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書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

源泉ー中江兆民をめぐってー平泉澄『日本の悲劇と理想』(昭和五十二年、原書房)

源泉ー中江兆民をめぐってー平泉澄『日本の悲劇と理想』(昭和五十二年、原書房

問題提起

前回、明治思想史における左翼と右翼の源流について述べた箇所で登場した中江兆民について、持ち越している問題がある。それは中江兆民をどう捉えるのかという問題である。

 

今日の学校事情には詳しくないが、まず多くの人が学校の歴史教育の中で、中江兆民を知ったのではないだろうか。自由民権運動の闘士であり、ルソーの「社会契約論」(「民約訳解」)の翻訳者であり、現代の進歩派の先駆者であるというイメージである。

 

私などは、中学生の時に、歴史の教師が「日露戦争」の時間に幸徳秋水が、ロシアの人々と連絡し合い、平和を実現する努力をしていたことを中心に習ったものである。

 

東郷平八郎も秋山兄弟も乃木希典の話も記憶に残っておらず、幸徳秋水が平和への努力をしていたということだけが記憶にのこる授業であった(もしかしたら、軍人の話もしていたかも知れないが、幸徳についての記憶しかない)。結局、乃木大将のことなどを知りたかったら、自分で勉強するより他に方法はなかったのである。

 

結局、日露戦争を多面的に見ず、幸徳秋水のエピソードを(私の記憶では)大写しにしていた教師。その憧れが幸徳秋水。その師匠が中江兆民で、「東洋のルソー」なのだという印象を持っていたし、いまもそういう印象の人が多いのではないだろうか。

 

その印象を変えたのが、前回簡単ながら要約した葦津珍彦氏の史論であった。

葦津氏の論文から、兆民についての文章をいくつか引用する。

(葦津氏の引用はすべて、葦津珍彦選集編纂委員会・編『葦津珍彦選集(第二巻)』(神社新報社、平成八年)からのものである。)

 

「兆民が晩年に対露主戦論者であった事実は一般によく知られてゐる。だがこの事実をもって、急進的民権論者としての兆民が、晩年になって民権思想の線から逸脱したかのやうにいふのは当たらない。それは日本の自由民権思想についての無理解を示すものである。日本の自由目民権思想史は、維新にさいしての尊攘運動、征韓論、民撰議院の建白を通じて、つねに強烈な国権意識と結びついてゐる」(葦津・上掲書、148頁)

 

「近代思想のうへで、兆民中江篤介の名は、急進的民権論者の先駆者として、あまりにも有名である。世間では、かれをフランス流の政治思想家として解する人が多い、イギリス流の温和な立憲主義に比して、はるかに革命的な民主主義を説いた人とされてゐる。このやうな評価も根拠のないことではないが、兆民の思想と人物はかやうな単純な評価のみでは理解しがたいやうに思はれる」(葦津・上掲書、872頁)

 

日本の思想や歴史を学びたいものが、葦津珍彦氏や平泉澄氏の著作を手に取ることがあるだろう。どちらも神社に関係のある家の出身だ。神・儒・仏の日本思想の一角を占める神道である。その神道系の思想家といってもいい葦津氏の中江兆民像と平泉澄氏の中江兆民像が異なるのである。これをどう考えれば良いのだろうか。 ここでも汲み取るべき源泉はどこにあるのかという問題にぶつかるのである。

 

平泉澄『日本の悲劇と理想』(昭和五十二年、原書房

本書は、平泉澄氏の日米開戦をめぐる歴史的考察と回想をまとめたものである。

私の観点から見て興味深いのは、中江兆民の位置づけについてである。

 

本書は日本の思想に限って見ると、 西園寺公望自由主義近衛文麿国家主義との対決を軸としている。平泉氏は西園寺の自由主義を批判し、近衛文麿の論文「英米本位の平和主義を排す」や「国家主義の再現」に見られるような国家主義を評価している。

 

平泉氏が評価する「明治維新の精神」とは、「忠君愛国、勤倹尚武、道義を以て内外の問題を解決して、国体の基礎を確立し、国威を輝かす」ことを意味する(170頁)。

 

近衛文麿について

平泉氏は「英米本位の平和主義を排す」、「国家主義の再現」の二本の論文で発表された近衛文麿の立場を高く評価する。

「近衛公は、その修学時代の環境からいへば、個人主義自由主義、もしくは社会主義に進まれても不思議ではなく、マルクス主義さへも、全然無縁では無かつたのでありませう」(147頁)。

「かやうな環境の中に其の学生時代を送られた公が、一たび大学を出て内務省へ入るや、大正七年には、「英米本位の平和主義を排す」といふ大論文を発表し、そしてそれより十六年後の昭和九年には、「国家主義の再現」を論述して軍部に深い理解を示されたのは、殆んど奇蹟のやうにさへ思はれる所であります」(147頁)。

 

(西園寺の政界での活躍を述べた後、近衛を指して)「然るにここに一人の人物あつて、少しも興津を恐れず、興津の思想が、実は明治維新の指導精神に反対するものであり、我国の将来を暗くするものである事を看破し、堂々と之を批判しました」(170頁)。

興津:ここでは西園寺公望のこと。  

 

中江兆民について

明治維新を導き、之を断行した精神が、維新の直後に、外来異種の思想によつて乱された事は、中江兆民植木枝盛の書いたものを見ても明瞭であります。それはフランス革命に影響をまともに受けて、無反省に、直訳的に、我が国にもあてはめようとしたものであります」(151頁)

 

