」内田のいふところの「仁義の師」をおこす資格のあるのを認めた。しかして、幸徳流の「一般平和論」を空語とした」(912頁)。
十、右翼対左翼の特徴
内田にとって日本は「アジアの解放者」であり、「ロシア革命の援助者」であり、特殊な地位に立つ国であったが、幸徳にとて日本はただの国家であり、なんらの特別な地位も有しない。内田の弱点は、日本への無限の信頼にあったが、幸徳の弱点は、現に目の前にある日本の生彩ある特殊性を見ることができない点だ。
「日本の右翼と左翼の源流をたづねる者は、明治三十四年版の内田良平「露西亜論」と幸徳秋水「帝国主義」を読むがいい。(中略)。その論理において、その強み弱みにおいて、そこには後代日本の右翼対左翼の対立的特質の原型とも称すべきものを発見するであろう」(916頁)
以上が葦津論文の要約である。
そもそもこの記事は、外山氏の
「日本の右翼の源流である頭山満も左翼の源流である中江兆民も自由民権運動が活動歴史の出発点で、いずれも西郷隆盛を尊敬していました。自由民権運動の過程で、民権つまり民主主義を定着させるためにはまず国力を充実させる必要があると考え始めた人たちの代表格が頭山満です。逆に中江兆民の弟子筋から幸徳秋水が出て、幸徳は明治の社会主義者の代表格であり、アナキストです」(外山・上掲書、40頁。太字引用者)。
という文章についてコメントをすることが目的でした。冒頭で述べたように、外山氏はもともと左翼が「ナショナリスト」であり、資本主義が国境を越えて広がっていくにつれて社会主義も広がっていき、そのあたりから左翼は「インターナショナル」へと移行していくと論じていた(外山・上掲書、39頁)。そして保守派と右翼が手を結んだことで、「右が愛国的で、左は国際的」というイメージが成立すると指摘している(40頁)。
外山氏は「ナショナリズム」や「愛国」の成立も一面的ではないという文脈で、兆民と頭山らを持ちだしているから、葦津氏の議論と文脈が異なるし、外山氏が葦津論文を読んだかどうかまでは分かりませんし、私がそう主張しているのでもありません。でも、葦津氏の論文を経由することで、外山氏の議論もより深く理解することだができると思いますので、書き残しておきます。
葦津氏の論文は、上述の通り葦津珍彦選集編纂委員会・編『葦津珍彦選集(第二巻)』(神社新報社、平成八年)に収録されているものであり、私の持っている版もこれである。だが、1万2千円ぐらいするものだし、在庫もあるのか分からないから簡単には購入できないだろう。
選集によれば、この論文が収録されていたのは『武士道ー戦闘者の精神』(徳間書店、昭和四十四年)ということだからこのタイトルで探すのもよいかも知れない。ただ現物を見たわけではないので、購入の際は本当に収録されているか何らかの手段で確認してからにしてください。
幸徳秋水の「帝国主義」は、岩波文庫に収録されているので簡単に手に入る。一方、内田良平の「露西亜論」は、入手が難しい。このような出版事情も、思想がフェアに普及するかどうかという観点では問題だろう。国立国会デジタルコレクションの「露西亜論」にリンクを貼っておく。これを機に、同コレクションを探求してみてはどうだろうか。利用は無料である。