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書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。

救済を求めてー令和元年10月12日(土)台風

救済を求めてー令和元年10月12日(土)台風

「肉体人間は、この未完成の地球世界に住んでいるのですから、どうしても汚れがちです。大勢の想いの流れが、自己本位であり、自国家本位なのですし、そうしなければ生きにくいことの多い世界です。こんな世界にいて、ちょっとしたミスに気がとがめて、自分を責めてばかりいたら、生命が伸びのびすることはありません。不自由きわまりのない生き方になってしまいます」(『聖書講義』白光真宏会出版本部、昭和四十四年、288頁)

 

白光真宏会を率いていた宗教家五井昌久氏の聖書講義。一歩ずつ、聖書に惹かれていく我。とはいえ、私はこれからも特定の宗派の信者にはならないだろう。

 

「常に自分の想念行為を顧みて、誤ったところ、悪いと思われるところは、すぐに改めるようにしてゆくことは必要ですが、いつも自分を罪人だの悪人だのと思って、生命を縮めているのは、あまり感心した生き方ではありません」(同頁)と続く。

 

途中を省くが、

「ここのところを間違えないようにしないと、偽善者になったり、暗い善人になったりしてしまうのであります」(290頁)。

 

善人かどうかわからないが、ひたすら「暗い」人間になりかけた。

 

台風で家にいたから小学校の卒業アルバムを見て、何でこうなったのか考えていたら自己嫌悪に陥り、ひたすら過去の自分を呪い、錯乱した頭を撃ち抜きたいという気持ちになった俺。自分は大事な人に冷淡に、しょうもない人を厚遇してきたのではないかという自己不信感も抜きがたくある。

 

でも、冒頭の言葉を再読して、少し楽になった。台風の通過とともに、救いの方向は見えたのだろうか。いや、まだ分からない。

 

だがこの苦難の時に、世俗的な満足は得られなかったが、「霊的進歩」(内村鑑三ヨブ記講話』岩波文庫、192頁)が得られていると信じたい。

 

内村は旧約聖書ヨブ記を「キリスト降世以前のキリスト探求史」(35頁)であるとしている。私のこれまでの悲痛なる人生は、最後にキリストに出会うためのものなのだろうか。

聖書講義

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