Book Zazen

書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

『老人Z』の思い出ー令和三年七月四日(日)

老人Z』の思い出ー令和三年七月四日(日)

 

もうすぐ夏本番である。

 

私の子供の頃、夏休みと言えば、当時やっていたスポーツと近所で遊ぶ以外には、ゲームの時間とアニメの時間が増えた。

 

中学生の頃だった。やりきれない日常から逃避したくて、レンタルビデオ屋さんから、アニメ映画のようなものを借りてきたりしていた。そんな中で漫画家・アニメクリエータ

大友克洋氏の作品も見たと思う。

 

小学校の頃から、マンガを描いてみたいと思っていた。でも、高校入学ぐらいを境に、そんな気持ちもなくなっていった。私の場合、1コマを描くのに、ものすごく時間がかかったからである。

 

それでも作品世界に没入することは好きだった。

 

夏休みの深夜に、大友克洋の『AIKIRA』ともう一つ、機械のベッドで老人を介護する話がテーマの『老人Z』というのがやっていた。どちらも大友作品と言っていいのだと思うが、その時の私にとって『老人Z』はあまり見たくない作品であった。

 

自分の現実から逃避したかったから、自分が大人になる姿も想像できなかったし、ましてや自分が老人になった時のことなんて考えたくなかったからだ。

 

最近、新型コロナウイルスの大流行と、ロボットの発達で、人間をアシストするロボットに注目が集まっているという話を読んだ。散歩しながら、『老人Z』のことを思い出した。

 

筋書きもほとんど覚えていないし、今から検索する気もない。でも、コロナ下の夏休み、自分が子供だったらどう過ごすのだろう。

 

もはや現実逃避できない。現実逃避すれば、生計を立てて行けなくなる立場だからだ。

 

でも、歩きながら、ふとそんなことを思い出した。

  

読書中ー今野元氏『吉野作造と上杉愼吉ー日独戦争から大正デモクラシーへ』(名古屋大学出版会、2018年)★★★★★

読書中ー今野元氏『吉野作造と上杉愼吉ー日独戦争から大正デモクラシーへ』(名古屋大学出版会、2018年)

 

「上杉愼吉や穂積八束ら没落した「神権学派」の奇行を冷笑するといった流儀では、日本近代史研究は深まらない」(6頁)

 

著者の今野氏は、マックス・ウェーバーを中心に、ドイツ系の政治史の研究者である。著者の人生との関連度(曾祖父、祖父らが吉野と同郷?の宮城出身、東大法学部出身)、参考文献の多さ、記述の密度の濃さ、東大法学部の政治系の同調圧力に左右されない態度の保持など、どれをとっても良書であると思う。

 

まだ、序章と参考文献と後記を読んだだけだが、そう思った。

 

天皇機関説関連の歴史で上杉愼吉が対比されるのは美濃部達吉である。だが著者の今野氏が「吉野作造と上杉愼吉」を並べた理由はこうである。

 

「従来上杉は、常に穂積八束と共に、美濃部達吉、一木徳郎、有賀長雄の劣位の対抗者として描かれてきた」(3頁)。

 

「劣位の対抗者」って、法学部っぽいな(笑)。

 

著者は穂積重遠の言葉を引用し、上杉愼吉の同年輩の同僚として対立していたのは吉野作造先生であり、かつ上杉と吉野は大の親友であることに読者の注意を向けさせる(4頁)。

 

「吉野、上杉は同年生まれで、ともに東京帝国大学法科大学の特待生になった。助教授一年目の上杉はまだ学生だった吉野を応援し、やがてあとから助教授になった吉野も上杉の著作を推奨した。」(4頁)

 

歴史教科書や入学試験、岩波文庫のラインナップからしても、どれだけ扱いに差がついているのだろう。そしてそれを自分たちの力で克服できない我々。

 

先行研究の問題点として、今野氏は以下の三点を指摘する。

(1)「学問分野の相互敬遠」

上杉を「純粋法学的」、吉野を「純粋政治学的」に領域を分けて捉えられてしまっている。(ここでの「純粋」というのは、「単に」とか「他の学問領域と関係なしに」というぐらいの意味だと思う)。要するに、上杉は法学領域で扱われ(ることも滅多にないが・・・)、吉野は政治学の領域で扱われるということだ。

(2)英米偏重

近代日本の研究において、ドイツ関係の資料を見ないことは、研究者の怠慢である。本書の参考文献には上杉のドイツ語論文も含まれている。

(3)戦後日本の源流探し

著者は「日本近代史研究者の多くが、なお善悪二元論を払拭できていない」とし、その例として「自由民権運動藩閥政府、福澤諭吉中江兆民伊藤博文山縣有朋英米仏 対 独、衆議院貴族院、政党内閣 対 軍部独裁、開明派教授 対 民間右翼、キリスト教神道、民衆 対 天皇、民衆 対 国家権」(5-6頁)を挙げている。

