自分の人生はムダなのだろうか。
いまやっていることはムダなのだろうか。
泣かず飛ばずの5年。
もともと紆余曲折のあった人生。その自分と訣別したと思っていたのに、またムダな人生を生きている。
比叡山で千日回峰行を二度にわたって、満行した酒井雄哉さんは、『ムダなことなどひとつもない』(PHP研究所、2011年)などで、無職となり町をブラついていたことが、20年後に回峰行のリハーサルになっていたとおもしろいことを言っている。「不幸は幸せになる前兆」とも言うけれど、すべての人にあてはまるわけではないだろう。
以前、本ブログでも取り上げた中西輝政氏も『本質を見抜く「考え方」』(サンマーク出版、2011年)の「考え方18 「よき異端」をめざす」で、自身の30代を振り返って、「今日、若い研究者たちを見ていると、私が三十代のときに紆余曲折しながら歩んだ道をストレートに進めて、一見ハッピーだなとおもいます」(81頁)と言う。
「考え方21「迷い」は投資と捉える」の項目でも「自分が好きな道では食べていかれず、「二足のわらじ」で生活し、好きな道も追い続け、三十代後半まで、ずっと迷いの時期を過ごしてきました」(96頁)とも言う。
私などまだ終わりが見えない。迷いの中で悶えている。苦しみの中で、苦しみを上塗りしている。終わりが見えない。
でも、一見「ハッピー」に見える道にも「落とし穴」はあるし(85頁)、迷いの中を生きてきたからこそ分かったことがあると言います(97頁)。
「迷いは、本当の学びであり、自分を豊かにするものです。迷ったときこそ大事なとき。迷ったときこそ収穫のとき。迷えば迷うほど、思考は深まります」(98頁)。
「「迷いは将来へのすばらしい投資」だととらえて、迷うことから逃げないようにしてください」(同頁)。
そう思いたいが、そう思えない人生を生きている。