Book Zazen

書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

「超ド級」についてー令和元年5月28日(火)雨

「超ド級」についてー令和元年5月28日(火)雨

 

呉智英氏には政治評論やマンガ評論以外にも、言葉に関するエッセイが数冊ある。その中の一冊に『ロゴスの名はロゴス』(双葉文庫、2001年)がある。言葉や事象そのものへの興味の他に、「言葉の乱れ」なるものを叱る硬直した自称「知識人」をわらうタイプのコラムもある。

 

「「超」だの「ド」だのがついても由緒正しい言葉がある」(23頁~)

「超ド級」という言葉について、「超」は女子高生が使いそうで無教養と顰蹙を買いそうだし、「ド」というのは「ど助平」などと卑語としても使われる。そんな言葉の組み合わせだが、これは「今世紀初め英国海軍が造った大型戦艦ドレッドノートを基準にして、それを超える巨大戦艦を「超ド級」と呼んだ。これをものごとの大きさの譬えに転用したのである」(25頁~26頁)

 

これを読んで「へー」と思ったが、それ以上何もなかった。

しかし最近岡崎久彦『戦略的思考とは何か』中公新書700、1983年)を再購入し、読んでいたら、中ソ対立を論じた箇所、旧式の武器をどうするかという文脈で、「英国が開発したドレッドノート型戦艦があまりにも優れているために、日露戦争で活躍したようなそれまでの戦艦が一挙に旧式になって、海軍戦力がドレッドノート型戦艦の数だけで測られるようになり、ドイツがその工業力をフルに使ってドレッドノートをつくり、急速に英海軍の優位を脅かしていた時代です。このときに、マハンは何も心配することはない、ドレッドノート型戦艦同士が戦争してお互いにつぶし合えば、その後は英国の旧式の艦隊が海上を制しうると言っています」(156頁)と書いている一節があった(文中の時代とは中ソ対立の時代を指すのではなく、マハンが「海軍戦略」を書いた時代を指す)。

 

ちなみに戦略家のマハンは、旧式の武器は予備だと考えれば良い言ったという。

 

だからどうという話でもないが、読書がつながったので、参考までに書いておきます。おやすみ。