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書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

「人生とは若さを失うことで何かを得る」。プロトレイルランナー鏑木毅氏のコラムを振り返るー日経整理ー平成31年4月21日(日)晴れ

「人生とは若さを失うことで何かを得る」。プロトレイルランナー鏑木毅氏のコラムを振り返るー日経整理ー平成31年4月21日(日)晴れ

 

しばらく、これといった更新を出来ていなかった。チェックしていただいていた方には申し訳ない。

 

買い物、クリーニング、洗濯それにバイクのメンテナンスが終わり、久しぶりに日経整理します。

 

プロトレイルランナー・鏑木毅氏のコラム「今日も走ろう」

 

新聞記者が書く看板コラムは、どの新聞でも大しておもしろくない(これまで朝日と日経しか取ったことがないが・・)。だから、「天声人語」だの何だのと言って、新聞のコラムを愛読することはないのだが、プロトレイルランナー・鏑木毅氏のコラムは興味をもって読んでいる。

 

日付をメモしていないが、本年2月ごろと思われる「ムダではなかった2浪体験」(夕刊6面の「くらしナビ」欄)と題したコラムが、最近では一番共感できた。

 

鏑木氏は早稲田に入るのに2浪人し、親しかった友人は1浪人でほぼ志望校に合格したという。その時に取り残されたと感じた気持ちを綴っている。ライバルの頑張りを見て苦しくなる自分。

なんとか合格した後も、空回りするスポーツ人生。腰の故障で箱根駅伝には出場できなかったという。

大学を卒業して、県庁に就職しても、理想とは程遠く「人生を渡る上で特別なパスポートなどどこにもないと悟った」という。

 

私もそうだ。今日もバイクのメンテナンスの待ち時間、フードコートに行ったら、同世代の人たちには既に子供がおり、一緒に外食できるぐらい成長している。当然住む場所も確保できているのだろう。

生涯かけて追求したかったことを仕事にできなかった自分、転身せざるを得なかった進路は、単なる賃労働。家族を養えるほどでもない。この先の仕事もどうなるのかすら分からない。生きて行く上で仕方がないと我慢する日々。髪も後退し、白髪もまじるようになった。低空飛行の日々。

 

鏑木氏は自身の「八方ふさがり」の日々を振り返って、ようやく浪人していた時期を理解できるようになったという。

「少々物事がうまくいき、人からもてはやされるようになっても決しておごる気持ちにならず、逆にどん底の状況でもいつかはきっとうまくいくと思える」ようになったという。氏は人生の折り返し地点にたってそう思えるようになったという。

 

私はどうだろうか。多少人間的に幅が出てきたと思うが、ついぞ歴史に名を残すことはなかった。もう人生の時間も半分以上過ぎ去っていると思っている。明日死んだら後悔するような人生。こんなことなら生まれて来るんじゃなかった程度のもの。

 

鏑木毅氏のコラムがここからいくつか読めます。

日経へリンク:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41458600Z10C19A2KNTP00/

 

3月27日に「桜が思い出させる日々」

3月27日のタイトル「桜が思い出させる日々」の小見出し「綱渡りの生活も何とか人並みに」に惹かれて読んだ。

 

鏑木氏は、大学卒業後、県庁に就職したが、15年務めた後、トレイルランナーのプロとなるために退職したという。県庁時代の人間関係などは、別の日の記事にあったとおもうが、それは取っていない。

スポンサー探しに企業を回ったが、監督と間違われる年齢だったという(笑)。

私も30代を過ぎてこれといった職歴もなく、応募せざるを得なかった日々を思い出した。大学院は終了して3年以内だから、エントリーしたら、年齢を伝えただけで断られた。まあ、現在の社会からすれば当たり前だろうし、自業自得の人生だから別に恨みはしないが、苦しい経験は私にもある。

 

話しをコラムに戻すと、鏑木氏は安定した人生を捨て、プロトレイルランナーの道へと進みだしたのだが、家賃の支払いはもとより、遠征の渡航費の支払いなどに耐えられるのか夫人ともども金銭的には苦しい生活を送ることになったという。

 

10年が経ち、振り返ると、「綱渡りだった生活も何とか人並みに暮らしていけるように」なったという。また当時1万人ほどだった競技人口も30万人へと裾野が広がっているので、当然そのトップにである氏の関連本などの売り上げもあるのだろう。

「あの頃の努力で着々と培った実績がいまの地位と生活を築いてくれている」。「妻を路頭に迷わせないように、いつも胃がキリキリする思いで結果にこだわってきた」。

 

これが得たものであるとすれば、失ったものとは何か。それは「若さ」であるという。

「当時はどんなに貧しくとて軽んじられても実力で周囲を納得させられるという自身に満ちあふれていた」。「現在の自分にこのような自信はない。(中略)もし若い頃の力を今持てたらどんなに幸せだろうと思うこともしばしば」だという。

 

だが結局、人生とは「若さを失うことで何かを得る」ということだという。

 

髪の毛も後退し、白髪も混じり始めてきた私。目立った業績も残せなかった私。好きな道にも進めず、転身せざるを得なかった道も、狭く低い道だ。

自分の抱く信条も、いまをときめくような思想でもない。

 

あと10年後に自分は何をしているのだろう。もう人生の後半になるだろう。合掌。

 

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鏑木毅さんコラム「今日も走ろう」」「「時間ない」から頑張れる 補完関係の仕事と競技」

日経へのリンク:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43265660T00C19A4KNTP00/