 

上杉の子孫らが、「白人種の世界支配に対抗して、黒人、トルコ人朝鮮人を含めた有色人種の糾合を訴え、中華民国とは(日本の優位を前提とした)連携を模索していた」(6頁)愼吉の子供らしく、長男・正一郎氏(共産党員)を筆頭にマルクス主義者や人種マイノリティーの研究者(上杉忍氏)になっていることを、この著作の中で伝えてくれるのも魅力的である(ネット情報ではなくて)。もちろんそこには親と子、一族の思想の隔たり、特に「国体」に関する問題があるのだが。これはあらためて論じたい私なりのテーマでもある。

 

*私なりに付け加えるなら、上杉愼吉の後継者の一人で、アジアの学生を支援し続けた穂積伍一氏の存在も重要だと思う。穂積伍一氏は愛知県の人物だから、愛知県立大学に勤務している著者は、丁寧に調べているのかも知れない。ちなみに穂積伍一氏は、穂積陳重らの兄弟ではない。

 

こういった書物が、今の「保守論壇」で合評の対象になっていないことは、情けない。

私も本来こういう本が書きたかった。少ししか読んでいないが、良書だと思う。

 

それ以前に上杉の著作を一冊も読んだことがない。吉野も断片しか読んだことがなかった我。これも情けないから克服しよう。

 

まだ克服できると思いたい。やればできると思いたい。

 

一読をお薦めしたい書物である。

 

 

盛り上がっているなと思ったらー令和三年六月十四日(月)晴れ

盛り上がっているなと思ったらー令和三年六月十四日(月)晴れ

 

思うところがあって、イギリスの時事週刊誌"The Economist"を久しぶりに購入した。時事英語の勉強だ。1,300円ぐらいのものだが、そう生活に余裕があるわけではない。

ネットで買うと大体1~2週間遅れの号が届くのだが、見てみるとつい最近のものだ。

ラッキーと思って購入し、さっそく読み進めてみた。

 

フロイド氏の事件が大きく扱われており、いまだに尾を引いているアメリカ。

裁判に進展でもあったのかなと思いフォローしようと読み始めると、何てことはない。去年の号だった。

 

まあ勉強だから去年のものでも、単語の勉強にはなるが、時事週刊誌なので、古いものはあまり面白くない。

 

しょうもない話だったけど、書いておいた。

 

何だこれは。

今欲しい本 令和三年五月三十一日(月)

 今欲しい本 令和三年五月三十一日(月)

物欲を減らさないといけない。書籍代がない。

 

そんな自分に日経5月30日の新潮社選書の広告はきつかった。

 

佐伯啓思『死にかた論』

「七十を過ぎた思想家が、自らのこととして死と向き合った本」だという。呉智英氏といい、佐伯啓思氏といい、私の父親世代の方々。学生運動全共闘世代の人々は、もう死に近づく年齢。かつては観念的な「死」を考えたのだろうが、今や身近な人や自分の平凡な死に向き合っているのだろうか。

興味はあったが、私はいまこそ「生活者」として生きていかないといけない立場なので、後回し。

 

猪木武徳『社会思想としてのクラッシック音楽』

いまちょうど在宅勤務でクラッシックを聴き直すこともある。本格的に聴いたことがあるわけではないが、許光俊氏の本なども読んでいたことがあるから、このテーマにも興味があるのだが、ひとまず後回し。

 

片山杜秀尊皇攘夷ー水戸学の四百年

この人こそクラッシックに詳しいかったのではなかったろうか。確か、許光俊氏とともに宮崎哲弥氏の慶応大学時代の友達だったはず(間違ってたらごめんなさい)。

先崎彰容『国家の尊厳』

こちらは新潮新書の方で出ているようだ。でも今はいい。

 

土曜日の書評欄には、鄭 鍾賢(チョン・ジョンヒョン)『帝国大学朝鮮人』(慶応義塾大学出版会)の小倉紀藏氏による書評が載っていて、非常に興味深かった。これは買いたかったが、それより下記を優先してしまった。

 

 

Michio Kaku "The God Equation"

ミチオ・カク氏の一般向けの科学書は、たくさんあり、カバーも魅力的なのだが、後回しにして、購入することはなかった。

 

自分が小さい時に図書館に行ったときに、存在しなかった類の本を書いたというカク氏。「万物の理論」の本だろう。

 

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詩「宇宙」 令和三年五月二十九日(土)晴れ

詩「宇宙」 令和三年五月二十九日(土)晴れ

 

宇宙に置いてきた忘れ物

 

俺はいつかそこに返る

 

宇宙に憧れた 子供の時から

 

空と雲 見ていたら 吸い込まれる

 

いつしか日々に埋もれている

 

空を見たら思い出す

 

俺はいつかあそこに返る

 

その日が来るまでに

 

俺はこの大地を踏みしめて生きていく