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書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。

日経整理ー国友一貫斎の顕彰記事(2月6日) 平成31年2月9日(土)

日経整理ー国友一貫斎の顕彰記事(2月6日) 平成31年2月9日(土)

いつものように朝ジムに行き、少し食事。そして日経整理と言いたいところだが、

十字軍のシュミレーションゲーム「Stronghold Crusader HD」をしてしまった。

 

日経は経済や企業の記事が充実しているのかと思われるかも知れないが、意外と郷土関係の良質な記事が出ることがある。やはり文化はお金のあるところに集まってくるのかして、文化を取り扱った記事にも多く学ぶ点がある。今回紹介するのはそんな記事の中のひとつである。

 

平成31年2月6日(水)夕刊 11面 もっと関西欄

「国友一貫斎関連資料 滋賀県長浜市」「宇宙眺めた近江の奇才」

 

国友一貫斎(1778~1840)という人物を御存知だろうか。私は知らなかった。以下、記事をもとに紹介する。

 

記事によると、江戸後期の近江国滋賀県)の人物で、国産初の反射望遠鏡をはじめ様々な科学製品を作製した人物であるという。上記記事は一貫斎を再評価しようとする気運が高まっていることを紹介するものである。

 

一貫斎は、堺と並ぶ鉄砲の生産地の滋賀県長浜市国友市に生まれた。彼の家は幕府御用の国友鉄砲鍛冶を束ねる年寄の補佐役であったとのこと。そこで腕を磨いていったようなのだが、一貫斎が三十九歳の時、彼の評判を聞いた彦根藩が年寄を通さず、一貫斎に直接鉄砲を発注したことがきっかけとなり、争いが起こったという。そこで江戸に呼び出しをくらった。

 

ところが記事にもある通り、6年滞在した江戸で見聞を大いに広め、発明に没頭するようになった。なんとあの平田篤胤とも交流があったという。このあたりもう少し調べて見たい。

 

 

天保四年(1833年)、一貫斎はオランダからの輸入品を参考にして、初の国産反射望遠鏡を完成させた。それを用いて、月のクレーターや木星の衛星をスケッチしているという(!)。

 

ただ、かれの業績は珍しがられただけで、広まっていくことはなかったという。このあたり「和算」との共通点があるのかどうか。いわゆる教養を基盤とした「市民社会」なるものが形成されていない場合の探求者のひとつの運命を示すものだろうか。もう少し考えてみたい。

 

一貫斎の業績が広く知られるようにと、再評価委員会が組織されたという。伊能忠敬のように広まって欲しいそうだ。たしかに、今の科学技術も含めた日本思想史のラインナップなどは、固定的なものではなく、まだ知られていない郷土の偉人がいるはずだ。お国びいきではなく。今知られている人物も、後世に誰かによる何らかの取り上げ方がなければ今日にまで知られていなかったはずである。

 

一貫斎。クロスボウや筆ペン、飛行機の図面まで引いていたというから、面白いではないか。学芸員の人は「平賀源内より功績は大」と言っている。私は大人になってから子供向けのの歴史漫画で平賀源内を読んで、興味を持ったぐらいだが、一貫斎もこの記事で興味を持てた。

 

私が自分の持っている事典の中で、一番好きで、座右に置いている『科学史技術史事典』(弘文堂、平成六年、縮刷版)にもあらためて見てみると「国友藤兵衛」として掲載されていた。この事典は伊東俊太郎氏、村上陽一郎氏、山田慶児氏、坂本賢三氏らが編集委員であり、科学史を西欧だけに限定するのではなく、イスラム、インド、中国、朝鮮、日本、中世のヨーロッパのことなどがちゃんと載っており、世界の中の多様な文化で発生した「科学」「技術」を知ることができる。薮内清氏や、平川祐弘氏ら(他多数)が執筆陣に加わっていることからも良い事典であることが分かるだろう。

 

この事典によると

「1818年ごろ出府中成瀬隼人正の邸で英国製グレゴリー式望遠鏡を見て、これが動機となり1832年55歳で本邦最初のグレゴリー式望遠鏡の製作にとりかかった」(291頁)。

「望遠鏡は蘭製に勝るものと、天文観測の第一人者間重新(1786-1838)は賞賛している」(291頁)。

 

「成瀬隼人正」は「なるせはやとのしょう」と読むらしい(ネット調べ)。記事では「オランダからの輸入品」を参考にしたとあったが、事典では「英国製グレゴリー式望遠鏡」と書いている。まあ、それを輸入したのかも知れない。

望遠鏡を賞賛したのは、事典によると、間重新であることが分かり、「はざまじゅうしん」あるいは「はざましげよし」と読むらしい。

あんまり調べきれていないが、少しでも手元に事典があると助かる。

 

参考文献としては、日経には山本兼一氏の歴史小説『夢まことに』、『江戸時代の科学技術』(サンライズ出版)、事典には有馬成甫『国友藤兵衛』(武蔵野書院、1932年)が挙げられている。

 

平田篤胤との関係、そもそも平田の「科学」関係の思想などももっと調べたい。

 

自己の思想が受け入れられる世の中に生まれなかった時代を生きた一貫斎。埋もれた業績。少しばかり感動した。

 

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