Book Zazen

書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

ジョージ・H・ナッシュ『1945年以降のアメリカにおける保守思想運動』(ISI BOOKS,1976. reprint 2017)②ー令和元年6月27日(木)

GEORGE H.NASH "THE CONSERVATIVE INTELLECTUAL MOVEMENT IN AMERICA SINCE 1945"(ISI BOOKS,1976. reprint 2017)②ー令和元年6月27日(木)

 

 

ほぼ電車の中だけで、100頁あたりまで読んでいる。

 

2.大衆への反逆(The Revolt Against the Masses)p.33-

この章では主としてリチャード・ウィーバー(Richard M.Weaver)が取り上げられる。ウィーバーは西洋近代の潜む問題から保守思想を抱いた人物であり、、相対主義(Relativism)はもちろんのこと実証主義(Positivism)の問題性も指摘される。

*Positivismを「実証主義」と訳すことについて、副島隆彦氏が異論を唱えていた。

でも、もう出勤時間なので用意します。

「「法」をめぐる思想闘争と政治対立の構図」において、副島氏はアメリカの法思想やその勢力のことを自然法派、自然権派などに分類し、「ポジティヴ・ロー」(possitive law)派を紹介する。

 

「ポジティヴ・ロー possitive lawというのは、法(法律)は人間が決めるのであって、神や自然のような、目に見えない「幻想」が決めるのではない、「法」とはこの地上の人間が定めるものであって「天」や「自然」や「神」が決めるのではないという、ナチュラル・ローに対する痛烈な批判から始まった考えである」(『現代アメリカ政治思想の大研究』筑摩書房、1995年、135頁)。

 

 このように解説し、"positive law"のことを日本では「実定法」と訳しているが、「人定法」と訳すべきであると主張する。

また、哲学の領域においても「論理実証主義」(logical positivism)と言われるときの"positive"は「人間が経験的に検証できる命題以外は認めない」(136頁)、「神が決めるのではなく、人間が決めるという考えのこと」(136頁)なのだから、「論理実証主義」ではなく、「論理人定主義」あるいは「論理人為主義」とすべきだと主張する。

 

副島氏によると、「実証的」などと翻訳される"positve"とは、「事実に基づいて証明する」というようなものではく、あくまでも「神ではなく人間が決める」「人為的」という意味であって、エヴィデンス主義みたいなものではない(137頁)。

 

副島氏は、英語論や政治予想など毀誉褒貶の激しい人であるし、Amazonのレビューなどでもこの本についての指摘もある。とはいえ、ここで言われていることは、私にとってはしっくりくるのである。というのも、アメリカの保守思想史的には神なき近代の問題において、登場している事だからである。