葦津氏の論文を経由した目からすれば、「無反省に、直訳的に」という点には疑問が残るが、まあ中江兆民植木枝盛のような明治以降有名になった思想家・活動家だからまだいい。平泉氏は板垣退助もその一人だと指弾している。これを読んだとき驚いた。

 

 板垣退助

「万国共議政府」や「宇内無上憲法」を主張した文章を板垣が立案し、植木枝盛に記述させたことについて。

板垣退助までが之に加はり、本書の場合、その立案者として姓名を表記する事を承認してゐるのは、事、重大なりと云はねばなりませぬ」(152頁)。

「板垣は土佐藩士であり、中岡慎太郎や谷守部等と共に勤皇の志をみがき、明治元年漢軍東征して江戸に向かふや、西郷隆盛は大総督府の参謀となり、板垣退助東山道先鋒鎮撫使の参謀となりました。(中略)。その勤皇の志士、維新の功臣が、いつのまにか個人の自由を目標として無上政法、世界国家を夢み、その暁には国家の解廃も可能であると説いたのであります」(153頁)

  

「板垣死すとも、自由は死なず」(でも本当はどんな意味?文脈で発せられた言葉?正確に調べていない)の板垣氏だし、幕末に有名になった人だからまだよい。さらに驚くのは西園寺公望である。

 

西園寺公望

平泉氏は西園寺公望(「興津の老公」)をその自由主義ゆえに批判する。東洋自由新聞社時代の社説についても、社主としての責任を問う。

「東洋自由新聞社は、暴力革命の企図を内に内蔵する所の、自由思想宣伝の機関であつたのであります」(159頁)

 「明治三年フランスに留学し、滞在十年にして帰朝するや、フランス革命思想の使途を以て自ら任ずるかの如く、東洋自由新聞社を立ててその社長となり、自由思想を宣伝鼓吹し、あげくの果ては、政府にして若し人民の自由を妨げるならば、大喝一声、手に唾して起ち、蹴破して過ぐるあらんのみと、脅迫するに至つてゐるのであります」(160頁)。

 「西園寺公望が幼少にして蒙りたる朝廷の恩寵は比類少なく、弱冠にして事くことを許されたる栄誉の座は、その高き事、抜羣でありました。しかるに外遊十年にして帰朝したる時、顔は依然として日本の貴族であつたでせうが、心はいつしかフランス革命の洗礼を受けて、全然別趣異様の感覚を抱き、自由思想の宣伝鼓吹に熱中するに至りました」(161頁)。

抜羣:ばつぐん

考察

「元老」といえば頑迷固陋とのイメージが付きやすいかも知れない。だが、西園寺公望は、今風に言うと「リベラル」なのである。現在、西園寺の事を池上彰氏風に解説して、考えを発表させれば、歓迎する人の方が多いと推測する。むしろ平泉氏の国家主義に批判が集まるかも知れない。いや、1990年代以後の保守論壇やその影響を受けている人からは、擁護の声が上がるかも知れない。とはいえ、問題はその擁護の仕方である。

 

 呉智英氏に倣って言うと、結局、自由・平等・友愛・人権を考察の基礎に置けば、西園寺の方が勝つのである。無理に批判しようと思っても、批判の声が上滑りするだけなのである。自由・平等・友愛・人権に代わる価値が順序立てて述べられ、それに伴う良き生活実感までないと国民からの支持が得られることは、私の生きている時間にはないだろう。佐伯啓思氏ぐらいに論じなければいけないが、そこに到達することは難しく、到達したとしてもTVで池上彰氏らの解説が、最高の知識だと思っているような人を説得できる可能性は低いのである。

 

結局、思想レベルで言えば、フランス革命の余波がまだ未解決のまま残されているという他ない。我々はフランス革命が用意した時代を生きているのである。

 

西園寺公望については、①公卿のなかでも別格の「清華」(せいが)の出身なのに国家を擁護する思想ではないではないか、②自由主義者ではないかという批判が平泉氏によってなされたと考えられる。

それに対しては、①出身にかかわらず自己の思想を形成するのは当然の権利である、②自由主義の線で進化していくことこそが日本国のために良いならばどうするのか、などの反論が予想されるであろう。私の中にも、混在していて結論が出ないし、簡単に結論が出る人が偉いとも思わない。

 

残された課題

中江兆民の全集を読みこむ。

・平泉氏の評論を論点別にまとめる。特に、西南戦争をどう考えるのかが参考になると思う。『大西郷』は鹿児島旅行前に購入していたが、精読できていない。

フランス革命について、講義できるぐらい調べる。

⇒我が国における影響を精査すること。

・A・フランスの『神々は渇く』を読みとおすこと。

⇒フランスの本は文学だが、語学としては歴史書が読めるぐらいフランス語を勉強したいという気持ちがまた出てきた。お金と時間を作ること。

社会主義共産主義に共感した華族の問題。

西園寺公望について、まとめる。

・近衛の二つの論文を精読すること。

 など。

このような課題をこなして、自己の中江兆民像を構築したい。

人生のタイムリミットを意識して。

いまの仕事は必要なこと。でも一生するようなことではない。

一度きりの人生を、自分が価値があると思えることに捧げたい。

でも、捧げられない現実を生きている。

生計を立てて行かないといけない現実を生きている。

この現実。

人生に終わりがあることを自覚して。自分の人生を意義のあるものにしたい。

今年はこの仕事をする。でもいつまでもこんな仕事はしない。

自分にプラスになることをしたい。これはわがままとはちがう。

自分のかけがえのない、一度きりの人生を、一番思索してきたことに費やしたい。

かげがえのない人に与えられたこの命を。 

 

 

日本の悲劇と理想 (1977年)

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日本の悲劇と理想

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