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書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

藤井聡氏の活躍ー『表現者クライテリオン』2018年9月号購入

藤井聡氏の活躍ー『表現者クライテリオン』2018年9月号購入

 

現在の社会は、思想系の雑誌や論壇誌ごとに論戦が戦わされている時代とは言えないかも知れない(新聞単位では残っているが)。

 

私も、毎回購読している言論誌はない。金銭的な都合で滅多に買わないのだけれども、鹿児島空港で見ておもしろそうだった『Voice 2018月9月号』を(帰ってから)買い、今回は(ネットで)『表現者クライテリオン 2018年9月号』を購入した。

 

この言論誌については、タイトルがまだ『発言者』だった頃に購入したのが最初である。その2001年12月号は特別座談会が「アルカイーダ・テロルの思想的衝撃」と題する座談会であった。

 

その後『表現者』と名前が変わり、主幹の西部邁氏の引退後(そして亡きあと)、『表現者クライテリオン』と名称を変更し、藤井聡氏が編集長となっているようである。藤井氏は、西部邁氏が主宰していた「表現者塾」の塾生だったとのこと。

 

リンク:西部邁:藤井君の思慮ある勇気 | 京都大学 都市社会工学専攻 藤井研究室

(この中に藤井氏が表現者塾の塾生だったとの記述が見られる。)

 

関西国際空港の事故や、台風、地震などを体験すると私は、藤井氏の唱えた「国土強靭化」という言葉を思い出す。

 

藤井氏の専攻は、直接的には土木工学なのだろうが、公共政策を専攻と表記し、天下国家を論じている。いまそれらの論について意見を言うほどの力はないのだが、いずれ論じて見たい。

 

私などの10代の頃は、土木の方面は、日本を支配している「土建国家」構造(田中角栄のイメージ)やゼネコンの汚職など、仕事のきつさは脇においといても、あまりこの方面に魅力を感じることはなかった。というより、そのイメージには「大人のやり方のきたならしさ」などを感じる要素があり、反感すら感じていたといってもいいぐらいだ。

 

この年齢になり、藤井氏の諸著作(といっても3冊ぐらいだが)に触れてみると、土木(そして築土構木)は意義深い職業であり、領域なのだなーと思うようになった。

とはいえ、もはやその方面に進めるほど若くはないし、若かったとしても私が国土交通省や大手ゼネコンに入れたとは思えないが・・。

 

今月号の特集は「ポピュリズム肯定論」であり、特集座談会は小浜逸郎氏を招いて、藤井氏や柴山桂太氏らと「庶民からの反逆ー市場から社会を防衛するのは誰か」と題して、論じあっている。

 

うらやましい。私も鹿児島の友人と、このようなことをしてみたかった。だが、私は失敗した。

 

話を元に戻すと、普段日経新聞を購読していて、違和感のある言論に接すると、その解毒剤が欲しくなる。生計を立てて行くのに、「市場」を知らないとどうにもならない。漁師が海に行き、農家が田畑に行くようにして、私は「市場」の中で、賃金を得るしか能がないのであるが、時には分不相応に天下国家を考えてみたくなるのである。

 

堤未果氏が執筆しているのは、アメリカ流のグローバリズムの問題点を指摘しているという共通点があるからだろうか。

 

おもしろいことに呉智英氏も「稗史(はいし)小説と知識人」と題して文章を書いており、科挙に五十歳で合格した蒲松齢(1640-1715)らの名を挙げて、なぜマンガ評論するのかという問いに独特の観点から答えている。

 

表現者クライテリオン 2018年09号[雑誌]

表現者クライテリオン 2018年09号[雑誌]

 

 

いずれにせよ藤井聡氏の八面六臂の活躍には、驚かされる。それに比べて自分の人生は成し遂げたことが少なく、低空飛行を続けている。情けない。自己嫌悪。

 

次の座談会も、災害対策という観点からは、タイムリーな動画である。

 

youtu.be

 

かつての「高級な」思想系の言論誌の代表格は、浅田彰氏や柄谷行人氏らの主催していた『批評空間』だった。それに比べて、「保守系」の雑誌は「おじさん」色の強いものだった。

 

表現者クライテリオン』は、装丁もきれいであり、言論の難しさも中ぐらいで、現実社会に対しても責任を持つ態度が好感持てるのである。

 

世界情勢が大きく動く時代。隔月刊で定価が1400円弱。一読してみたら、いかがでしょうか。