大学・大学院時代、こまめに講義ノートを取った。
ノートをとるのは得意だ。
斉藤喜門・編著『受講ノートの録り方ー大学・短大で学ぶ人のために』(蒼丘書林、1983年)を買って、より磨きをかけた。
小見出しを書き込み、見やすいように工夫をこらしたりして楽しかったのである。
マインドマップ式の書き方をする人もいるだろうが、私は実況中継式であった。隣の学生からは、「要点だけを抽出できないやつだなー。にぶいやつめ」というような冷ややかな視線を感じていたが(被害妄想?)、もちろん私も要点だけを書こうと思えば書けたのだが、愚直に実況中継式を選んだ。この方が資料として価値があると思っていたからである。
学生の講義ノートが出版されたことがあると聞いたこともある。そのようなものになりうるベースづくりをしたかったのである。
講義ノートを業者に売って、儲ける方法もあったようだが、私はもっぱら自分の勉強のためにとった(今ならまちがいなく売っていたが・・)。
それももう終わり。
あまった白紙の部分を漢字練習や計算練習に使うために置いていたものも多かったが、50冊ぐらいあって場所をとるので、捨てよう。
自分の名前を書いているものも多いから、処理に少し手間がかかる。
要点をつかみ、レポートなどを作成する基礎練習や、構成の練習にはなったと思いたい。
でも、講義ノートなんてもう必要ない。他人の講義のメモに過ぎない。あとどれくらいあるのか分からない人生に必要なものだけを残したい。