「覇権」の「覇」とは何かー横山光輝『項羽と劉邦』より
中西輝政氏の『アメリカ帝国衰亡論・序説』の紹介の際に、「覇権国」「覇権争い」などとよく用いられているのだが、「覇権」という言葉の意味は何だろうか。
現在の「覇権」の意味は、『広辞苑 第五版』によると、
①武力や権謀をもって競争者を抑えて得た権力。覇者としての権力。頭領の権力。
②転じて、競技などで優勝者としての資格。
である。
辞書で調べるとこんな意味であるが、「覇」という漢字を見るといつも思い出すことがある。
『項羽と劉邦』という物語は、項羽と劉邦という二人のライバルが、中国の古代王朝・秦(あの秦の始皇帝が創始した王朝のこと)を打倒するまでを描いたものである。
秦の二世皇帝のいる咸陽(かんよう)を攻め落とそうと、競い合っていた二人であったが、劉邦(のちに漢を創始する。我々の知っているあの「漢」のことである。)が先に入る。
しかしそれを気に食わない項羽は、難癖をつけて自分が、この土地の王になり、尊号をつけようとするとする。
どのような尊号がいいのか項羽が決める際に、相手方たる劉邦の名参謀・張良を呼び出す。変な尊号をつけようものなら、斬るつもりだった。
張良は賢いから、それを見抜いて、項羽を尊重するふりをして決定を委ねる。
その時に候補となる語を説明するために言ったのが、次のセリフである。
「帝は殺伐を行わず 武力を用いずして天下を保つもの これを帝といいます」
「王」という号については
「質素にしてよく勤め 仁厚く義を尊び 一身を己のためにせず もっぱら人民のために捧げてございます」
項羽は何故か自分にぴったりだと思ったが、念のため他の選択肢を尋ねた。すると、張良が、「覇」という号について語る。
「天下のために惨を除き 暴をはらい 義を尊び 威武強大にして人みな恐れるものにございます」
これを聴くと項羽は自分にぴったりだと思い、伝統のある王と覇を合わせて、「覇王」と名乗るのである。
実際、『角川 新字源』の「霸」(常用漢字「覇」は、俗字らしい)の項には、
霸王:①霸者と王者、また、霸道と王道(以下、省略)
とあり、
霸者:①諸侯の旗がしら。②武力・権力で天下を統一した者(以下、省略)
とある。そして、
霸権:旗がしらとしての権力。霸者の地位。
と書いてある。(『角川新字源』角川学芸出版、1994年、485頁)
「米中共同覇権」の話をしていて、はからずも、中国の歴史の話になった。たかがマンガと侮るなかれ。 『項羽と劉邦』は本当におもしろい。参謀の張良や軍師・韓信の話など、いつ読み返してみても、掃除の時間を奪われるぐらいである。読んでいない方は是非読んで欲しい。
私が持っていたのは『項羽と劉邦 7』(潮出版社、1992年)のものであるが、出版社HPで確認する限り、今は新装版となっただけではなく、巻号や各巻に収録されている章立ても異なっている可能性があるので、もしこのエピソードだけが目当てで購入する際は、出版社HPで、あらすじと目次を確認してからにして下さい。
出版社HPへのリンク
この巻だと思われる巻号を挙げておく。