Book Zazen

書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。

窒息ー苛立つ人に苛立つー永井均氏『<魂>に対する態度』(勁草書房、1991年)ー令和元年6月12日(水)

窒息ー苛立つ人に苛立つー永井均氏『<魂>に対する態度』(勁草書房、1991年)ー令和元年6月12日(水)

「真なる言説と善なる言説は必然的に一致するという、プラトニズムからその大衆版としてのキリスト教をへて現代のフランクフルト学派にまで通じる「敬虔なる嘘」を、最初に見破った思想家はもちろんニーチェであった」(「ポスト<道徳>的文化の展望」3頁)。

 

ポストモダン論争を始めとする現代の諸論争は、煎じ詰めれば、この状況下でどちらの可能性に賭けるかー善なる嘘か邪悪なる真理かーをめぐる論争だ、と見ることができるからである」(「哲学の極限」46頁)。

 

高校の時、『ヴィトゲンシュタイン入門』を読んで以降、十代が終わるまで、永井均氏の諸著作にのめり込んだと記憶する。でも、だんだんその興味を封印してきた人生だったと思う。やはりその頃、ギターを弾き音楽を聴くのをやめたように。

 

「他の点では時としてニーチェ以上にニーチェ的に過激である現代のニーチェアンたちが、この点に関しては根底的な議論を提出しないように見えるのは何故だろか」(6頁。「この点」とは、「道徳そのものにとって本質的なある部分」のことを指す)。

 

「今日の世界は、表層でのポスト・モダンの流行現象等々にもかかわらず、ある面からいえば、道徳主義的世界解釈が神聖にして侵すべからざるものとして君臨している世界である」(永井均氏『ルサンチマンの哲学』河出書房新社、1997年。102頁)。

 

「そのことに疑問を呈するためどころか、そのことを認識するための概念的手段(語彙)すら奪われているこの悲惨な(しかそれを悲惨と感じることさえ許されない)現状に対して、私は本稿においてささやかな抵抗を試みたつもりである」(同書・102頁)

 

C言語教室の後に、大型書店の人文書コーナーを歩いていると窒息しそうになる。永井氏の近くに置いてある著者(大学の研究者がほとんどである)や、対談などで親しいひとも含めて、彼・彼女らは本当にこのような問題を通過してきた人たちなのだろうか。「向き合う」べきのは、社会問題なのだろうか?

 

結局、安倍政権批判や日本社会の後進性批判ぐらいでしかない。見かけ上のラディカルさ(という程でもないが・・)でしかない。本を出し、影響を与えてしまっていいような人物なのだろうか。「若者受け」しそうなものとか。若い時、どんな生き方をしてきたのか分からないような人物。大学の勉強で「ラディカル」になることと、若い時に自己を掘り下げたかどうかはちがう。自己を掘り下げた人物が、今の社会で必ずしも本を出版するような立場に多くいないだけだ。

 

ブログにもいる。「~こそが真の保守」とか。「逆にこれこそ愛国心」とか。「新の保守」とかどうでもいい。「逆」を言えばいいってものでもない。それより、どんな立場でも根本的に掘り下げた人、根底的な者へめがけて行った人、自己を掘り下げていった人の方がおもしろい。外山恒一氏とか永井均氏とか。もちろん、著作と作者の魅力は一致しないことの方が多いが。

 

人間の共同体を結ぶ古い道徳に罵詈雑言・嘲笑が浴びせかけられて、見かけ上ラディカルな論者ばかり。別種の道徳に窒息させられる社会。

 

大型書店の人文書コーナーを歩くと窒息させられる。「善なる嘘」に。「邪悪なる真理」を喝破したふりに。

 

 

 

 

「魂」に対する態度

「魂」に対する態度

 

 

 

ルサンチマンの哲学 (シリーズ 道徳の系譜)

ルサンチマンの哲学 (シリーズ 道徳の系譜)